2017年3月31日金曜日

「第九」~とりとり市の楽園は厳しかった。─ その3

「フロイデ・シェーネル・ゲッテル・フンケン・トッホテル・アウス・エリージウム!」

一体何の呪文だと思われる、この日本訛りのドイツ語こそ、第九の「歓喜に寄す」で有名な歌詞である。

この歌を、歌わずにずーっと叫ぶという、斬新な歌い方をする人がいるとは、誰も思った事もないだろう。

だが、マウスキーの背後にいた人は、正しく堂々たる風格で、音程なしのシャウトをし続けた。

そして、ついにきた・・・「ガーンツェーン・ヴェルト!」。

真後ろで聞くというのも、かなり厳しいものがあった。

正直に言おう。

これだけ、人の声を聴いたり、気にしたりしている時は、自分自信も歌えていないのだ。

リハーサルが終わった後、姉マウスキーに散々に非難を受けたのは、他でもない、マウスキーだった。

「お前こそ声を出していなかった。本番でも、後ろのヴェルトおばさんの叫び声を聞いて歌わなかったら許さんで」──このように責められた。

確かに、本番では許されないだろう。

だが、今までは、ここぞというインパクトの強いところで叫んでいる声しか聞いた事がなかったのだ。

それが、リハーサルではフルで全ての叫びを聴かなければならなかったのだから、動揺しても仕方がないはずだ。

それにしても、周囲の人は、「歌わずに叫んでいる人が混じってない?」とか、「叫び声がすごく迷惑だよね」とか、「歌いにくくて死にそう」などと言っている人は誰もいないのだ。

まさか、偏執的にこだわっているのは、マウスキー姉妹だけなのか?

もちろん、答えはすぐに分かった。

第九に一緒に参加していた、姉マウスキーの友人のTさんも、叫ぶおばさんの近くで歌わなければならなかった人であったからだ。

Tさんは、後ろの方で歌っているので、実物を目撃した事はなかったようなのだが、どうやら服装で想定する事が出来たようだ。

そして、証言を聞いてみたところ、叫び声は彼女の耳にも入り、厳しい状況を同じく感じているという事も判明したのである。

やはり、厳しい状況に立たせられているのは、マウスキー達だけではないではないか!!

まぁ、しかしだ、しかしである。
叫ぶだけのおばさんならば、許せるものではないか?

少しばかり心が狭いのではないか?

そんな風に思う人もいるだろう。

確かにそうかもしれない。

叫び声を聞きたくないならば、自分が頑張って歌ってかき消せばいいだけの話だ。
つまり、根本的な問題はそんな事ではなかったのである。

問題なのは、人柄だ。

その叫んで歌うおばさんの人柄がチラッと垣間見えた時、それは、最後の遠し練習の時であった。

ただ通すだけではなく、指揮者先生が最後の指導をしてくれる、貴重な時間だ。

しかも、とても素晴らしい人柄の指揮者先生で、「この先生のために頑張って歌いたい」、「先生が表現しようとしている音楽に少しでも近づくために努力したい!」と、怠け者のマウスキーですら、心を動かされてしまうような人物だったのだ。

その素晴らしい指揮者先生が指導をしてくれている最中である。

叫びのおばさんが、ひそひそ声で後ろの人間と話をし始めた──。

つづく。

2017年3月30日木曜日

「第九」~とりとり市の楽園は厳しかった。─ その2

運命の出会いは、パート練習の最終日に訪れた。

いい加減に覚えてしまわないといけないとは分かっているものの、そんなに簡単なレベルではない挙句に、ドイツ語ときているので、本当に時間がかかった。

しかし、最終のパート練習できっちりと覚えてしまいたい、そう思っていた。

ただ、音が取れていない段階で、やったらとドイツ語の発音についての指導が多かったため、音よりも発音重視な傾向がアルトパートの人たちの間に出来ていたようである。

強烈に、「フロイデ!♪」を巻き舌入りで言う、とか、「ガンツェン・ヴェルト!♪」のところも、はっきりと強烈に発音する、等々の意識が強すぎたのだろう。

そんな事が思わぬモンスターを生んでしまったという事に、誰も気づきはしなかったのかもしれない。

だが、気づいた時は、もう時は既に遅かった。

そのモンスターは、アルトパートの通し練習をしている時、突然と産声を上げた。

ガーンツェーンヴェルト!!

一体何事だ!?

思わずマウスキー姉妹は息が詰まりそうになった。

想像もしていなかったタイミングで、何者かが金切り声で叫んだのだ。

その時、指導の先生が「今のところをもう一度歌ってみましょう」と、言い出した。

確かに、もう一度歌えば、先ほどの叫びがただの空耳なのか、現実での叫びなのかが分かるであろう。

そして、歌いながら耳を澄ませて聞いていると、再び同じ場所にやってきた。

緊張の中、人混みの中から、やはり聞こえてきたのである。

ガーンツェーンヴェルト!!

やっぱり聞こえたぞ!!

その後は、完全にマウスキー姉妹は泥沼にはまり、歌えなくなってしまった。

練習が終わった後、マウスキー姉妹はとても愉快痛快な気持ちで家路に着いた。

ベートーヴェンの「第九」で、あれほどまで音程をなくした、ただの叫び声を一度も聴いた事がなかったからである。

面白い話だが、どんな人が叫んでいるのかは結局分からなかったし、勿論、あんな金切り声のような、「ヴェルト!!」とか叫ぶ人の隣では歌いたくない、そんな風に気楽に会話をしていた。

そして、本番の日を迎えたのだが、どうやら運命は我ら姉妹に想像を絶する試練を与えるつもりだったらしい。

本番前のリハーサルの時、本番通りに頭から通して歌うわけなのだが、もう歌いだしの時からマウスキー達は気づいてしまった。

そう、背後に立っていたおばさんこそ、何を隠そう、「ヴェルト!!」と金切り声をあげていた、その人だったという事を。

2017年3月29日水曜日

「第九」~とりとり市の楽園は厳しかった。─ その1

これは、2016年の市民で歌うベートーヴェンの交響曲「第九」に参加した時の思い出である。

最初は、参加する予定はなかった。

年末は、我が家の愛犬リズと、愛猫ジャッキーと茶々丸の三匹と共に、ウフフなクリスマスを過ごす予定だったからだ。

それが、参加してしまう事になったのは、Tomokoさんが第九の役員になったかで、今年は大変賑やかな事になっているので、参加してほしいと言われたからだ。

何でも、とりとり市が大々的に新聞などで「第九を一緒に歌いませんか?!」と広告を出したので、いつもよりも大所帯の合唱になったのだ。

そこで、以前参加した事のあるマウスキー姉妹に声をかけてもらったというわけだ。

存在を忘れ去られる事なく、声をかけてもらえるとは有り難い事である。

もちろん、我が家のアイドル三匹と過ごすクリスマスの事も考えれば、悩むところもあった。

しかし、第九に参加すれば、何かしらの面白い事がありそうだし、ネタには困らないだろう、そんな気持ちもあった。

それと、姉マウスキーの友人であるTさんも参加しているという事だったので、人見知りのマウスキーは、少なからず知り合いがいる事に安心感も覚え、参加を決断した。

しかし、なかなか練習参加出来る日程が合わず、本番の一か月か、二か月前からの参加となった。

まず、最初にぶつかった関所は、パート練習だった。

マウスキー姉妹のパートはアルトだったので、アルトパートの練習に参加したのだが、そこに、後々のマウスキー姉妹のメンタルを左右する事になる運命の人間との出会いがあった。

つづく。

2017年3月28日火曜日

オペラ座の怪人はお前だ!

これは、随分昔の話である。

友人のTomokoさんが、とりとり大学の関係のコンサートに出演するという事で観に行ったのだ。

その日、Tomokoさんはとても幅広いジャンルの歌を歌っていた。

そして、彼女が「オペラ座の怪人」から、「Think of me」を歌った時、事件は起こったのである。

さて、言うまでもないが、とりあえず「オペラ座の怪人」についてのあらすじを、ざっくり紹介しておく。

オペラ座の怪人とは、パリのオペラ座を勝手に根城にしている、骸骨顔を仮面で隠した男の事である。

彼は、顔は骸骨だけれど、あらゆる事に才能を持っていて、クリスティーヌという女の子に歌を指導しており、彼女に主役を歌わせようと、影ながらに応援するのである。

とりあえず、脅迫したり、照明を主役の歌手めがけて落としてみたりと、色々と1人で頑張る。

そして、頑張った甲斐あり、クリスティーヌが主役に抜擢され、舞台で歌う事になるのだ。

そして、そんな初舞台でクリスティーヌが歌う曲が「Think of me」である。

彼女が舞台で歌っているのを聴き、幼馴染のラウル子爵という男が、「(傍白)あれは、クリスティーヌ! ブラヴォー! 幼い時に出会った、僕は覚えてる。無邪気に遊んだ君のこと」とか、言い出す。

この先の、クリスティーヌと怪人とラウルの三角関係の始まりのようなシーンだ。

まぁ、その時の歌をTomokoさんが歌ったのである。

1人で舞台に立って歌っていた彼女を見て、マウスキーは普通に、ラウルが口を挟んで歌うシーンは、伴奏だけでナシにして歌うのだろうな、と思って聴いていた。

そして、普通に聴いていた、その時である。

ちょうど、舞台の下手側に、チラッと人影が見えたのである。

その人は、フラフラと三歩ほど出てくると、すぐに舞台裏にシャッと素早く引っ込んでしまった。

何かの見間違えではないだろうかと思い、マウスキーは集中できなくなった。

何度も下手側を見たのだが、どうやら、誰も出て来る気配はもうない。

きっと、スタッフの人が間違えて出て来てしまったのだろう・・・多分・・・。

そして、もう一度何とか気にしないようにしようとしていた、その時である。

今度は、上手側から、先ほどの人間でフラフラっと出てきたのだ。

間違いない、こいつは変質者だ!!

小さい時にテレビで見た事があるのだが、有名人の誰かが舞台で歌っている時に、日本刀を隠し持った変質者がフラリと舞台上に上がり、斬りかかった事があるとか・・・。

一大事だ! どうして誰も何も言わないんだ!

完全に体中に悪寒が走り、一瞬で流血沙汰の事件になるかもしれないと恐怖一色に染まった、その時である。

なんと、突然この謎の男が、下を向いて出てきた流れで、おもむろに楽譜を凝視したままラウルの部分を歌いだしたのだ!

演技をしながら歌っているTomokoさんと、楽譜に歌いかける謎の男。

色々ショッキングすぎて、マウスキーは言葉がなかった。

一瞬先までは、この舞台が狂気に包まれ、この変質者との乱闘が始まるのではないかと心配していたというのに、今では全く違う事になった。

たかだか、ラウルがちょこちょこっと口を挟むだけの歌の部分に、これほどまでも浮き出た存在感は一体何だろう?

まぁ、まぁ、練習の場ならわかるのだが、これは一般の人々が聴きに来ていたステージである。

「オペラ座の怪人」を知らない人が、このステージを見てしまったら、果たしてどんな風に思うだろう?

フラリフラリと出てきた謎の男を、まさか子爵とは思わないだろう。

「なるほどな、こいつがオペラ座の怪人か。さっきから怪しいと思っていたぜ」

そう、確信するに違いない。

ストーリーを知っているマウスキーですら、「今日のステージには、本物のオペラ座の怪人が登場してきたな・・・」と思ってしまったほどである。

しかし、この件に関して、なかなかマウスキーは口にする事が出来なかったので、後日、Tomokoさんと会話をする機会があった時に、「果たして、あれは何だったのか」と尋ねる事になった。

そして、その謎の怪人についての話を聞いたのだが、やっぱり謎の男は謎でしかない印象しか残さなかった。

何でも、飛行機に乗った時に、手持ちで持っていた甘納豆を爆発させ、テロだと騒がれたらしい。

浮いた人というのは、どこにいても浮いた存在になってしまうというわけだ、それがステージの上でも。

そして、今から思うと、ある意味伝説に名を刻む事となった、その謎の怪人は大物だったのではないかと思う。

誰しも、そんな風に素の状態のまま、ぶらぶら、ふらふらと出て行き、楽譜を抱えて、「あれは、クリスティーヌ」と「今日はどうよ?」と聞いているようなノリで歌いだす事など出来ないからだ。

やはり、人間には無限の可能性が秘められているらしい。

そんなわけで、Tomokoさんのオペラ座の怪人のステージは、合唱等でステージに上がる時のマウスキーに勇気を与えてくれた事となった。

「あんな風に浮いた事をしなければ、何も問題はない」と、いう風に。

2017年3月27日月曜日

「スカイリム」、無念のリタイア。

ゲームで、「ダーク・ソウル3」をプレイする、ずっと前の話である。

その時は、「スカイリム」というゲームをしていた。

それが、なかなか壮大で、グラフィックは低いものの、名作と言われるだけある、やり込み甲斐のありそうなゲームだった。

参照↓ 

しかし、この壮大な物語には、想像を絶する落とし穴が存在していた。

果たして、それは何なのかと言うと、マウスキーと姉マウスキーが意見一致で、クリアもせずにゲームをプレイする事を放棄するほどの事である。

こちらが、プレイ画面。
目の前で勝手に戦っている人たちと遭遇。
もちろん、関わらずにスルー。

そう、とにかく、RPGゲームで壮大な世界を旅してまわり、疲れ切っていた。

疲れ切っている時、どこに行くだろうか?

そう、RPGゲームの醍醐味でもある「宿屋」に行く事だろう。

宿屋に行き、朝まで眠って、再び冒険を始めるのである。

宿屋に到着。

宿屋の中はこんな感じだ。
火もあるし、食べ物も売っているし、安らげる雰囲気に見える。

これが大きな間違いだ!

ちなみに、マウスキー達のゲーム環境は、PCである。

そして、Steamで購入し、日本語吹き替えでプレイしていた。

出来れば、英語で日本語字幕が良かったのだが、そのあたりの設定が面倒だったし、ファイルの置き換えとかも、面倒この上ないので、日本語でも問題はないと思っていたのである。

その問題が明白に、ハッキリと現れたのが、宿屋のシーンだった。

宿屋には、吟遊詩人がいて、歌を歌っているのである。

この歌が、旅人の体力と精神力を0にする説をここに打ち立てよう。

日本語と英語の違いを考えれば、日本語の方が少ない情報量で歌わなければならないというのに、この吟遊詩人たちは英語と変わらない情報を詰め込んできたのだから、さぁ大変である。

息切れがするほどの早口言葉で、8分の6拍子の曲に詰め込む、詰め込む・・・。

もう、音程はどこですか!!

完全に音程がない、謎の早口言葉で何とか歌おうとしている曲を、宿屋に行くたびに強制的に聴かせられるのだ。

お陰で、ボス戦を経て疲れてやって来たというのに、ここで完全にメンタルアウトされてしまう。

どうしても泊まらなければならない時は、ダッシュでロビーを駆け抜けて部屋まで行き、ドアを閉めて、急いで寝るのだ。

目が覚めて吟遊詩人がいなくなっていれば、ラッキー。

目が覚めても、まだ吟遊詩人が歌っていれば、再び猛ダッシュで宿屋を立ち去らなければならない。

何でこんなくたびれながら、ゲームをしなければならないんだろう・・・

次第に疲れ果てたマウスキーと姉マウスキーは、スカイリムから心が離れていった。

本当に、お願いだから、音程のない歌をどや顔で歌うの、やめて下さい・・・。

現実でも許せない事が、ゲームの一番大事な安らぎの宿屋で行われているのだから、たまったものではない。

こんなわけで、悔しいながらも「スカイリム」救出をリタイアした我らマウスキーズ。

そんなモヤモヤした気持ちを、ダーク・ソウル3で発散したという事は、いうまでもない。

2017年3月26日日曜日

怒りと謎に包まれた映画「ピアノレッスン」。

中学生の頃に観た映画「ピアノレッスン」について、姉マウスキーと会話をする機会が最近あった。

映画をビデオで借りて見たのは中学生の頃だったのだが、結局さっぱり意味が分からなかった。

それでいて、かなり怒りながら見ていたので、原作を読もうという気にすらならなかったのである。

ストーリーはうろ覚えなのだが、思い出しながら書いてみる事にする。

時代は、19世紀とか、そのあたりの時代だったと思う。

主人公の女の人には、年の離れた亭主と、娘がいて、三人家族である。

主人公は、とてもピアノが大好きで、三食の飯よりピアノ、というほど、ピアノ中毒だった。

あまりにもピアノばっかり弾いているので、亭主がピアノを売り飛ばすとか、確かそんな事をしてしまって、主人公はこの亭主に相当な恨みを抱いていたと思う。

さて、ここからが問題の展開になっていく。

ピアノへの禁断症状が現れた主人公は、机とかに鍵盤模様を削ったりみたいな事をしてでも、ピアノを弾こうとするのである。

そんな厳しい状況の時、主人公のピアノを買い取った男が登場。

こいつが、相当の難癖のあるやつで、基本的な怒りの原因は、このキャラクターにあったと言っても過言ではない。

主人公は、この男のところへ行き、「ピアノを弾きたい」と所望すると、この男は「弾かせてやってもいいけど、俺は自由に邪魔をするぜ」みたいな事を言い放つ。

それでもピアノが弾きたい主人公は、それでも承諾してピアノを弾くのだ。

マウスキーは、このしょーもなさそうな男が、彼女の演奏を聴き、「自分もピアノが弾けるようになりたい!」と、ピアノに目覚め、ピアノを指導してもらう話なのだろうと確信して見ていた。

──なるほど。だからタイトルが「ピアノレッスン」なのか。

しかし、見れば見るほどに、不可解な状況になる。

なんと、この男は、ピアノを弾いている主人公の邪魔しか本当にしないのだ。

ペダルを踏んでいたら、下から足を突っついて、大騒ぎしながら床をバンバン叩いたりして演奏を中断させるとくる。

なんなんだ、こいつ。ただのかまってちゃんか?

謎は深まるのだが、とにかくピアノレッスンどころか、ひたすら主人公のピアノ演奏を邪魔する話になりつつあった。

そして、かなり怒りを堪えながら見ていたところ、この男は「ジャーン」とばかりにマッパになって主人公の前に現れ、「ピアノが欲しければ、鍵盤の数だけ俺の相手をしてもらうぜ」と、完全にセクハラに走っていく。

主人公も主人公で、ピアノ欲しさにその要求に堪えるのである。

そして、そんな契約の話を亭主に知られてしまい、怒り狂った亭主は、主人公の小指を斧で切り落としてしまう。

ところが、主人公のピアノへの熱意はそこで終わらず、彼女は義指を取り付けて、再びピアノを弾くようになるのである。

そんな彼女の傍らには、お前が一番問題だった駄々っ子だろ・・・という、例の男の姿があった。

よく分からないが、二人はいい仲になったらしい。

マウスキーは、こんな大人の色恋沙汰に振り回されて、娘が可哀想だと思ったのだが、娘も嬉しげに飛んだり跳ねたりしていた。

ジ・エンド。

なんだそれ、意味が完全に分からない。

ピアノの練習を邪魔くる奴を、どうして好きになるのか、そこから理解が出来ないのである。

でも、大人になった今では、何となく言いたい事の予測はつけてみる事が出来るようになった。

ピアノを弾くために通っている間に、いい仲になったとか、そういう事なんだろうか・・とか。

でも、結局今でも本当の本当に理解出来ているのかと言われたら・・・すみません、分からないです。

どうしても、ピアノの練習を邪魔し続けた男と、どんな条件を出されてもピアノを弾く事がやめられないピアノ中毒の主人公が、無理矢理な感じでいい仲になる話、そうとしか思えない。

腹立たしいと言ったらない。だから原作は読んでいない。

もしも、「実は映画ではカットされていたが、原作の中には真面目にピアノレッスンしているシーンがある」と、いうような新事実を知ったら読むかもしれないのだが・・・多分、ないだろう。

子供の頃に意味が分からなかったものが、大人になって分かるという事はないという事を痛感させてくれた作品である。

2017年3月25日土曜日

イタリア旅行記-その31最終回「旅の終わり編」

ついに、旅の終わりである。



食事を殆ど取らずに観光し尽くし、これでもかという程にローマを短期間で堪能した我ら三人は、帰りの日は完全に燃え尽きていた。

とりあえず、お土産などを購入し、完全に帰国準備を済ませた。

帰り際に見かけた、イタリアのふざけた建築物。
逆三角形。
完全に地震をナメてますね。

さて、空港に到着すると、搭乗手続きをまずは済まさなければならない。

Tomokoさんは、キティちゃんのお土産袋を用意しており、その中にお土産を詰め込み、貨物で出す際に、「日本に帰ってこれが出てこなかったら、私は発狂する」と発言していた。

その発言に重さを感じたマウスキーは、海外旅行の際に荷物を預けるリスクを痛いほど感じた。

こちらが空港。

我らは搭乗する場所に向かうと、疲れた足を休ませるために、近くの椅子に腰かけた。

座った場所はここである。

なんと、我らが座っていると、店員がいそいそとやって来て、「座るなら料金をいただきます」というような事を言ったのだ。

座席ぐらいで料金取るような大層な店には思えないのだが、日本ではないのだから仕方がない。

疲れ切っていた我々は、ぶつくさ文句を言いながらその場から腰をあげ、パイプの仕切りみたいなものにもたれて、搭乗時間を待った。

この飛行機に乗って、まずはオランダ空港へと向かう。

さらば、ローマ・・・

帰りの時は、疲れすぎていて、もはや乗った途端に寝る勢いだったので、あまりどうだったのか覚えていない。

気が付いたらオランダ空港だった。

オランダ空港にあった木靴。
気になった割りに、誰も買わなかった。

そう、オランダ空港と言えば?

忘れてはいない。

美味しいジュースやパンを食べた店があるところだ。

早速、再びお店に向かうと、待ち時間の間に食事をとる事にした。

こちらは、姉マウスキーが注文したごはんである。

最後の思い出に、たらふくサラダやチーズを食べ、美味しいケーキを食べ、美味しいジュースを飲もうとしたそうだ。

しかし、計算外だった事件が発生。

写真にあるドリンクは、「サングリア」という、お酒だったのである。

姉マウスキーは途中から気が付いたものの、もはや飲むしかない。
彼女はその全てを飲み干したのである。

しかし、更なる悲運が姉マウスキーを襲った。

お土産に持って帰ろうと、イチゴジュースやら何やらたくさん購入したのだが、日本にはジュースを持ち帰れなかったのである。

搭乗しようとすると、完全にアウトだった。

Tomokoさんも水を買っていたので、二人は検査のところで足止めされてしまった。

通れたのは、マウスキーただ一人である。

二人は、「ここで飲み干すか、置いていくか、どちらか一つしかない」と宣告され、飲み干す事を選んだらしい。

最早、姉マウスキーは地獄を見たであろう。

ただでさえ、日本のラージサイズぐらいのサングリアを飲み干した後に、ジュースを何本を飲み干さなければならなかったのだ。

もちろん、無理矢理押し込んだ液体たちが、その後どうなったか、察しのいい人なら楽に想像できる事だろう・・・。

とにかく、強行的に胃袋におさめたTomokoさんと姉マウスキーは、やっとの事で搭乗許可が下りたため、日本に帰る飛行機へと乗る事が出来た。

日本に入国する際は、物凄く厳しいのだと、肝に銘じておくしかない。

これで日本に帰れます。

さて、そこから再び12時間かけて、我々三人は日本へと帰ったのだが・・・完全に今度ばかりは機内の事を覚えていない。

ローマでの連日の疲労が出たためか、食べる事も、おやつの事も忘れ、寝続けたのである。

寝て、寝て、寝続け、目が覚めたら日本だった。

意外と近い・・・と、感じるほどに眠り続けていた。

さて、日本に戻ってから、信じられないほどの安心感に包まれた。

トイレの案内も、親切丁寧。

言葉も分かるし、通じる。

そして、バスを待ちながら購入した、お茶とオニギリの安くて美味しいことと言ったら、涙ものであった・・・。

書き忘れたが、Tomokoさんのお土産の荷物は、無事に出てきたので、彼女は正気を保ったまま、家族が待つ故郷へ帰る事が出来たようだ。

この実りあるイタリア旅行に行ってからというもの、本当に日本人で良かったと痛感した。

寧ろ、逆に日本の良いところが、数多く見えたかもしれない。

そして、もう一つ大事な事を忘れてはならない。

マウスキー達は、とりとり市に帰郷してから、しばらく後にはビデオショップへと走った。

そう、映画「天使と悪魔」をレンタルに行ったのである。

そして、ポポロ教会のシーンで叫んだ。

「これだ、このキージ礼拝堂を見たかったんだ!」

そして、悶絶。

本物を果たして生きている内に見る事が出来るのか、それはもう分からない。

おしまい。

2017年3月24日金曜日

イタリア旅行記-その30「ゼッフィレッリ演出のトスカ編」

ホテルで鋭気を養った我ら3人は、とうとう「トスカ」を観に行った。


念願のトスカ!
まさか、本場で観る事が出来るとは!

しかも、ゼッフィレッリ監督の演出で見る事が出来るとは・・・
もう死んでも悔いはない!

我ら3人がこの時、如何に感激していたかという事が、写真でもくみ取る事が出来る。

そう、劇場内に入る前に、とにかく看板を撮影していたのだ。


これも看板。

この日のトスカ役の歌手。


この日のカヴァラドッシ役の歌手。

ちゃんと劇場の名前が分かる写真も撮影している。


劇場前、かなり賑わっている。

この時は、ここのオペラ座で「トスカ」を観るという事に、まだ実感が湧いていなかった。

しかし、劇場内に入るにつれ、その実感は次第に湧いていった。

劇場内に入った時のロビー。

とりあえずは、自分たちの席を確認するため、席の確保をする事にした。

折角のボックス席である。

自分たちの席で間違いないと確信したら、とりあえず写真を撮る。

ここが我々の席だ!!

果たして、ボックス席からの眺めはどうだったか?

文句なし。

この旅行で、一番に「得した!」と思えた瞬間だ。

もはや、VIP席のような眺めのボックス席。
100ユーロで手に入れた栄光だ!

オペラ座の天井画。

ボックス席には鏡があった。
そこで記念撮影をするTomokoさん。

そんな風に記念撮影で忙しくしている間に、あっと言う間に開演の時間になった。

暗くなる瞬間。

舞台は、言葉にならないほど素晴らしすぎた。

今まで観光していた教会、そのものが舞台に現れたのではないかと思うほどリアルな舞台だった。

さすがゼッフィレッリ監督!

あっちも、こっちも絢爛豪華で、本物の大理石が使ってあるのかと思うような大きな彫刻や柱などの舞台道具。

歌手の人も、普通だった。

ザ・これが本場のオペラだ!という大胆な歌い方だったと思う。

何もかもが感動づくしで、1幕が終了。

幕間になったので、我らはボックス席を出て、上の階にあるバーへと向かった。

飲んだものは・・・シャンパンではない。コーヒーである。

ひっそりと隅っこで空のカップを持ち、かっこつけて記念撮影をしてみた。

こちらも、ひっそりと隅っこでかっこつけて記念写真を撮った写真。

だが、よくよく見てみると、マウスキーとTomokoさんの手には空のカップが2つ・・・マウスキーのカップを持ってもらっているのが分かる。

全然かっこ良くない・・・何でかっこつけてるんだろう・・・?

だが、この場にいれば分かるに違いない。

無駄にかっこつけたくなってしまう、その気持ちが──。

さて、コーヒーを飲み、記念撮影も無事に済ませた我ら3人は、ボックス席へと戻る事にした。

第2幕も無事に終わり、感動のあまり、数日間の疲れが一度に吹き飛んだかのようだった。

終演後のカーテンコール。

必死に拍手をしている横で、Tomokoさんが再びカメラを手に取り、カーテンコールを激写し始めた。

こんな場所で写真を撮るなんて、正気の沙汰ではない・・・マウスキーは内心驚愕を覚えた。

それにも関わらず、Tomokoさんは大胆不敵にも、「カーテンコールを縦向きに撮るのは駄目だ。やはり、横向きだ」と、自分で駄目出しをして、再び写真を撮り直した。

こちらが見事なカーテンコール写真。

今となっては、彼女の大胆不敵な行動により、貴重な写真が残っているのだと感謝している。

そして、素晴らしい時間はとうとう終わってしまい、我ら3人は、あの小狭いホテル「キング」に戻る事になった。

ちなみに、終演時間は結構夜遅かった。

帰り道も、暗くて怖さを感じるものであった。

帰り道。

そして、この帰り道を歩いていた時だった。

イタリアに行くと、女性は男性に「チャオ」と必ず声をかけられるという噂を聞いていた。

そう、初めて、遠く離れた、よく見えないけれど、イタリア人の男性らしき人が「チャオ」と言っていたのを聞いた。

これが、我々がローマに来てからの、初チャオである。

むしろ今まで如何に我らが汚い恰好をしていたのかという事を完全に理解した瞬間でもあった。

オペラの素晴らしさと、それなりに綺麗な恰好をしている女性でなければ「チャオ」と言われる事がないという現地事情を知ったり、実り多い夜であった。

それと同時に、とうとう強行観光尽くしだった我ら3人のイタリア旅行が、とうとう終わりを告げたのである。

つづく。

2017年3月23日木曜日

イタリア旅行記-その29「膀胱決壊の危機編」

一歩、一歩と歩くにつれて、マウスキーは焦燥感に苛まれていった。

膀胱の限界まであと三十分をカウントし始めたのである。

そんな苦しみの中、やっとの事で我々はテルミニ駅に到着した。

テルミニ駅の前にあるモダンな彫刻。
もちろん、テルミニ駅自体には誰も用事があるわけではない。

つまり、マウスキーはTomokoさんと姉マウスキーに、テルミニ駅でトイレに行って来るという事を告げなければならなかった。

突然の告白を聞き、Tomokoさんと姉マウスキーは驚き、「トイレの場所が分かるのか?」と、聞いてきた。

馬鹿にされたものだ、駅にあるトイレぐらいは誰でも案内があれば行ける、マウスキーはそう楽観していた。

そこで、「当然分かる。問題はない」と、いう事を述べ、自信たっぷりに駅へと向かった。

しかし、そう簡単な話ではなかった。

トイレの案内など、駅を見渡してもどこにもない。

夢か幻かと錯覚するほど、トイレは見当たらなかった。

これには参った。

刻々と膀胱の限界がカウントダウンをしながら訪れているというのに、トイレが見当たらないなんて・・・

心ならずも、マウスキーは限界突破した時の惨事について想像しなければならなかった。

いいや、そうなってはならない──今こそ、背水の陣を敷く時だ!

マウスキーは、イタリア人の警備員さん二人組に、「バーニョ(トイレ)・・・バーニョ・・・」と、一生懸命に訴えた。

ところが、この怠け者達は、自分たちのお喋りに夢中で、遥か下界で訴えている観光客の声などは耳にも届いていなかったのである。

何度も、何度も「バーニョ(トイレ)」と言ったのだが、完全無視で彼らはお喋りをしていた。

不幸な結末が頭の中で何度もよぎり、ついにマウスキーは「バーニョ! バーニョ!」と、叫んで彼らの会話を中断させる事に成功した。

すると、傲岸不遜な彼らはチラッと見下ろすと、「トイレ? あっち」と、適当に指差ししてきたのである。

これが、有名なイタリアの指差し案内か!!


いい歳の大人に「トイレ!」と叫ばせた、鬼畜駅員。

あっちと言われても分からないが、とにかくそちらの方面に行くしかない。

そちらの方面には、エスカレーターがあり、そこに降りたらトイレがある事が分かった。

これで助かる・・・そう思った矢先である。

テルミニ駅のトイレは、有料だった・・・・・・。

財布のお金と相談し、マウスキーは踵を返してTomokoさんと姉マウスキーの元へと戻った。

「テルミニ駅は有料トイレしかなかったので、三越のトイレを借ります」

Tomokoさんは、「三越まで我慢できるのか?」と、聞いてきたが、マウスキーは自分の力を信じるしかなかった。

「大丈夫・・・三越まで行ける」と、即答した。

膀胱限界まで・・・と、カウントダウンしている間に、何とか三越に到着した。

そうして、最大の悲劇を回避する事が出来たのであった。

完全に膀胱の限界にチャレンジして疲れ切ったマウスキーは、この後はさらに記憶がない。


意味不明の写真を再び撮影していた。
いじけた気持ちがよく反映されている。
ホテルに戻った後は、夜になるまで部屋で鋭気を養うだけだ。

マウスキーは、ホテル「キング」の思い出に、ホテルに関する写真を残す事にした。


泊まっていた部屋からの眺め。

その上部。

部屋の照明。
どうでも良すぎる写真だが、その時は貴重に思えたのだ。

そして、待つ事数時間・・・。

夜ごはんをジェラードで済ませた我らは、ついにオペラ座へと出陣する事にした。

つづく。

2017年3月22日水曜日

イタリア旅行記-その28「バルベリーニ宮殿編」

バルベリーニ宮殿内部に入るには、一番上の階まで、階段で上がって行くしかなかった。

途中、何度か立ち止まり、「まだゴールが見えない・・・」と、くじけそうになりながらも、我ら三人はカラヴァッジョやベルニーニやリッピのために、黙々と登り続けた。

もはや、無言で階段をひたすら上がる。
見たところ、スロープに近い階段だった。

どのタイミングで出そうか迷ったライオンの写真。
目が恐いです・・・。

口数が完全に減った時、やっとの事で入口のドアに到着した。

まるで事務所のような、地味な入口だったような気がする。

ドアを開けると、親切でフレンドリーなおじさんが受付をしていた。

当時の入場券。
そう、この名画に出会うために、我らはここまで来たのだ。

チケットを購入した後、その、フレンドリーな受付のおじさんが、ガイドをしてくれると言い出したのである。

何て親切な人なんだろう!

ちなみに、そのおじさんは、英語で説明してくれたのだが、大した英語力ではないマウスキーにまで分かりやすい言葉で教えてくれた。

緑や赤や青の色には意味があり、象徴しているものがある、とか。

そして、何の流れだったかは忘れたが、
おじさんが「では、サンタンジェロ城は見ました?」と、聞いてきた。

我ら三人は、どや顔で「初日に行きました!」と返答。

すると、おじさんは「素晴らしい」と褒めてくれたのである。

いやー、現地の人に褒められると、とても嬉しいものだ。

もの凄くいい人だった。
褒めてくれたので、尚更である。

さて、おじさんのガイドは、入口周辺の絵画までだったらしく、その後は「ご自由にゆっくりどうぞ」という感じだった。

では、ゆっくり鑑賞するか・・・と、我々三人は、再び各々のペースで絵画を鑑賞しはじめた。

しかし、さすがに何と言っても、疲れていた。

通路を抜けると、とても広い広間に到達する。

その部屋の中央には、長椅子が設置してあり、人々はその椅子に寝そべって天井画を鑑賞するようになっていた。

では、我ら三人もそうしてみよう。

そうしたが最後であった。

そもそも日々の疲れがたまっていた為か、寝心地の良い椅子に寝そべったら、もう動けなくなったのだ。

天井画が素晴らしすぎたという事もあるのだが、本当に十数分はその場に寝そべったり座ったりしたまま、ピクリとも動けなくなった。

・・・いい加減、動くべきか・・・そう気づいて、やっとの事で起き上がり、再び絵画鑑賞に戻った。

修復中の物も、出張中の物もなく、見たかった絵画を観る事が出来て、眼福の至りであった。

帰り際に、例のガイドをしてくれたおじさんに軽い挨拶を交わし、我らはバルベリーニ宮殿を後にした。

午前中までは、イタリア人はみんな高慢知己だと思っていたのだが、どうだろう?

こんなにいい人もいるのだ。

本当に詳しい人というのは、このように親切丁寧に教えてくれるばかりか、拙いながらも勉強している人に対して、実に暖かい目で見てくれるものである。

そんな風に感動している道すがら、ちょっと常々気になっていたものを撮影しておく事にした。

ローマの信号。

こんなアングルからも撮影。

何が気になったかというと、信号の赤が、緑と黄色の二倍の大きさをしていた事である。

つまり、どういう事かというと、

止まれ
注意
進め

と、いうインパクトである。

そんなに信号無視が多いのか?と、思ってしまう信号機であった。

そんな事に感心しながら、次に向かった場所は、スザンナ教会である。

はい、覚えてません。

バルベリーニ宮殿で全ての余力を出し切ってしまったため、スザンナ教会の記憶が一切ないのである。

でも、一応は行っていたのは確かである。

到着したという証拠写真。

「我、ここに居たりけり」という証拠写真もある。

しかし、その時は確実に「欲をかいて詰め込んだけど、やっぱり来て良かった」と、感動をしたとは思う。
覚えていないだけで・・・

さて、ここで観光はとうとう終了という事になった。

さすがに、夜は「トスカ」を観劇しなければならないので、鋭気を養っておかなければならない。

そんなわけで、我らはホテル「キング」に戻るために、Uターンをし始めたのだが・・・

再び迷子。
Tomokoさんが一生懸命に道を聞いてくれていた。

その時、人見知りのマウスキーは、ただでさえ知らない人は苦手な挙句に外国人なので、離れで警戒して様子をこのように見ていた。

人が一生懸命に道を聞いてくれている間・・・
オレンジの木を眺めたりもした。

オレンジの木をズームにしてみたり・・・

構図を変えてオレンジの木を撮ってみたり・・・

そうこうしている間に、道が分かったらしい。

我々は一旦、テルミニ駅に戻る事にして、そちらの道順を歩き始めた。

しかし、この時からマウスキーは何か不穏なものを腹部に感じていた・・・

トイレに行きたい・・・が、トイレがどこにもない・・・

つづく。

2017年3月21日火曜日

イタリア旅行記-その27「バルベリーニ宮殿の大きな庭園編」

この日の最大の観光場である、バルベリーニ宮殿。

とにかく、大きい。

しかも、見所が満載である。

美術品や、大きな庭園などがあるバルベリーニ宮殿。

何とか全貌を撮りたいと思ったマウスキー。
地面に腹這いになり、やっとの事で撮影。
なのに画素数が悪すぎる。

しかし、どうやらマウスキーは、バルベリーニ宮殿をとても気に入ったようで、電池を消耗しながらでも、やったら写真を撮り始めたようだ。

噴水の横顔。
ちょっと切れてしまったようだ・・・

しかし、2度目はどうだろう?
ちゃんと素晴らしい横顔が撮影出来ていた。

その時、どれだけマウスキーがこの噴水に情熱を傾けていたのかを実証する写真が見つかった。

必死に撮影するマウスキーを撮影している写真。

ちなみに、こんな入口の噴水でいつまでも写真撮影をしていては、日が暮れてしまうほどにバルベリーニ宮殿は広いのだ。

満足のいく写真を撮ったら、早速中に入る事にした。

宮殿の中に入ると、とても涼しくて生き返るようだった。

蜂。

歴史を感じる背面。

この広さ!
想像以上だった。

庭はこんな感じ。

これも庭。
本当に広い・・・。

こんな階段もあった。



多分、窓の配置が気に入って撮ったのかもしれない。
謎の写真が再び見つかった。

これも何だろう・・・・

そんな広い、広い庭を通過した後は、バルベリーニ宮殿内に入って絵画を鑑賞する事が出来る。

ここは、カラヴァッジョの怖い絵画で有名な「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」とかが展示されている。

こちらも勿論、見たかった絵画がたくさんあるのだ。

そして、庭を歩き、ヘトヘトに疲れ果てていた我ら3人の前に立ちはだかったもの、それは・・階段である。

無情と思えるほどの長い階段。
エレベーターがどんなに有難いものなのかを知る事になる。

だが、見たい絵画があるならば、つべこべ言わずに、ひたすらに階段を登り続けるしかないのだった。

つづく。