2014年3月25日火曜日

再び先日のこと。

先週の土曜日は、市内の合唱演奏会で、鍵盤ハーモニカを一曲だけ演奏するお手伝いに行った。

マウスキーは鍵盤ハーモニカという楽器が苦手で、今回はたった一曲にも関わらず、とんでもなく苦心させられた。

やはり、慣れていない楽器というものは、必要以上に緊張するらしく、久しぶりに手が震え、胃が痛くなり、挙げ句に指もプルプル震え、呼吸も困難になるという現象に見舞われた。

しかし、今回それなりに頑張ったお蔭で、鍵盤ハーモニカは少しスキルアップしたように思える。

また、いい経験をさせてもらった出来事である。

豪華なお弁当と、お菓子が用意してもらっていた
美味しかったです! ごちそうさまでした!

マウスキーと、姉マウスキーに一つずつもらった

この綺麗なお花たちは、母マウスキーと父マウスキーにお土産で持って帰り、大好評とだった。

その後、この大量の花をどのように生けるのかが問題ととなったのである。

まとめて生けたいという気持ちもあるのだが、大きな花瓶は数に限りがあるので、致し方なく小分けして飾られる事になった。


そして、感動をたっぷりと味わった翌日、マウスキーは母マウスキーの誘いで新しい道路を運転する事となった。

日本海を堪能

なかなか充実した土日であった。

2014年3月24日月曜日

墓参り

先日は墓参りだった。

この道を車で上がるのだが、降りる時が滅茶苦茶怖い
夜は絶対に訪れたくない場所だ

ちなみに、ここには昔、野イチゴが沢山あって、大量に摘んでは食べていた事がある。

そして、後日、ここの道も墓だと聞き、墓に出来たイチゴを食べてしまったとショックを受け、それからは食べる事が出来なくなったという、悲しい思い出もある。


マウスキーが子供の頃、よく遊んだ河辺
荒れに荒れていた

昔はこんなに荒廃した川ではなく、メダカを取ったり、石を投げたり、石を積んだり、拾ったりして遊んだものだ。

ちなみに、この日の翌日に大きな道路が開通した。

ここにも随分早く来れるようになるらしい。

次に来る時は、その最短距離を走るのが楽しみである。

2014年3月17日月曜日

昨日と一昨日のこと

一昨日は、アースシェイカーのマーシーのライブに行ってきた。

クラシック以外のコンサートはあまり行った事がないので、実にいい経験だった。
アースシェイカーを残念ながら知らなかったが、とてもかっこ良かった!

何で知らなかったんだろうと思ってしまったぐらいだ。

ライブの写真
撮影禁止だと思っていたため、全てが終わった後である

それに続き、昨日は姉マウスキーのライブでもあった。

今回は自慢の赤い電子ピアノを弾いていた

三曲あったらしいが、マウスキーがライブ会場に辿り着くまでに道を間違えたりするというハプニングもあり、結局遅刻してしまい、一曲を聞きのがしてしまった。残念。

すっかり感心したのは、ボーカルの人が基本的にMCをしながら歌も歌うというところだ。
その話す内容には規制はない。

クラシックのコンサートでは、とっても考えられない事がたくさんあった。

このライブに集まっている人たちは、住んでいる国なども違い、別の人種のようにも感じてしまうほど異なるものを感じた。
それでいて、純粋に音楽を楽しんでいるのだと感銘も受けた。

会場の壁
木とかが可愛かった。

会場の表には、ウサギと亀の置物もあったらしい。
帰りには絶対に見て帰ろうと思ったのに、うっかり忘れてしまっていた。

次こそはちゃんと写真に撮るつもりだ。

そして、昨日と一昨日に感化されたマウスキーは、ギターをもっと頑張る事にしたのである。

2014年3月13日木曜日

映画「レ・ミゼラブル」の感想。

マウスキー、先日やっとのことで、大分昔に話題となった映画「レ・ミゼラブル」を借りてきて観た。

元々、ミュージカルの「レ・ミゼラブル」が好きだったし、映画化されている「レ・ミゼラブル」は大体は観た事があったので、気になっていた事は気になっていたのだ。

しかし、今回はまた特別だ。

アン・ハサウェイがコゼットの母役で有名なナンバーを歌うし、ヘレナ・ボナム・カーターが宿屋の女主人だし、ヒュー・ジャックマンがジャン・バルジャンだし。こんなに豪華な俳優陣。

それより、何よりもラッセル・クロウがジャベール役をしていたからだ! 

それだけでも観たくてたまらなったのに、結局映画館で観る事が出来ず、ずっと悔やんでいたのだ。

それをやっと観る事が出来て、それはもう感動だ。

勿論、ヒュー・ジャックマンのジャン・バルジャンは素晴らしすぎて涙だった。
マリウスも今まで観た中で一番モテ男で納得出来た。
ガブローシュのシーンもちゃんとカットされてなかったのも良かった。

話では聞いていたけれど、舞台とは結構違うところもあったりした。
でも、映画はミュージカル舞台とはやっぱり違うし、歌も順番前後してあったり、カットしてあるシーンも仕方がないと思える。

それに、全く同じものなら、舞台がいいに決まっているから、映画ではそんなに忠実なものは期待していないし、マウスキーはそんなに気にならなかった。

寧ろ、舞台と同じ事をされたら、姉マウスキーなんかは速攻寝る事が予測されるぐらいだ。

それに、何といっても、ラッセル・クロウのジャベールがかっこ良かった。

姉マウスキーと一緒に観ていても、彼が歌いだす度に「ジャベールかっこいい! かっこ良すぎる!」と、言いながら観てしまったほどだ。

何せ、ラッセル・クロウだし、馬に乗って駆けつけるシーンなんかは、ヒーローが見参してきたかのようにかっこ良いからだ。

そして、観終わった後に思ってしまったのだが、そもそもジャベールがかっこ良い必要があるかなと。

ラッセル・クロウが一々とかっこ良すぎるせいで、ジャベールが登場するシーンは大して話に集中出来なかった気もしてくる・・・

舞台だとそんなに気にした事もない視覚的なものが、映画となるとこんなに重要なるとは・・・・

何せ、ラッセル・クロウの風格、かっこ良さは、ただの警部なんて嘘だろと思ってしまった程だ。
彼ならもっと出世してもいい筈だし、署長になってもいい。

それとも、そんな出世話は既に提案されていたが、まだまだ現場で部下と共に犯罪者を捕まえたいのだと、出世話を辞退したんじゃないのか? 

そもそも、ジャベールはそんなヒーローの素質があるのでは? そんな感じで無駄にジャベールをかっこ良く思ってしまう程だ。

感想としてはそんな感じだった。

おしまい。

2014年3月11日火曜日

地獄の玉子焼き。

あれは、マウスキーが中学生の頃だった。

母マウスキーと父マウスキーが多忙で家にいない事が多々あった頃だ。

この頃からマウスキーはオムライスを得意としていたので、玉子関係の料理なら、簡単に作れるはずであると思っていた。

そこで、玉子焼きを作ろうと思い立ったわけだ。

これは、姉マウスキーも一緒に協力していた。

それが悲劇の始まりだった・・・

忘れようとしても、玉子料理を作っている時に思わず思い出してしまう苦痛、自分なんかは料理が
出来ない奴なんだという自らを卑下してしまう気持ち・・・

それは、この時の卵焼きから始まった事である。

当時、作りたかった卵焼きは、母マウスキーがいつも作ってくれる卵焼きだった。母マウスキーは料理が上手で、サラダや玉子焼きなんかも、味付けに一工夫してある。

それを横目で見ていたので、マウスキーは知っていたのだ。

母マウスキーは、玉子焼きにうどん出汁を入れるという事だけを。


マウスキーと姉マウスキーは共に台所に立ち、卵を3つ割り、ボールで掻き混ぜて調理を始めた。

そして、母マウスキーが作る玉子焼きの隠し味であるうどん出汁を入れる事となった。

迷うことなく、マウスキー達は玉子の中に一袋のうどん出汁と、ほんだしを投入。

混ぜながら、味見をする事にした。

何故だか、辛すぎる事になり、マウスキー達はパニックになった。
母マウスキーが作るのは、こんな味ではない! と。

そこで、辛いものをどうしていいか分からず、甘くすればいいと相談し、砂糖をうどん出汁と同じぐらいの量入れる事にした。

その結果、うどん出汁と砂糖が調和していない、絶妙な味になった。

うどん出汁と、砂糖を調和させる、魔法のような調味料はないのかと二人で相談し、今度は塩を投入する事にした。
塩は万能なものであり、どんな食材の味も落ち着かせる事が出来るものだと思っていたからだ。

結果は必要以上に辛いものとなった。強烈な砂糖の甘みは消えないまま。

もう、後戻りは出来なくなったマウスキーズは、意地でも美味しいものを作ろうと懸命になった。

砂糖の甘さを取りあえず消せばいいのだと思い、何か辛い調味料・・・そうだ、醤油しかない! と、アイデアが浮かび、醤油を投入。

酷く辛くなり、食べられるものではなくなった。

では、味をまろやかにすればいいのではないか? と、思い、次にウスターソースを投入。

施しようのない、人生で一度も味わった事のない味をマウスキー達はこの時覚えた。

だが、くよくよしていても仕方がない。
もしかすると、焼く事によって香ばしくなり、美味しくなるかもしれない! 

そんな希望を胸に、フライパンに玉子を流し込んで焼く事にした。
しかし、衝撃的な事が次に起こった。

マウスキーと姉マウスキーは、上手に玉子を扱う事が出来ず、おまけにいきなり強火で焼いたせいで、玉子は無残に破れ散り、卵焼きではなくスクランブルエッグになってしまったのだ。

ここまできても、マウスキーと姉マウスキーは希望を捨てる事はしなかった。

玉子とマヨネーズの相性がいいので、スクランブルエッグにマヨネーズを和えてはいかがなものだろうかと発案したのである。

当然だが、余計酷くなった・・・・

ここまできたら、パンの上にスクランブルエッグを乗せ、更にその上にとろけるチーズを乗せてトーストを焼くしかない!──極限の決断である。

しばらくして、恐ろしい臭いを放つ物がこんがりと焼きあがった。

そして、マウスキーと姉マウスキーは不思議な香りを放つ食物を試食し、完食した。
しかも、そんなに悪くない、意外と美味しいと自分を励まし、暗示をかけながら食べきったのである。

この日、マウスキーと姉マウスキーは恐ろしい腹痛に見舞われ、心も体もズタボロとなる悲しい結末となった。

何が悪かったのだろう。
調味料の組み合わせで、人は腹を下す事があるのだろうか? 
それとも、不味いものを美味しいと暗示をかけて食べたせいで、信じられないストレスを体に与えたための腹下しだったのか・・・

それは今、定かではないが、はっきりと分かる事は、この時料理音痴というレッテルが自分の中で自分に敷いてしまったという、悲しい結果である。

この歳になり、やっと克服してきた気がする。

それほどマウスキーの人生を狂わせたあの事件。今も「地獄の玉子焼き」と称し、マウスキーと姉マウスキーは思い出すたびに「あれは酷かった。何故ああなったんだ・・・」と反省をするのである。


2014年3月10日月曜日

空前のマイブーム到来!

今、マウスキーの大ブームは「スープオムライス」である。

料理が苦手なマウスキーだが、オムライスは子供の頃に初めて覚えた得意な料理である。

それが、スープをかける事により、驚き料理に変身するという事で、常々外食の時もスープオムライスに驚嘆していたものだ。

最近はクックパッドなるものもあり、便利な世の中となったので、スープオムライスに挑戦してみた。
ところが、何故かレシピを間違え、違うものとかを使用してしまっていたりする事に気が付いた。

他の料理なら、ここで終わりだ。マウスキーと姉マウスキーの初共作料理「地獄の玉子焼き」は、今でも記憶に新しいのだが、大抵はそんな悲劇に終わるものだ。

しかし、スープオムライスはとりあえずは何でも形になり、割と美味しく出来る。上手に玉子をご飯に載せれなくても、スープがかかるから、破れていても気にならない。

そんなわけで、最近は夕飯担当はマウスキーとなり、毎晩のように色々なスープオムライスを提供している。

コンソメスープ、クリームスープ、醤油味、出汁味、鶏がらスープ、バリエーションは無限にあるかのように思える。

果たして、何種類のスープオムライスを作り続け、食べ続けられるのか、それがマウスキーの中で空前のブームとなっている。

2014年3月8日土曜日

日本刀の斬れ味について

今日は、図書館に行き、日本刀図鑑を立ち読みしてきた。

詳しくは読んでいないが、日本刀は物凄く切れ味が良いが、どれぐらい切れ味が良いのか実験した事があるらしい。

で、死刑執行人で首切りのプロとして有名な人なんかも参加し、五、六人ぐらいが、色んなタイプの日本刀でその切れ味味を実証したらしい。

勿論、使用するのは死体で、ちゃんと斬る場所が決まっていて、切れ味の評価の言葉もちゃんと色々あったようだ。

胴はこの部分と、ここの部分を斬るとか、生首を縦斬りにするとか、横斬りにするとか、ちゃんと決まり事があって実験を執り行ったらしい。

で、日本刀は凄く斬れるという実証をしたようだ。

その時の死体でどこを斬るのかという事が書いてある図表も載っていた。

感心して読んでいたのだけれど、さすがにグロテスクでげっそりした。

それに、凄く斬れると言っても、その斬れ味は達人じゃないと実感出来ないんじゃないかという疑いもある。
剣の使い手じゃないと、変な骨とかに当たって、なかなか斬れなくて大変だという話も聞いた事がある。

しかし、そんな検証をしていたという事実は、興味がある。

でも、あまりにも気持ち悪かったので本棚にしまい、借りるまではしなかった。

というか、むしろ誰かが詳しく読んだりしてくれて教えてくれればいいのにと思う。

姉マウスキーに頼んで読んでもらおうかと今は考えている。また感想は後日。

2014年3月7日金曜日

今日は悲しくなるほど寒い日だった

今日、気が付くとマウスキー家の玄関には春の兆しがあった。

梅の花

きっと父マウスキーが生けたお花だろう。

何故なら、こんなお洒落な事をするのは、マウスキー家では、父マウスキーをおいて他にはいない。

しかし、春はまだ遠いようだ。

いつも、暖かくなって浮かれていると(黄砂が降るから、快晴でもいい天気とは言わないけれど)、今日みたいにグッと冷え込んで、がっかりさせられるのだ。

毎年そうだ。

しかも、こんな薄ら寒く、灰色で、ビシャビシャと音を立てて何かが降っている日は、とりとり市はいっそう寂しい街となる。

鬱蒼として、嫌な日だ。
早く春が待ち遠しいと強く思った日でもあった。


おすすめ!
アンニュイに浸れるとりとり市

2014年3月6日木曜日

思い出の中原中也

久しぶりに中原中也の詩を読んだ。

最初に読んだのは大分昔で、いろんな日本人の詩人の有名な詩を集めた詩集の中に入っていた幾つかの詩だった。

中でも影響を受けたのは、中原中也の初期短歌である。



芸術を遊びごとだと思ってるその心こそあはれなりけれ



当時子供だったマウスキーは、その短歌にすっかり影響を受けてしまった。

そんなわけで、芸術は金がかかるとか、「ええですなぁ、趣味があって」と嫌味を言われた時に、やたらと、引用して言いまわっていたものである。

・・・全く、中途半端に物分かり顔をしている時分というのは、一番に恥ずかしい過去となり得るのだ。

しかし、何というか多くは読んでいないかもしれないけれど、一番に中原中也の詩には共感する。

マウスキーが一番に好きな詩人は誰ですかか? と、人に聞かれれば、迷わずに「中原中也です」と答え、知ったかぶっていた子供の時分をついでに思い出し続ける事だろう。

モンちゃん

最近、マウスキー家には生き物はいないのか? と、聞かれる事が多々ある。

実は、生き物はいる。動物ではなく、植物だが。

その名もモンちゃんという。

実際は、モンなんとかという名前なのだが、あまりにも長い間モンちゃんと呼んでいたので、正式名称を忘れてしまったのだ。

モンちゃんは、マウスキー家の愛犬であった小太郎が闘病している間、部屋の空気清浄に努めてくれた立派な植物である。


モンちゃんの全体像

そもそも、モンちゃんとの出会いは、姉マウスキーが空気清浄、加湿に良い植物の種類を調べていた。
それに適した植物の幾つかの中に、モンちゃんがいたのである。

葉っぱの面積が出来るだけ広い植物がいいとか、卓上に置ける大きさがいいとかいう条件を満たしていた。

しかし、いざ購入するとなれば、植物とは言えど生き物である。

エアープランツですら枯れさせてしまうマウスキー達に、植物を育てる事なの出来るのだろうかと、十分に話し合ったものだ。

そして、話し合いの結果、モンちゃんを購入したのである。

モンちゃんは寒いところは駄目な植物らしいのだが、今のところ頑張って育っている。

結構大きくなっている。

ここまで成長してくると、それなりに愛情というものも感じてくる。

植物は、世話のし過ぎというやつで、今まで枯らしてしまう一途を辿っていたというのに、ここまで長く持たせる事が出来るとは・・・成長したと自分で感心だ。


モンちゃんの特徴。
葉っぱに穴が空いている。

2014年3月3日月曜日

お気に入りの方言

もしかすると、各地方に似たような方言があったりするかもしれないが、マウスキーは自分の地域にある方言の中で、特に気に入って使うものがある。

それが、「よだきい」という単語だ。

面倒な事や無理難題を言ってきて、理屈が通じないような人間を相手にした時に、よく「よだきい奴だわいな」とぼやくのが好きなのである。

「ムカつく」とか、「面倒くさい奴」とか、「腹が立つ奴だ」とか、そんな言葉は自分の怒りという感情を言葉にしているだけで、言葉に発した時点で不愉快なものとなる印象を受ける。

ところが、この「よだきい」という言葉を使えば、「ムカつく」、「面倒くさい奴」、「腹が立つ奴だ」という気持ちを、たった一言で表現する事が出来て、尚且つ、直接な怒りという感情を人に与える事もない。

マウスキーなりの方言と標準語の使い分けは、そんなところで、その解釈が正しいと思っていた。

ところが、ひょんな事から、よだきいという単語をネットで検索してみたところ、大体意味は同じようなものであるが、思っていたよりも酷い単語である事が発覚した。

なんと、「よだきい」と言われた人は、人間として最低の評価を受け、もうおしまいなのだそうだ。

簡単に聞こえるが、「もう人間としておしまい」と烙印づけられるというのは、ただ事じゃない。

ちょっと「ムカついた」程度で使えるレベルの言葉じゃなかったという事である。

しかし、世の中には確かにいる、何を言っても言葉が通じない人というのは。

つまり、相手への怒りを万人に伝えたいという気持ちではなく、身辺からその人間を締め出したいという気持ちの時に「よだきい」という言葉を使うのが、一番適していると気がするし、そこが方言の良さに他ならない。

言葉というのは、一番手軽で誰でも使える分、何も知らずに使うというのは、誤解を招いたりもする。
それに、自分の価値をも貶める重要なものなので、今度からはもう少し言葉に気を付けようと、気持ち的に反省し、委縮した出来事である。

・・・・よっぽど勘弁して欲しい気持ちになった時だけは、「よだきい」と思い切り叫ばせてもらうつもりだ。