2017年4月30日日曜日

韓国旅行記 - その11「昌徳宮(チャンドックン)に到着」


marikyoさんが撮影していたキクの花。

ちなみに、マウスキー達が行きたかった場所は、景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)でした。

が・・・キョンボックンに到着して想像をしていなかった事態が我らを待ち受けていた。

なんと・・・修復中だったのである!

お陰で、大幅に予定を変更する羽目になってしまった我らは、そのままチャンドックンへと速やかにルート変更する事にした。

ソウル市内の写真。
山が日本の山とは全然違う・・・あれは大陸の山である。

やっと到着したチャンドックン。

特に、結構歩いたという体力的な問題以外は、何の問題もなくスムーズに到着する事が出来た。

早速中に入ってみると、観光の仕方は、チケットを購入して、ツアーを予約してガイドさんに従って集団で行動しながら観光をするというシステムだった。

そのツアーも、言語がそれぞれ喋れるガイドさんがいて、英語のツアーは何時から、日本語のツアーは何時から、とか時間割が出来ていた。

ちなみに、日本語のツアーは14時からか、13時半からだったか・・・そのあたりの時間だったので、ずいぶんと待つ時間があった。

なので、お土産屋さんに行ったりなどして、ぶらぶらと時間をつぶしていたわけである。

そんな時の事だった──。

日本語ツアーに、英語圏の男の人が参加したいとガイドさんに交渉しはじめたのである。
だが、当然ながら許してもらえなかった

しかし、そう簡単には引き下がらない、英語圏のゴネ男は、しつこく食い下がって、どうしても駄目ですかと、言いだしたのである。

ゴネ男は五分ほどゴネゴネ言っていたが、結局の岩のように動じないガイドさんにより、とうとう引き下がってしまった。

なんてしつこい奴だったんだろう・・・恥を知れ、恥を。

マウスキーだったら、ゴネた結果、ゴネた自分が悪かったなんて事態になったら、二度とツアーに申し込む事が出来ないほど恥ずかしいに違いない。

しかし、ゴネ男は違った。

そいつは、ふてくされたような態度でチケットをつかむと、プンプンしながらその場を立ち去って行ったのである。

厚顔無恥な奴というのは、どこの世の中にもいるものだ。

さて、ゴネ男も去った後は、写真などを撮ったりして時間を潰すしかなさそうだった。

歩いている最中の姉マウスキー。
何となく記念撮影。

次にマウスキーが撮影したものは、鳩である。

チャンドックンの中には、たくさんの鳩がいたのだ。

宮殿を根城にする鳩たち。
白い鳩が一羽いて、物凄く可愛かった。
鳩を撮るのに夢中だったマウスキー。

ふと気が付くと・・・

marukyoさんも一生懸命に鳩を撮っていた。

こちらがmarikyoさんの撮影した鳩。
白い鳩がやっぱり主役である。

激写。

鳩を撮り終わった後、marikyoさんは再び何かを一生懸命に撮影し始めていた。

柵の隙間から撮影している様子だ。
傍から見たら完全に不審者でしかないのだが・・・。

一体何を撮っていたのだろう?

こちらがmarikyoさんの撮影した写真である。

道路。

これは、これで、確かにアートかもしれないが・・・
ちょっとマウスキーには着眼点がよく分からなかった。
それほど隙間から見える道路がアートになるほどに、感動していたという事なのだろう。

海外旅行では、ある事かもしれない。

そんな風に好きな写真を気ままに撮っていたマウスキーとmarikyoさんに、姉マウスキーが記念写真を撮ってあげると言い出したので、撮ってもらった。

仲良く記念写真・・・・ん? なんだ隣の奴ら!

はい、もうビックリだった。

完全にマウスキー達から主役を奪って記念写真をしているのである。

しかも、このカップル、デジャブか何かの妖術を使うのかと驚愕するほど、他の写真にも写り込んでいたのだ。

右に見えるのがそれである!
本当に、迷惑この上ない。

ちなみに、このカップルの後ろでガイドさんと喋っている男が、ゴネ男である。

今、写真を見ながら気づいたのだが、この時点でもまだゴネていたのか・・・と。

とりあえず、次は姉マウスキーとTさんの記念撮影を撮影した。

ちなみに、姉マウスキーとTさんは、しましま組である。
完全に後ろ姿であった。

さて、そんな事をしている内に時間があっと言う間に過ぎ、やっとの事で日本語ツアーが開始された。

ついにチャンドックンの中へ・・・。

つづく。

2017年4月29日土曜日

すみません、今日も休みます。

頻繁ですみません・・・。

明日は通常通りに書きますので、よろしくお願いします!

せめてですが、我が家の愛猫、ジャッキーと茶々丸の遊んでいる動画を紹介します。


2017年4月28日金曜日

韓国旅行記 - その10「スタバでタンブラーを購入しようとした結果・・・」

ロッテ・ワールド・ホテルは、ロット・ワールドに隣接しているホテルで、部屋からの眺めはとても賑やかなものであった。

部屋の窓からの景観。
ロッテワールドと書いてあるのが見える。

こんなバージョンも。

こんな角度からの撮影もある。

どうやら、みんなで嬉しげに「ロッテワールドホテル」と書いてある屋上の撮影をしていたというわけだ。

何が嬉しいのか分からないのだが、旅行とは、なんて事のないものが価値ある物に見えるものである。

ロッテワールドホテルも見えた。

そんな風にロッテワールドホテルの屋上を眺めていた我々4人。

気が付けば、9時出発の予定だったのに、全員が普通に何となく遅れてしまい、9時半出発になってしまった。

まぁ、急ぐわけでもない。

そんな事もあるさ。

朝ごはんをまだ食べていなかったので、言葉が分からなくても安心できるスタバを探し、そこで食べる事に決めた。

特に、何事もなくスタバは見つける事が出来た。

名指し注文と、「これ」程度の韓国語を喋って、特に何の問題もなく朝食をゲットした。

本当に、何も問題はなく、コーヒーカップが大きいとか思っている程度の事しかなかった。

ところがである──。

ここにきて、まさかのTさんが、「タンブラーを買って来る」と言い出したのだ。

これは、マウスキーの記憶にも焼き付いているのだが、正直、無謀だと思った。

日本でスタバのタンブラーを買うのも、何となくちょっと緊張するというのに、言葉も通じない韓国という地で、無事にスタバのタンブラーが手に入れられるわけがない!

だが、Tさんの決意は固かったようだ。

彼女は立ち上がると、恐れを知らぬ姿勢でレジの方向へと向かっていったのである。

大きなリスクを抱えてまで、スタバのタンブラーを欲したりはしないマウスキーにとって、こんな命知らずな行動を取るとは信じられなかった。

席に取り残された、マウスキーと、姉マウスキーと、marikyoさんは、「本当にタンブラーを買うのかな」と、話し合いながら、Tさんの帰りを待った。

しばらくして、Tさんはポーカーフェイスでぶらっと我々が待っている席へ戻ってきた。

そして、席に着席するやいなや、「参ったで」と口を開き、机の上に豪華絢爛に装飾されたタンブラーをコトンと静かに置いた。

何故、スタバのタンブラーが、華やかに彩られ、装飾されていたのかは、この時の時点ではあまり詳しい事情を結局知らなかったと思う。

韓国では、通常の包装スタイルが派手なのかもしれないと思う程度だったのだが、実はそんなものではなかったらしい。

どうやら、Tさんはお目当てのタンブラーを手にレジへと向かったのだが、「ご自宅用ですか? ご自分用ですか?」と、聞いてきた店員さんにより、順調な道筋を絶たれようだった。

何せ、英語と韓国語が喋れないばかりか、相手の店員さんも韓国語オンリーだったので、「自分用です」と伝えるだけでも、相当難易度の高いコミュニケーションとなってしまったのである。

とりあえず、力の限り、思いつく限りのジェスチャーを駆使して、Tさんは「自分用です」と一生懸命にレジの人に伝えた。

その熱意と、表情豊かなジェスチャーを見た店員さんは、きっと「力いっぱいのデコレーションの入用なプレゼントなのだろう」と、解釈をしてしまったようだ。

彼女は、自分が持てるデコレーション力のすべてを、そのスタバのタンブラーに注いでくれたのだろう。

その結果、自分用に持っているには、ちょっと恥ずかしいほどきらびやかに装飾されたタンブラーが出来上がってしまったというわけだ。

正直、マウスキーたちは、あまりにもTさんがポーカーフェイスだったので、そのような力いっぱいのジェスチャーのやり取りがあったとは欠片も思わなかった。

そんなわけで、スタバで朝食を終えた後、Tさんは素敵豪華なタンブラーを鞄に収納し、その日一日持ち歩き続ける事となったのである。


つづく。

2017年4月27日木曜日

韓国旅行記 - その9「水の出し方がわかりません」

姉マウスキーは、一人とても悩んでいた。

と、いうのも、ホテルの部屋に戻った後、バスタイムでゆっくりした後、肝心な風呂の水を流す方法が分からなかったのである。

イメージする取っ手や、蛇口は何も存在せず、ボタンのような物が管についているだけだったのだ。
押してみてもビクもしないので、どうやらボタンでもなさそうでだった。

では、どうやって水を流せば良いのだ?

完全に分からなかったので、とうとうホテルのサービスカウンターに内線で電話をして聞いてみる事にした。

姉マウスキー「日本語は分かりますか?」
サービスカウンターの女の人「分かります」

なんと心強いのだろう、日本語が通じるだなんて!

そこで、安心した姉マウスキーは「お風呂の水の流し方が分からないんです」と、伝えた。

サービスカウンターの女の人は、ピンときた様子で、「分かりました、少々お待ちください」と答えてくれた。

すっかり安心しきった姉マウスキー。

ゆったりとくつろぎながら待っていたところ、しばらくしてサービスカウンターの女のひとが部屋へやって来た。

「お待たせしました」と、爽やかに言った彼女の手には、何故か水の入った二本のペットボトル。

何だと!? ペットボトル二本の水を使って、風呂の水をどうやって流すというのだ?

そんな驚きの状況であったが、そこは冷静な姉マウスキー。パニックになったり、取り乱す事はなく、「いや、水が欲しいわけじゃないんですけれど・・・」と、交渉を試みる事に。

どうやら、日本語がわかりますと言った彼女は、水の流し方が分からないと、水が欲しいという事を聞き間違えてたようなのである。

どういうわけでそういう事になるのかは分からないが、外国語を聞き取るのは至難の業なのだ! 仕方がない事だ!

そこで、姉マウスキーはそんなに信用していなかった韓国旅行のガイドブックを取り出し、ちょうど「水道が壊れていて水が流れない」と、言うような一文を日本語訛りの韓国語で伝える事にした。

これで割りと伝える事が出来たのだが、意思疎通が出来た決定打は・・・やはり英語だった。

姉マウスキーは水道を示し、英語で「これはどうやって使うんですか?」と聞いた。

サービスカウンターの女の人は(おばさんだったらしい)、「これの使い方?」と言い、「ストロング・プッシュ!」と、教えてくれたそうだ。

やっとの事で相手と心が通じたのはいいが、言葉の壁で紆余曲折した結果・・・ストロング・プッシュの問題だったとは・・・。

ボタンは、つまり、ボタンでしかなかったのである。

力任せに押すか、指先でちょいと押すかの問題で、水を持ってきてもらったり、ガイドブックまで持ち出したりしなければならない大事になってしまったというわけだ。

ザ・海外旅行のようなこの出来事。

今回の一件で身に染みた教訓、それは・・・やはり英語を勉強するべきだ、という事だった。

こうして、姉マウスキーは、バスルームのシャワーの管についているボタンを、ストロング・プッシュする事で無事にシャワーを浴びる事が出来たという事である。

※ちなみに、風呂に関してはマウスキーもmarikyoさんも何一つと困る事なく、最初からストロング・プッシュをして使用していたようだ。

こうして、無事にお風呂を終える事が出来て一日目を終えた。

ちなみに、これ等の事は姉マウスキーが一人で密かに大騒ぎしていたらしく、Tさんは一体何を騒いでいるのか皆目わかっていなかったようである。

とりあえず、これで、やっとの事で観光が始まる──。

翌日は、9:00出発と取り決められた。

つづく。

2017年4月26日水曜日

韓国旅行記 - その8「2つで1個分の値段になる缶コーヒー」

地図を見ながら、マウスキーとmarikyoさんが向かった先は、コンビニである。

缶ビールを買って飲もうと思ったのだ。

ロッテ免税店での疲労を忘れた我々は、意気揚々とコンビニへと順調に向かっていた、その道中の事である。

路上の隅っこに、薄暗い中でおじさんがウサギを売っていたのだ。

思わず、マウスキーとmarikyoさんは何度見もしてその様子を見たのだが、間違いなく、売られていたのはウサギであった。

ペットショップの露店と思えるほど可愛らしい様子もなく、22時近くだったので、完全にウサギを売っている事自体がおかしいのだが・・・。

謎のウサギ売り。

一口で言うなら、完全に不審者でした。はい。

ソウルでは、ウサギをこんな風に社会の裏で飼わなければ手に入らないほど大人気なのだろうか?・・・

このおじさんのお陰で、マウスキーとmarikyoさんの頭には、完全に「何故ウサギをこんな時間に露店販売していたのであろうか?」という事でいっぱいになり、コンビニに行くまでは大体その話をしてしまったほどだ。

二人で交わした議論の末、結局未だに解明されていない謎である。

そんな不思議な物を見てしまった後、コンビニの灯りを見るというのは、何とも安心出来るものだ。

早速我々はコンビニに入ると、お目当ての缶ビールを手に入れた。

marikyoさんは、缶コーヒーも買っていたと思う。

そして、おつまみは、イカのコチュジャンのタレがついているおつまみにした。

レジに行き、マウスキーは特に問題もなく会計を済ませる事が出来た。

ところがである。

marikyoさんが、再びレジの女の子で会計の事で揉めていたのだ。

マウスキーとmarikyoさんは英語と韓国語は喋れない。相手の女の子も、大体そんな感じだった。

何を言おうとしているのか分からず、中途半端な彼女のジェスチャーは、余計にmarikyoさんを混乱させるだけであった。

完全に煮詰まった時、女の子は走って行き、marikyoさんが買おうとしていた缶コーヒーと同じものを一つ手に取って戻ってきた。

もはや、言葉でコミュニケーションをしても無駄だと、彼女は悟ったのである。

そして、ようやく彼女は会計を始めた。

そしてやっと気が付いた事、それは・・・ここのコンビニでは、缶コーヒーを2つ好きなのを選んで買うと、値段が一つ分になるというお得なサービスがあったのである!

彼女はそれを伝えようと、何分もかけて頑張ってくれたのだ。

違う種類だと好みが分からないので、marikyoさんが選んだ銘柄のコーヒーを持ってきてくれたのも、彼女の心遣いだったのだろう・・・。

marikyoさんは、日本訛りの韓国語で「ありがとうございました」と再々彼女にお礼をして、コンビニを出た。

なんていい人なんだ・・・。

マウスキーとmarikyoさんは、身も知らないコンビニ店員の女の子を、ホテルに戻るまで賛辞して帰った。

彼女のお陰で、消化不良を起こしそうなぐらい謎なウサギ露店のおじさんの事は忘れてしまったと言っても過言ではない。

缶ビールも手に入れる事が出来たマウスキーとmarikyoさんは、あとはホテルでビールを飲みながらゴロゴロするしか、どうやらする事がなかった。

読んでも分からない新聞を読み疲れ、疲労で居眠りをするマウスキー。

読んでも分からない韓国の新聞を眺めるmarikyoさん。

ビールを飲みながらテレビをつけると、韓国語で日本のアニメを放映していた。

日本のアニメなんだろうな、という事までは分かったのだが、マウスキーとmarikyoさんには、それが何なのか分からなかった。
他にも、アメリカのアニメとかもしていた。

言葉が分からないけれど、ぼーと見ながらストーリーの予測をし、一日はとうとう終わる事となった。

長いソウルに来ての半日がやっと終わった。

そして眠りについたマウスキーとmarikyoさんである。

さて、マウスキー達がコンビニへと大冒険に出ていた時、姉マウスキーとTさんは、一体どのような夜を過ごしていたのだろう。

と、いう事で聞いてみたところ、こちらはこちらで、地味に色々と言葉の壁にもどかしい思いをする事が色々とあったようであった。

つづく。

2017年4月25日火曜日

韓国旅行記 - その7「ロッテ免税店をさまよう大量のキムチ」

さて、二組に別れた後、marikyoさんは大量のお土産を買うため、念入りに店を回り始めた。

ちなみに、マウスキーはお土産を買う予定は、なかった。
今から思えば、なんて奴だろうと思うのだが、お土産に買いたいと思っていたものはお茶などの類だったので、理想に合うものがなければ、買う気がしなかったのである。

妥協して社交儀礼のためにお土産を買ってこその大人なのだが、未熟なマウスキーはその域に達していなかった。

その分、marikyoさんは人付き合いに関してはスキルが格段に高かったらしく、仕事場の人たちに韓国土産に何が欲しいかをリサーチしており「お土産に欲しい物リスト」まで作って持って来ていた。

大体、韓国のりとキムチが欲しいという人が殆どだった。

そんな定番の物ならば、簡単に手に入りそうだったのだが、意外と色々な種類があるので、思ったよりも時間がかかってしまった。

そんな時である。

「お土産にいいキムチですよ!」と、大きな声でお店のおばさんが声をかけてきたのだ。
そして、積極的に、「このキムチは少量ずつパックされているから、お土産にしやすいし、保存もしやすい」と、随分と推してきたのだ。

確かに、小分けにパックされているのは、とても便利だし、色々な種類のキムチもあったので、marikyoさんは完全にここのお店がお土産のキムチを購入する事に決めたようだ。

そんな盛り上がっている我々の背後から、「うちのキムチも見てください・・・」と、体と声の細いおばさんが一生懸命に言っていたのが気になったが、申し訳ないほどそこのお店で買えそうなキムチは一つとしてなかった。

marikyoさんは、そのか細いおばさんに背中を向けると、キムチの精算を終えた。

キムチを購入した店の店員さんは会計を済ませると、「泊まっているところはどこ?」と、聞いてきた。

marikyoさんは、「ロッテワールドホテルです」と答える。
すると、「何号室? 部屋まで届けるサービスがあるわよ!」と、言ってくれたのだ。

なんて便利なサービスがあるのだろう!

そちらを利用すれば、重たいキムチを持ち歩く必要がないのである。

marikyoさんは、「ぜひお願いします」と頼み、部屋番号などを渡した。

すると、おばさんは、何となく頼りなさそうなぼーっとしたお兄さんを呼び、韓国語で大声で喋りながら、marikyoさんのキムチを渡した。
これを部屋まで届けろ、というような会話だったのだろう。

ところがである。

キムチを届けようにも、部屋番号がどうも一致しなかったらしく、頼りなさそうなお兄さんと店員のおばさんは、とにかく大声で叫んで揉め始めてしまった。

様子を見ていたmarikyoさんは、「もういいです、自分で持って帰るんで」と言いながら、自分の購入したキムチに手を差し伸べたのた。
しかし、ぼーっとしたお兄さんは、しっかとmarikyoさんのキムチの袋を握りしめ、放さないとくる。

そして、「サービスカウンターに聞いてみるので、こちらについて来て下さい!」と言い、そのぼーっとした顔からは想像が出来ないような速さで歩き出したのだ。

コンパスが短いmarikyoさんと、マウスキーは、小走りで彼と、キムチの詰まった袋を追いかけまわさなければならない羽目となった。

見失わないように必死にサービスカウンターまで追いかけると、そのお兄さんは、キムチを届けたい部屋番号の事などで問い合わせをしてくれた。

そして、判明した事は、部屋番号が存在しない、という事だった。

一体、どういう事なのだろう・・・・?

そこで、marikyoさんは泊まっているホテルの名前を再々聞かれた時に、「ロッテ・ワールド・ホテルです」と、答えた。

それを聞いたお兄さんは、「ロッテ・ホテルじゃないんですか? 送り届けるサービスはロッテ・ホテルしかしてないんですよ・・・」と、申し訳なさそうに言ったのである。

10分以上にわたって小走りで追いかけさせた後の、ポカン顔をするお兄さん。

もういい、何でもいいから、とにかく大金をはたいて手に入れた大量のキムチを返してくれ・・・。

だが、お兄さんは悪くない。

店のおばさんが、完全にロッテ・ワールド・ホテルを、ロッテ・ホテルだと聞き間違えて、彼に間違った情報を伝えたのだから・・・。

そんなわけで、marikyoさんは10分以上の時間を経て、やっとの事で、その両腕にキムチの詰まった袋を取り戻す事が出来たのである。

当然、全てが終わった後、我らは疲れきっていた。とりあえず、ホテルに戻りたい、そんな気持ちだ。

姉マウスキーとTさんたちは、美味しそうな韓国のりを見つけたという事で、順調に買い物を済ませる事が出来たらしい。

本当に疲れた、疲れたのだが・・・ホテルに戻った後、どうしようもない衝動がマウスキーとmarikyoさんの胸に沸き起こってきた。

酒が飲みたい──。

そして、再び、酒を求め、力を振り絞って夜の街へと再度駆り出したのであった。

つづく。

2017年4月24日月曜日

体調不良のため、休みます。

今日は、空気中に何だか色々なものが飛んでいたんだと思います。

そのため、体調不良で韓国旅行の事を思い出せないので、今日は記事をお休みします。

たびたびすみません!

明日は、ロッテ免税店のお土産事件についての記事を書く予定です。

よろしくお願いします!

2017年4月23日日曜日

韓国旅行記 - その6「激辛のトッポッキを食べた結果・・・」

釣り銭騒動を終え、やっとの事で明洞に到着した我々一行は、とりあえず買い物をパパッとする事にした。

ソウルの街は、都会だった。

ただ、不思議と、やっぱり日本人であるという事は悟られるようである。

一体、どのあたりなのか分からないのだが、化粧の仕方か、ぬるま湯に浸かった顔をしているか、そんなところで判断するのであろうか?

そのぐらい、街を歩いていると、お店の人たちが日本語で話しかけて呼び込もうとしてきたのだ。

そんな人たちを巧みに交わし続けていた我ら四人だったが、とうとう姉マウスキーが罠にはまってしまったのだった。

どうやら、化粧品のお店の前に立っていた女の人に、試供品を差し出されたので、受け取ってしまったのである。

そして、受け取った後はそのまま立ち去ろうとする。

それが日本でもよく見かける姿だし、そういうものだと思っても仕方がない──日本人ならば。
そう、ここは日本ではない、韓国である。

試供品を受け取ったまま、その場を立ち去ろうとした姉マウスキーは、お店の前に立っていた女の人に腕を素早く掴まれ、「試供品を受け取ったなら、店の中を見て行って」と、強引に言われたのだ。

例に漏れず気の弱い日本人四人組の我々は、言われた通りに店の中に入った。

別に試供品を受け取ったわけでもない、Tさんと、マウスキーと、marikyoさんまでもが道連れで店頭にぞろぞろと入って行ったのだから、正に、ザ・日本人な光景だったに違いない。

とりあえず、店の中をうろうろしてまわり、何も買うものなどない、と、思っていたのだが、結局のところ、「これは良さそうだ」「便利そう」「使いやすそう」「安いし、いいのではないか」などと思い、その店で何らかのアイテムをゲットした我ら四人であった。

最早、店の人の思うツボのツボだったに違いない──。

悔しいが、そこの店で購入したアイテムは、日本に帰国後も愛用してしまい、もっと購入しておけば良かったと思うほど、使い勝手のいいものだった。

そんなカルチャーショックと散財をした後、とうとうお目当てのトッポッキと対面する事が出来たのである。

ジャーン、こちらがお目当てだったトッポッキである!

甘辛いとは聞いていたので、想像していた味は、醤油砂糖のような、そんな感じの味だった。

しかし、一口食べて見て分かった。

それは、人生の中で、一度も経験した事のない辛さだという事を──。

食べれば、食べるほどに、口内は炎症を起こしたのではないかというほど、痛みと共にに熱を帯びてくるのである。

これ以上食べたら、口内は酷い事になるのではないか・・・そう思っているのに、何故か不思議と食べる手が止まらないのだ。

そんな、自制心すらも奪ってしまう、不思議なトッポッキの魅力に取りつかれたマウスキーは、人見知りの枠を超えて、思わず「マシッソヨ!(おいしい)」と、屋台のおばさんに向かって叫んでいた。

もちろん、マウスキーだけではない。

姉マウスキーも、marikyoさんも、Tさんも、「マシッソヨ!」と、トッポッキを食べながら、屋台のおばさんに精一杯伝えていたのだ。

屋台のおばさんは我々に笑顔で振り向くと、「ありがとー」と言いながら、おでんのスープをサービスで我々にくれたのである。

嬉しいが──正気なのか?

激辛のトッポッキを食べ、すでに口内は炎上状態なのに、湯気を立てている熱い飲み物を飲めると言うのか?

しかし、貰ったものは、飲むしかない。

そして、飲んだ結果、予想した通りに口内は大炎上になった。
しかし、このスープも美味しいとくる。
トッポッキを食べる手も止まらない。

そして、全てを完食した時、マウスキーの口内の炎上は収まり、辛党の人間に生まれ変わってしまっていたのである。

これぞ、トッポッキの魔力。

辛党になりたい人は、トッポッキを食べてみる事をお勧めする(もちろん、辛党に生まれ変わらなかったとしても、マウスキーは何の責任も取らないが)。

ちなみに、屋台のおばさんは、我々が「マシッソヨ」と散々叫んでいた為か、突然に売り文句で「日本人も大好きトッポッキー」と言い出していた。

市内の様子。

とりあえず美味しい屋台料理を食べた我々は、次は明洞にあるロッテ免税店に行き、お土産の類を購入する予定であった。

そんな向かっている最中の事である。

我々四人のところに、謎の取材陣がやって来て、「取材させてください」と言ってきたのだ。

その時、自然と二派に別れた。

マウスキーとTさんは、何となくスーッと後ろに下がり、取材陣にそのまま絡まれる事はなかった。

ところが、姉マウスキーとmarikyoさんは、何となくそのまま取材陣に捕まり、謎の取材を受けたそうだ。

マウスキーとTさんは、そんな二人の様子を遠くから眺めて、「何の取材を受けてるんだろ」と話し合いをしていた。

戻ってきた二人に、何の取材だったのか尋ねたのだが、よく分からなかったが、観光についての質問をいくつかされたそうである。

そんな謎の取材も終わり、やっとの事でロッテ免税店についた我ら四人は、再び二組で別れる事なった。

姉マウスキーはTさんと、マウスキーはmarikyoさんと組んでお土産を買う事にした。

まぁ、あとはお土産を購入するだけなので、大した問題もないであろう・・・そう思っていた。

だが、海外旅行で「問題なし」という言葉は存在しなかったのである。

つづく。

2017年4月22日土曜日

今日はお休みします。

韓国旅行記のトッポッキゲットの経緯を書こうとしていましたが、多忙のため、どうやら書けそうにありません・・・。

残念ですが、今日はお休みします。

明日には一瞬で辛口に目覚めさせるほどに美味しかった、ミラクルなトッポッキのエピソードを書きますので、よろしくお願いします!

2017年4月21日金曜日

韓国旅行記 - その5「釣り銭を忘れると大騒ぎになります」

イタリア旅行の際は、チケット販売機にボラれた事のあるマウスキーだが、今回の韓国旅行ではそのような失態は一度たりとも犯したくないと思っていた。

そこで、今回は全員がチケットを滞りなく購入している様子を見てから、購入する事にしたのである。

ソウルの地下鉄は路線が分かりやすかった事と、チケット販売機も分かりやすい、というか、日本語の説明も書いていてくれる親切丁寧だったという事から、予想以上にスムーズに地下鉄の切符を手に入れる事が出来た。

こんなに滞りなく初日の海外で地下鉄を利用出来るとは思いもよらなかったほどだ。

先にチケットを購入した姉マウスキーとTさんとmarikyoさんのところに合流して、早速先に向かいかけた、その時である。

何か事件が起こったのか?──と、思うほど、その場は大勢の韓国人の人達が大声で騒ぎ出したので、一気に騒然とした雰囲気に包まれた。

何か起こったのだろうか?と、思って振り向くと、どうやらマウスキーがチケットを購入していた機械に並んでいた人たちが、こちらを向いて、これでもかと大声を張り上げて騒いでいるのである。

一体、何をしでかしたのだろう?──

もしかすると、マウスキーの機械操作でエラーが起こり、みんなは「なんてことしたんだ、この野郎」というようにバッシングをしているのだろうか?


呆然とマウスキーが彼らを見ていると、すぐ真後ろに並んでいた韓国人の女性が、怒ったような様子で勢い良く、真っ直ぐにこちらへとやって来た。

一体、何を叱られるのだろうかと様子を見ていると、女の人はマウスキーの腕を掴むと、無理矢理チケット販売機の前に引っ張って行ったのである。

引っ張られている間、マウスキーは「何かしました? トラブルありました?」と、日本語で問いかけてわずかに抵抗したのだが、結局大勢の前に連れて行かれてしまったのだった・・・。

そして、女の人は大声で叫びながら、チケット販売機のおつりが出るところを指差し、おつりのところにある釣り銭らしき小銭を掴むと、マウスキーの手に釣り銭を置いてくれたのである。

どうやら、怒られていたわけではなく、大勢で「釣り銭を忘れているよ!」と、親切に叫んでくれていたらしい事が発覚・・・。

完全に怒っているように見えたので、鬼だと思っていた人が、実は天使だったという、そんなドラマを一瞬の内に見たような気持ちになった。

マウスキーは、下手くそな韓国語で「ありがとうございました」と再々お礼を言い、小さくなって3人が待つ場所へと急いで戻った。

いや、でも、わずかな小銭であれだけ大騒ぎして、外国人の手を引っ張って釣り銭を渡してくれるというのは、かなり親切な人たちだった、そう思う。

様子を見ていたTさんも、「親切だな」と、コメントをしていたほど、大勢が釣り銭を忘れたマウスキーに親身になってくれていたようだ。

ただ・・・日本人は、シャイなんだ・・・。

本当に心の底から嬉しかったし、有難いのだけれど、何故だか穴があったら入りたいほど恥ずかしい気持ちを覚えたマウスキーは、明洞に到着するまで小さくなってしまったのだった。

そして、明洞に到着後──とうとう、トッポッキを求めて我々4人は歩みだした。

つづく。

2017年4月20日木曜日

韓国旅行記 - その4「世界共通語の威力を思い知った」

ロッテワールドホテルから一歩外に出て気が付いた事があった。

そう、ロッテワールドホテルは、郊外に位置する場所にあるホテルなので、市街地からは随分と離れた場所に建っていたのである。

つまり、ホテルから明洞に行くには、かなり移動しなければ難しい話だ。

そのため、地下鉄を利用するしか他に選択肢はない。

駅に移動する最中の街並み。

ところで、我々4人の中に語学に長けた人は、全くいなかった。

一応、韓国語は勉強していったのだが、数を数える事が出来て、ハングル語を読める程度で満足してしまったため、会話にまでは至らなかったのである。

挙げ句の果てに、父マウスキーが「韓国では大体日本語が通じるはずだ」と断言していたため、鵜呑みにしてしまっていたのだ。

そんな怪しい語学力を持つ我々は、この郊外の土地で、突然迷子になってしまった。

駅かと思って行ってみると、そこは店だったり・・・・完全に駅が見つからないという状況だ。

ここは、勇気を出して道を訪ねるしかない──。

そして、その役割を担ってくれたのが姉マウスキーであった。

姉マウスキーは、早速父マウスキーに言われた通り、「すみません、道を聞きたいんですけど!」と、どこからどう聞いても立派な日本語で、通りかかりの女性に話しかけた。

すると、どうだろう。

相手はぎょっとした顔で、欠片も聞き取れないという様子で、必死に首と手を振り振りその場を逃げてしまったのである。

ちょうど、外国人が日本人に「ハロー」と話しかけた時に、「ノー・イングリッシュ」と言いながら逃げ出す様子に類似していた。

日本語に困り顔で逃げていく人。

これは、どうやら日本語は通じないぞ・・・・と、すぐに気が付いた。

何故、韓国語会話をもっと真剣に勉強しなかったのだろう・・・ここで、再び語学に関する後悔が波のように押し寄せてきた。

しかし、郊外の道端でぐずぐずしていても、時間は過ぎていく一方である。

姉マウスキーは、今度は通りすがりの男性に、思い切って英語で「駅はどこですか?」と聞いてみる事にした。

すると、どうだろう!

相手の男性は「ステーション?」と聞き返してきて、大きく指をさしながら「こっちですよ」と、英語で駅が見える場所まで案内してくれたのである!!

ここで思い知った、世界共通語の威力。

そして、なんと親切な人だろう!

英語で全力で説明して道案内してくれた親切な人。

いきなり言語という壁にぶつかったものの、初日から親切な人に出会う事が出来たので、なかなか滑り出しは絶好調であった。

そして、我ら4人は無事に駅にたどり着いたのだが、マウスキーはその時、地下鉄で失態を犯す事になるとは、想像もしていなかった。

つづく。

2017年4月19日水曜日

韓国旅行記 - その3「ロッテワールドホテルの洗面台はアートだった!?」

ロッテワールドホテルに到着した我々は、とりあえずはチェックインをして、部屋で一休憩する事にした。

初日から忙しくする気はなかったので、この日の予定としては、ホテルでゴロゴロした後に、屋台で「トッポッキをゲットする」というミッションを立てていた。

もちろん、トッポッキ以外にも美味しそうな屋台料理があれば、胃袋が許す限り食を堪能したいと考えていた。

ホテルの部屋割りは、姉マウスキーとTさん、マウスキーとmarikyoさんとなっていたため、姉マウスキーとTさんがホテルの部屋でどんな風に過ごしたのか、どうかは、あずかり知らぬ事である。

そのため、紹介するのは、マウスキーとmarikyoさん組の事となる。

我ら二人は、ホテルの部屋で最初に行った事、それは撮影会であった。

マウスキーが撮影した洗面台。
洗面台に特に感動したのだろう。

ところがである!

洗面台に感激したのは、マウスキーだけではなかった。

marikyoさんが撮影した洗面台。

なんと、marikyoさんまでもが洗面台を撮影していたのだ!

これはもはや、ロッテワールドホテルの洗面台が芸術的に感動させるものだったという事ではないだろうか?

こんな風に洗面台に感激している間にも時間は過ぎていき、姉マウスキーとTさんから、「そろそろ食べに行こう」という召集がかかったので、明洞に出かけて、屋台で食べ物をゲットする事にした。

それと、もう一つ明洞へ向かう理由は、お土産を買うという目的があった。

初日にお土産というのは気が早いようだが、最初にお土産を買ってしまえば、あとは観光を満喫できるという考えがあっての事だ。

ロッテワールドホテルを出たのが17時頃の事だったので、時間はたっぷりとあった。

こんな風に、とうとうソウルでの1日目が開始された。

ロッテワールドホテルの外観。

つづく。

2017年4月18日火曜日

韓国旅行記 - その2「ハイテンションすぎるJTBの女の人」

さて、今日は韓国旅行記の続きを書こうかと思う。

空港を出た我ら4人は、迎えに来てくれていたJTBの女の人に迎えてもらった。

迎えに来てくれたのは、イタリア旅行の時とは違って日本人ではなく、現地の韓国人の女性で、とても元気でお喋りな人だった。

かなりテンションが低く、ノリの悪い4人組だったので、このJTBの人のハイテンションな説明ぶりには、全員揃ってドン引いてしまっていた。

そんな潮が引くように急激に気持ちが下がっていっている我々4人を物ともせず、JTBの人は、声高にハイテンションに喋って、喋って、喋り倒し続けた。

もはや、話の間に口を挟む術がないほどである。

時々、運転手のおじさんとも喋るので、韓国語で喋ったかと思えば、日本語で我ら4人に向かって再び喋り始めるのだ。

冷血動物のように反応が薄く、テンションの低い我ら4人は、ぼーっと説明を聞いていたのだが、結局のところ、何を彼女が一生懸命に説明していたのか、完全に覚えていなかった。

どうしていいかも分からなかったので、そのまま黙って「はー、そうなんっスか。なるほど」と、言いながらぼんやりと聞いていた我々に、突然にJTBの女の人が「何か、質問はありますか?」と、切り出してきたのである。

突然に質問を問われた我らは動揺を隠しえなかったが、とりあえず、色々と各々が質問をしてみる事にした。

まず、最初に、美味しいお店はありますか?──と、いうこと。

JTBの女の事は、元気良く「ありますよー! これです! JTBのサービス券で行ける、日本人にも人気のお店です!」と叫びながら、チラシみたいなのを配ってくれた。

そうまで薦めてくれるならば、行ってみるしかないだろう、という事で、我々は彼女の推薦に従う事にした。

それから、「韓国では結婚式ってどんな感じなんですか?」と、いう質問。
観光には全く関係のない質問を、一体4人の中の誰が聞いたのかは知らないが、JTBの女の人は丁寧に答えてくれた。

韓国では、大体人前式です、という事であった。

そして、次には、「何故、ソウルの建物は、屋上が緑なんですか?」と、いう質問。

再び、観光に完全に関係のない質問だったので、さすがにJTBの女の人も、「本当に? さぁ、なんででしょうね。緑そんなに多かったですか?」と、どうでも良さそうに答えてくれた。

他には、ビールのアルコール度数は大体11%ぐらいですよ、という話なども聞いた。

そして、何よりも、マウスキー達は焼肉屋に行き、マッコリを飲みたいのだ、という話をJTBの女の人に話した。
そのため、「マッコリのアルコール度数が平均でどのくらいあるのか、教えてください」という事も聞いた。

その途端の事である。

今まで元気溌剌だったJTBの女の人の顔は一瞬で曇り、「は? マッコリ?」と、不可思議そうに話しはじめた。

「マッコリって、どぶろくみたいなものですけど?」と、逆に我々4人に問いかけもした。
「飲んだら二日酔いがひどいですよ。アルコール度数は8%ぐらいですけど」と、完全に冷え切った表情で教えてくれた。

挙げ句の果てには、「飲む必要ありますか?」と、最後に付け足して聞いてきたのである。

「いや、飲みたいですけど?」と、我ら4人は答えた。

マッコリに憧れを持っている4人を冷めきった目で見ると、JTBの女の人は、「まぁ、そんなに飲みたいなら、飲んでみたらいいですよ」と、完全に見放したかのように言い放ったのである。

全力でマッコリを否定するJTBの女の人。

彼女のお陰で、我ら4人が不安に叩き落された事は言うまでもない。

あれほど、焼き肉屋でマッコリを飲むという事を楽しみにしていたのに、何故だか無意味に恥ずかしいような気持ちにさせられてしまったかのようだった。

──JTBには、こんな感じの女の人しかいないのだろうか──。

とりあえず、ただでさえテンションの低かった我ら4人は、完全に地にのめり込むほどに低テンションになり、ホテルに到着するまでの間、ずっと寝てしまったのである。

そう、4人揃って眠りこけていたので、一体その道のりの間は何一つとして覚えていない。

とりあえず、目が覚めた時には、目的地に到着していた。

到着したホテルは、ロッテワールドホテルであった。

つづく。

2017年4月16日日曜日

韓国旅行記 - その1「空港編」

今だったら、韓国に旅行に行く事は少しためらってしまうだろう。

しかし、当時は行きやすい国であった為、イタリア旅行では食べる事を二の次にした旅行をしたので、韓国では美味しいものをたくさん食べようと思い立った。

韓国旅行に一緒に行く事になったメンバーは、マウスキー姉妹と、姉マウスキーの幼馴染のTさん、マウスキーの幼馴染のmarikyoさんの4人で行く事で決定した。

予定は、一泊二日。

出来たら、ゆったりと食べ歩きなどをしながら、優雅な旅行にしたい。

そんな理想を胸に抱き、韓国へと向かった。

多分、これは関空での待ち時間?
一体何を撮ったのだろう・・・覚えていない。

そんな感じで飛行機に乗り、早速出発。

すぐにソウルへ到着。

予想以上に早い到着であった。

あまりにもあっと言う間についたので、到着した事に感動をするほどにはならなかったのだが、そこにある文化は明らかに日本ではないという事を物語っていた。

空港でmarikyoさんが激写していたお籠。

その拡大図。

marikyoさんは、バンビが大好きなので、拡大写真を撮りながら「鹿が可愛い」と大感激をしていたようである。

可愛いか、どうか、それを見ている人によると思うのだが・・・確かに、味のある装飾だった。

そして、海外に来たという実感が少ないまま入国を済ませると、迎えに来ているJTBの人と対面する事となったのである。

つづく。

2017年4月14日金曜日

名前は大事だと思う。

マウスキーの隣人には、「身から出たサビの会」という人がいる。

やっぱり、名前は何にしても大事だと思う。

あまり、響きが良くない。

なにせ、その隣人がいくら正しい事を言っても、ちょっと「ウザい・・・」と感じてしまえば、「精一杯してるのに、人に嫌がられるというのも、身から出たサビか」と言われてしまうのである。

一体、どういう会なのかは分からないが、うさん臭い響きもする。

まぁ、それもやはり「身から出たさびか・・・」。

そして、隣人であるマウスキー家に苦手に思われるというのも、結は「身から出たさび」というわけだ。

ちなみに、「身から出たさびの会」と知ったのは、隣人の家の前にポスターが張られており、その会に所属しているという事が発覚したからだ。

こんな風に話のネタにされたとしても、「身から出たさび」ではないのだろうか・・・。

やはり、こんな風に名前というのは大事なものだと思う。

いくら「身から出たさびだな」と、自分が感じたとしても、それを会の名前にしてしまうというのは、いかがなものなのだろうか?

やはり、サークルの名前にはポジティブなものを連想させる名前がふさわしい、そのように我思う。

身から出たさびなだけに、そんな風に反省する人が多い人たちなのだと、マウスキーは解釈している。

しかし、いまだに謎は深まる、「身から出たさびの会」──。

そしてついに、隣人の名前すら忘れてしまったマウスキー家は、「身から出たサビさんが」とか、「身から出たさびさんは」と、話をしてしまうのであった。

2017年4月13日木曜日

何故、マウスキーがウ〇チマスターと言われるのか。

食事中の方々には、大変申し訳ない話題だ。

しかも、この疑問は誰かに言われたわけでもなく、自分自身で「何故そんなにウ〇チを片づける手際が良いのだろう・・・」と、疑問に感じたから、取り上げてみる事にした。

やはり、何事も練習と研鑽を積まなければ、どんな物事でも上達しないものである。

そこで、どうやらマウスキーが過去にバイトで出ていた映画館の仕事が、ウ〇チを信じられないほどの手さばきで片づけさせる原因になっている事に気が付いた。

映画館の仕事で、何故ウ〇チの片付けが上手になるのか、不思議に思う人が多い事だろう。

だが、考えて欲しい。

仕事場に、専属のトイレ掃除をする人間はいないのである。

トイレ掃除をするのも、スタッフの仕事だ。

基本的に、トイレ掃除の悪夢は、年端もいかない子供が多い時か、ご高齢の方が多い時に限られている。

ドラ〇もんの季節なんかは、本当に色んな片付けでスタッフが翻弄される素晴らしい時期だ。

ゲロをしたり、和式便所慣れしていない子供が、ステキな感じで便器から大きく外れた場所にウ〇チを落とし物していたり、などなど・・・・

ゲロの片付けはした事がないのだが、落とし物を片づける役割は、不思議と多かったと思う。

パートの人には、時間の経った落とし物には、洗剤をふきかけ、時を待つべし、と、教訓として教えられるほどに、技のいる片付け仕事だった。

ご高齢の方にいたっては、お腹の調子が悪い人が多く、やはり和式便所で安定して事を成すのが難しいらしく・・・と、いう事だ。

そんな片付けをする事も、大体多かった。

そうして五年の時が過ぎた時である──。

トイレが大変な惨事になっている時、「トイレが大変な事に・・・」と、報告を受けた時、「ウ〇チの片付けなら、このマウスキーに任せろ!」と、言えるほどにマウスキーは成長していたのだ。

その成長を更に伸ばしてくれたのが、愛犬の小太郎の介護だった。

小太郎が寝たきりになった時、流水のようにウ〇チをした事があるのだが、あれは空気に触れた途端に、どんどんと固まっていくのである。

つまり、毛に絡みついたウ〇チは、鉄のように固くなり、小太郎はウ〇チの壁に覆われてしまっていくのだ。

本当に、時間との勝負となった。

最初は、数々のウ〇チによる歴戦を重ねてきたにも関わらず、小太郎の恐ろしい流れ出てくるウ〇チに、「誰か助けて!」と泣いていたマウスキーであった。

しかし、そんな試練も乗り越えた後は、再び小太郎によって流水のようなウ〇チが発射された時ですら、瞬間にそれを察知し、素早い手つきでそれらをシーツに受け止め、毛を少しも汚す事なくウ〇チの始末が出来るように大成したのだった。

そして、今現在・・・・愛猫ジャッキーの下痢の時も、愛犬リズの下痢の時も、眉一つ動かさず、1分以内にウ〇チを処理して片付け、消毒を済ませ、脱臭をするほどの名人になったというわけだ。

マウスキーよりもウ〇チを片づけるのが得意だという人がいるならば、名乗り出ればいい、そんな風に自信と誇りをもって、ここに宣言する。

そのため、マウスキーの周辺の人は、突然の腹具合に見舞われ、トイレに間に合わない内に悲劇を迎えてしまったとしても、安心して欲しい。

このマウスキーが瞬時に後片付けをして差し上げる事が出来るからである。

2017年4月12日水曜日

積志リコーダーカルテットとともに・その4~「コンサート」

Tomokoさんは、蟹雑炊、Aさんは蟹汁を作るという事で、さすがにマウスキー達も何かしなければならないだろう。

そこで、マウスキー達は母マウスキーにミートパイを作ってもらい(包むのは、我らでしたが、中の具を作ってもらった)、持っていく事にした。

そんなわけで、積志さんと鳥取バロックさんの楽屋には、ミートパイと、漬物と、おかきやチョコなどのお菓子、セルフで飲めるお茶やコーヒーや紅茶類等々を用意。

何一つ不自由がないように、細心の注意を払ったつもりである。

本番は午後からだったので、Aさんが早速、港に行って新鮮な親蟹を買ってきてくれたので、こちらを持ち込んで、その場で蟹汁を作ってもらった。

更に、野菜は、Aさんの畑から取れた大根だ。これが、また格別美味しい野菜なのだ!

もはや、周辺には蟹汁の匂いが充満していた。

リハを終えた徳永さんが、「蟹?」と、覗きに来られたので、Aさんが、「蟹汁を食べたいと言われていたので、作ったんです」と答えた。

それはもう喜んでいただいた事と思う。

早速、徳永さんがメンバーの人たちに「蟹汁だって」と報告をしていた。

みんなで待ちに待ちったAさんの蟹汁を、とても美味しく食べた我らは、蟹パワーにより、コンサートは無事に終了する事が出来た。

終わってから思った事は、積志さんたちとの格の違いというやつだ。

積志さんたちのコンサートは、何一つとして「長い」と感じるものがなく、「もう終わったの!?」と思ってしまうほど素晴らしかった。

演奏から、MCから、想像していたより遥かに素晴らしかったのである。

そして、最後には積志さんと鳥取バロックさんとたのしい笛の会による合同演奏で、とうとう幕を閉じてしまった。

その時の演奏は、積志リコーダーカルテットさんがYou Tubeに出しておられたので、紹介させてもらおう。

編曲は勿論、積志さんである。


「いのちの名前」



「アンダンテ・フェスティーヴォ」



マウスキーの隣は、テナーの斎藤さんだったので、何とか技を盗めないものかと、いつも演奏している様子を見ていた。

笛の師匠に教えてもらっていたので念頭にはあったのだが、孔を押さえる時には、「ポスッ」と音が鳴るほどに、カチッと全て押さえておられたのである。

知っていても出来ない事がある。

それが技術だ・・・。

その美しいフォームを前に、マウスキーはすっかり感動し、もっと笛を精進しようと思った。

書いていなかったが、鳥取バロックアンサンブルの演奏も素晴らしかった。
鳥取バロックさんは、観客を盛り上げる術を知っておられたようで、積志さんの前座として、かなり場を温めていただき、完璧なステージをしていただいた。

ちなみに、お客さんの中には、積志さんの追っかけの人も紛れていたらしい・・・まぁ、確かに、いるだろうな・・・マウスキーでも、とりとり県の近くで積志さんがコンサートをすれば、馳せ参じるであろう。

こうして、とうとうコンサートは大好評の内にとうとう終わってしまった。

終わってしまった・・・・最後は、コーヒーを飲み、Tomokoさんのお母さんがみんなのために持ってきてくださったケーキを食べながら、静かな打ち上げ会となる。

今まで全力で「おもてなし」をしてきた笛の会は、とうとう下心をその場においてさらけ出す時となった。

積志リコーダーカルテットさんの編曲楽譜集、全12巻を我らは所持していたのだが、こちら全てにサインをしていただけないか・・・・という、お願いごとだ。

迷惑に思われないか心配していたのだが、その逆だった。

「いいよ!」の一つ返事で、積志さんたちは、本番後のコーヒータイムの間に、12冊の楽譜全部に楽しみながらサインをしてくださったのである!

仏のような方々だ!!

笛の会はとても感動し、再び地にひれ伏したいような気持になった。 

我らは元より積志さんのファンであったのだが、これを期に、ますますファンとなったと言っても過言ではない。

サインしていただいた楽譜は、もはや笛の会の家宝として、大切に保管している。

さて、素晴らしい時間というのは、あっという間に過ぎてしまうものである。

夕方の16時頃になった時、とうとう積志さんたちとお別れの時間がやってきた。

積志さんたちは車で地元に帰り、翌日から仕事があるので、早く帰らなければならなかったのだ。

そして、爽やかに積志さんたちはコンサート会場を後にされると、とうとう帰ってしまったのである。

物凄く寂しい気持ちになった、そんな事を記憶している。


──ざっくりとまとめて思い出話として、振り返ってみたのだが、今思い返してみても、やはり素晴らしい経験だったと思う。

またとりとり市にお招きしたい・・・と思ってみたり、今度は積志さんのコンサートを聴きに行きたい、と、思ってみたりもする。

もしかすると、再びそれは実現するのではないかと思う。

ある日、意外なタイミングで。


積志さんたちと記念撮影。


おしまい。

2017年4月11日火曜日

積志リコーダーカルテットとともに・その3~「蟹の懇親会」

いよいよ懇親会が始まった。

大体、必ずそのような席で行われる自己紹介なる苦行も過ぎ去った。

積志リコーダーカルテットと、鳥取バロックアンサンブルと、たのしい笛の会の3つの会の懇親会という事なので、メンバーもそれぞれバラバラに席を配分されて座っていた。

人見知りには実に厳しい事態となったのだが、目の前にはお世話をしてくださるN先生がいたので、そこは人見知りのマウスキーにとっての救いであった。

この時、鳥取バロックさんと積志リコーダーカルテットの皆さんの話で知ったのだが、積志さんは蟹を食べに鳥取に行きたいと、強く願っていてくれていたらしいのだ。

そして、とりとり市の蟹に非常に喜んで下さったので、この時生まれて初めて、蟹が取れる場所に生まれ育って良かったと、誇りにすら感じる事が出来た。

そんな時だ。N先生が蟹を食べながら、「地元民は、大体蟹汁で蟹を食べる」と、言い出したのだ。

「蟹汁!?」と、徳永さんが最初に食いついてきた。

蟹汁とは、とりとり民が愛する家庭料理の一つで、親蟹と呼ばれる小さな蟹で出汁を取り、大根を入れて、味噌汁にして食べるというものである。

親蟹には身は入っていないのだが、蟹の卵なんかがとても美味しく、豚汁と並んで、冬の定番料理の一つだ。

そんな話を聞きながら、積志さんたちは、「蟹汁も食べてみたいなぁ」と、つぶやいていた。

このように、とても楽しく、賑やかに懇親会は進んでいっていた。

ちなみに、マウスキーの周辺以外の席でも、色々と楽しく盛り上がっていたようである。
姉マウスキーとAさんは、曽根さんの近くに座っていたらしい。

話によると、曽根さんは蟹の身をほぐすプロだったらしく、それは素晴らしい手つきで蟹の身をとってくれたらしいのだ。

すっかり姉マウスキーとAさんは感動してしまったとの事だ。

更に、中央の席での事である。

中央の席には、Tomokoさんの近くに、徳永さんと、斎藤さんが座っていた。

この時、Tomokoさんは、カニ鍋による秘密奥義を密かに誰にも知られる事もなく繰り出そうと、ずっと力をチャージしていたらしい。

カニ鍋を食べ終わり、しめの雑炊に入った時、その力が解き放たれた。

彼女は、なんと、蟹を食べずに、積志リコーダーカルテット様のために、黙々と蟹の身をこの時のためにほぐし続けていたというのである!

これぞ、彼女の奥義「蟹雑炊」だった!

マウスキーは、殆ど出汁だけになっていた鍋に、米と、Tomokoさんが散々ため込んでいた蟹の身が投入されていく様子を見て、衝撃を隠しえなかった。

この蟹雑炊という技は、他の誰一人として思いつかなかった技であった。

後々、Tomokoさんは、積志さんたちに食べて欲しいために、苦手な身を頑張ってほぐして蟹雑炊にした、と言うのだ。

この涙が出るほどの、おもてなし術。

世界よ、これがとりとり市民だ!

これには、さすがに徳永さんも斎藤さんも感動したようだ。

そんなわけで、Tomokoさんの仕切っていた鍋では、蟹の身たっぷりの蟹雑炊が振る舞われたわけである。

カニ鍋最優秀賞は、こういったわけでTomokoさんの鍋が授与する事となった。

さて、たっぷりと蟹を堪能しながら、想像以上に親しみを感じる事が出来た今回の親睦会。

コンサートの後に打ち上げをするよりも、先に親睦会をする事の意義をみんなで語るほどだった。

そして、永遠に続いてほしいと思うほど輝かしい親睦会も終わり、皆は帰路についた。

しかし、まだまだおもてなし作戦は終わってはいなかった。

帰りがけに、Aさんがその本領を発揮してきたのである。

なんと、コンサート本番の早朝に港に行き、蟹を仕入れて、積志さんたちが「食べてみたい!」と口を揃えて言っていた、「蟹汁」をお昼ご飯に作ると言い出したのだ。

そんな料理が出来るのは、確かに笛の会では、Aさん以外に誰もいない。

全力でおもてなしをしたい我らは、全力でAさんを支援する事にしたのだった。


2017年4月10日月曜日

実写版「美女と野獣」は観に行くべきか・・・

実は、実写版の「美女と野獣」を観に行く予定は、欠片もなかった。

キャスティングのイメージが、あまりマウスキーの中でしっくりこないからだ。

ベルはもっとフランス人のイメージだったし、ガストンはアニメの通りゴリマッチョなイメージがあったのだ。

それに、そもそも過去のアニメのディズニー作品を実写にするという風潮も、あまり好きじゃない。

「結局、時代に残るのはアニメの方だろ。実写はしてみた感がどうしても拭えない」

そう思っていた。

ところが、今になって180度その考えは変わった──。

ユアン・マクレガーの歌っている「Be our Guest」が聴きたすぎるからでもない。

それは、You Tubeで見つけてしまった、こちらの動画である。

作曲家のアラン・メンケンが来日した時の、ディズニー公式チャンネルの宣伝動画。

↓ ↓ ↓



正直、マウスキーは派手派手しい宣伝の数々にうさん臭さすら感じていた。

しかし、この動画を見て、神が降臨したのではないかと、まんまと乗せられて感動してしまったのである。

しかも、新曲が三曲もあるだと!!

これは、是非観に行かなければならないだろう。

しかも、映画音楽の殆どが、アニメとは全く違う曲になっているので、絶対観たい! と、いう風に気持ちが変わった。

どうせアニメの方が歌唱力は高いはずだ、とか、そんなヒネくれた考えも、この際はどうでも良くなった。

そして、思った──。

宣伝とは、このぐらいしなくてはならないのだと。

以前、宮川彬のオペラ「ブラックジャック」を観に行ったのだが、宣伝力のなさが故に、客が少なかったと言っても過言ではない。

物凄く面白かったのに・・・・・・。

そんなわけで、宣伝に関しては、さすがディズニーだ。

そして、絶対にサウンドトラックの二枚組を買ってしまう事も予測する。

もし、観に行ったら、忘れずに感想を書き記しておく予定である。

2017年4月9日日曜日

録画したドラマのタイトルがおかしい・・・。

「積志リコーダーカルテットとともに」シリーズを書きながら、自らの散々な失態を振り返り、ちょっと気分が落ち込んだので、今日は気分転換に違う話をする事にした。

今日は、先日姉マウスキーと思い出した事を書く事にした。

それは、居間の大掃除をしていた時の事である。

部屋には、数多くのDVDが散乱していたので、マウスキー達はせっせと片づけていた。

その中に、当時母マウスキーが気に入っていた、「ソドンヨ」という韓国ドラマのDVDがあったので、そちらをかき集めて、埃をふき取り、綺麗に第一話からまとめようとしていた、その時である。

姉マウスキーが、何かの違和感を感じて叫んだ。

「これ、ソドンヨじゃないで。ソヨンドって書いてある!」

何だと!?

確かに、DVDには、しっかりと母マウスキーの直筆で、大きく堂々と「ソヨンド」と、書いてあった。

「きっと、ソドンヨを間違えてソヨンドだと記憶してしまったんだな・・・」と、マウスキー達は思い、そっとしておいてあげる事にした。

そして、数枚片づけていくと、更なる驚愕が待ち受けていた。

なんと、今まで「ソヨンド」と書いていたDVDに、突如「ソンヨド」というタイトルが現れたのだ。

あまりにも吃驚した姉マウスキーとマウスキーは、もう一度それまでのDVDを確認し、「ソヨンド」から「ソンヨド」に変化しているのを確認した。

これは、どういう事なのだろうか?・・・もしかすると、途中で、「ソヨンドじゃなくて、ソンヨドだった」と思い直して、書き改めはじめたのかもしれない。

それに、何枚か確認したのだが、それからはずっとソンヨドで書いてあるようだ。

マウスキー達は苦笑しながら、DVDの埃をふき取り、丁寧に重ねていった。

ところがである。

どうやら、ソンヨドの時代は、ソヨンドほどは長く続かなかった。

なんと、再び新しく「ソヨドン」というタイトルが現れたのだ!

ソヨドンだと!?

まるで、恐竜のプテラノドンやイグアノドンみたいな仲間が飛び出してきてしまったようである。

姉マウスキーとマウスキーは、その目まぐるしく変化するタイトルを見て、やっと悟ったのである。

「母マウスキーは、頭文字が『ソ』で始まるという事以外はうろ覚えだったので、全てのパターンを、タイトルに書くつもりなのだろう」──と。

つまり、最後にやっと真の答えである「ソドンヨ」にたどり着くはずである。

マウスキーと姉マウスキーは、DVDを一枚一枚積み重ねていきながら、ソドヨンの代が終わるの待った。

待って、待ち続けた。

そして、最後の一枚を積み重ね終わった・・・・。

何だと!?

そう、ついに、「ソヨドン」でタイトルは終わったのだ。

つまり、こういう事だ。

ソヨンド ⇒ ソンヨド ⇒ ソヨドン ⇒ ソドンヨ(正解!)

何故、あともう一歩頑張って、ソドンヨという真の答えを導き出さなかったのだろう。

「ヨ」と、「ン」と、「ド」の三文字を入れ替えて出来るパターンは、どのみち四つしかないのだ。

まさか、ソヨドンで納得したのではあるまいか・・・。

とにかく、マウスキー家にある「ソドンヨ」の録画DVDには、何一つとして正しいタイトルが書かれていないものが残されたという事になるのである。

ところが、何よりも不思議なのは、母マウスキーがある日「ソドンヨを見ていた時があった」と思い返した事だ。

思い出す時は、何故かちゃんと「ソドンヨ」だと認識しているのである。

そんな、謎の母マウスキーの言葉のパズルにより、完全に姉マウスキーとマウスキーは掃除を忘れるほどに翻弄されてしまったという、苦い思い出だ。

そして、今では見かける事は少なくなったのだが、「ソドンヨ」についての事を聞いたり、見かけたりした時、どうしても脳裏には「ソヨドン」と、「ソンヨド」と、「ソヨンド」という謎の三人がよぎってしまうのであった。


2017年4月8日土曜日

積志リコーダーカルテットとともに・その2~「蟹の店までの道のり」

実はマウスキーは、一人で積志リコーダーカルテット様に最初に「もう少し待ってください」と、時間を伝えに行ったのだが、殆ど人見知りによる緊張からなのか、何を話していたのか覚えていない・・・。

記憶に残っているのは、曽根さんが「蟹のお店ってどこらへんにあるの?」と聞いてきたあたりの会話だ。

マウスキーは、その当時google mapを上手に使えなかったどころか、免許を取って間もない頃だったので「調べても分からないんですよ」と、神妙に答えたと思う。

今思えば、積志リコーダーカルテットの方々を車に乗せて、蟹の店まで行かなければならない任務を持っていたにも関わらず、恥ずかしげもなく堂々と「分からないんです」などと言っていたのだと思うと、相当恥ずかしくなる。

しかし、その時は知らない人と会話をしているだけで精一杯なので、恥ずかしいなどという事はミジンコたりとも考えてはいなかった。

さて、いよいよ時間になり、Tomokoさんもやって来たので、車で移動する組を分ける事になった。

Tomokoさんの車には、ソプラノの徳永さんと、ベースの曽根さんが乗る事になった。

そして、マウスキーの車には、アルトの内海さんと、テナーの斎藤さんが乗る事になった。

気の毒な事に、マウスキーの車に乗る方は、外れクジだったのである。

ちなみに、助手席にはAさんが乗ってくれる事になっていたので、道案内なりとはしてもらえるはずだと信じていた。

ところが、Aさんも店の場所を知らないという事が発覚。

積志リコーダーカルテットのお二方を後部座席に乗っていただきながらも、店を知らず、google mapも使えず、車にはナビもない、絶体絶命のピンチとなった。

「Tomokoさんの車についていけば、大丈夫ですよ」

そう言った、数分後である。

Tomokoさんの車を見失ったどころか、違う車を彼女の車だと思って、一生懸命について行っていた事が判明。

完全に謎の入り組んだ民家に突入。

「どこだここ!」

叫んだものの、Aさんすら分からない場所に来ていた事が判明。

こうなったら、来た道を戻るしかない!──しかし、来た道すら分からない!

人目も気にせずにパニックになるマウスキーの横で、Aさんが一生懸命に後部座席の斎藤さんと内海さんに、「すみません」と謝ってくれていた。

もちろん、マウスキーも平に謝りながらパニックになっていたのだが、周辺は暗くなっていたし、完全に勘で突き進むしか残された道がないように感じた。

そんな究極な時である。

「そこを右に曲がってください!」──と、天のお告げのような声が後部座席から響いた。

その声の主こそ、内海さん、その人であった。

なんと、スマホでgoogle mapを検索し、今のいる場所をGPS機能で探知し、道案内をしてくれたのである。

粗相がないようにしようと努力をしていたにも関わらず、まさかの、他県から来て下さったゲストの内海さんに、蟹の店までの道案内をしてもらう事になるとは・・・・

そのまま道案内をしてもらっていたマウスキーなのだが、道なりで「ピン」とくる道は一つもなかったため、店に到着するまで、内海さんにずっと道案内をしてもらったのである。

申し訳ないほど迷惑をかけたのだが、内海さんも斎藤さんも迷惑そうな様子を一欠けらも見せず、「大丈夫ですよ」と言ってくださったのだ!

素晴らしい演奏をする人は、人間レベルもこれほどに高いのか・・・・再々、感動し、両手を合わせて拝みたくなる気持ちになった。

そして、結局のところ、迷子になっていた時間が、かなりの時間ロスになっていたため、蟹の店についたのは我々が最後で、もはや全員が席に揃っていたらしい。

もちろんの事だが、たのしい笛の会のメンバーには、これでもかとマウスキーは叱られ、穴があったら入りたいという空想にしばらく耽る羽目となった。

しかし、この時の事がきっかけで、マウスキーはgoogle mapを死ぬほどつつき倒し、今では何かと「google mapがあるから、どんな場所でも行けますよ」と言えるほどに大成したのである。

とりあえず、無事に蟹の店にも到着する事が出来たので、積志リコーダーカルテットと、鳥取バロックアンサンブルと、たのしい笛の会の親睦会がようやく始まった。


2017年4月7日金曜日

積志リコーダーカルテットとともに・その1~「ご到着」

今回のコンサートの主催となる、我々たのしい笛の会は、全力投球で「おもてなし」をする誓いを立てていた。

もちろん、共催して下さる事になった、鳥取バロックアンサンブルの皆様方にも、「あいつ等とは二度と一緒に何もしたくない!」などと、不愉快な事があってはならないようにと、考えていた。

積志リコーダーカルテットがとりとり大学に到着したのは、夕方頃の事だった。

Tomokoさんに呼ばれ、マウスキーも挨拶に行かなければならないようであった。

憧れの積志リコーダーカルテット様とはいえ、相手は人である。

人見知りのマウスキーとしては、かなり緊張する瞬間だったが、会長と呼ばれている以上は、周囲を困らせる事があってはならないと、Tomokoさんの後に続いてお出迎えに出かけた。

お出迎えに参上した時、積志リコーダーカルテットの皆様方は、とりとり大学で宿泊出来る施設があるので、そこでチェックインしている時だった。

Tomokoさんはロビーに入るやいなや、その場に土下座。

マウスキーもぼーっとしながらTomokoさんに合わせて床に座り、「どうもこんにちは」と、挨拶をした。

すると、Tomokoさんは間髪入れず、マウスキーの目の前に座っている積志リコーダーカルテットのメンバーを示し、「この方が曽根様だで!」と厳しく注意をしてきた。

突然、「会長です」と紹介されながら叱られたマウスキーは、急いで深々と土下座をしながら、Tomokoさんと共に「ようこそ、いらっしゃいました! とりとり市に来ていただいて、感激雨あられです!」のような感じで挨拶を改めた。

もちろん、曽根さんもとても親切で良い人だった。
「そんなに改まらなくていいよ」と言ってくださったので、「そうか」とマウスキーは思ったのだが、Tomokoさんは「いえいえ」と、まだまだ姿勢を低くしていた。

そのまま、我ら二人は床に座っていたのだが、宿泊施設の説明を受け終わった、積志リコーダーカルテットのメンバーの徳永さんが椅子に座り、会話に加わってきた。

そして、「本当にこのプロジェクトを実現させるなんて、彼女(Tomokoさん)は凄いよ!」と褒めて下さった。

Tomokoさんは「いいえ、いいえ」と床にのめり込みそうになりながら謙遜していたが、マウスキーは大きく「うんうん」と頷いて同意した。

メンバーが積志リコーダーカルテット様にこれほど褒められているとは、これほど栄誉な事が笛の会にとってもあるだろうか?

しかも、人の見知りのマウスキーに代わり、殆ど積志リコーダーカルテット様と話をして、接待してくれていたのだ。

マウスキーは黙って、にこにこしていて、その場も全部Tomokoさんに任せていた。

なんて頼もしい友人だろう!

とりあえずの挨拶が終わり、失態を見せる事なく、我らはいったん準備のためにその場を後にした。

実は、時間の関係で、今回のコンサートは打ち上げはない代わりに、前日に懇親会をする事になっていた。

そのため、時間になった時に再び積志さん一行を呼びに行く事になった。

しかし、思わぬ事態になった。

Tomokoさんは、色々と用事があって忙しいらしく、積志さんの出迎えにはマウスキー一人が行かなければならなくなってしまったのである。

問題ない、これでも営業マンのタマゴのタマゴだ。

タマゴのタマゴである営業マンの底意地を見せる時だ!!

様々な格言をいくつか思い出して、自分を奮い立たせると、マウスキーはたった1人で積志リコーダーカルテットの方々の元へと出陣を開始した。

2017年4月6日木曜日

積志リコーダーカルテット様、ご来鳥! ─ その3

助成金って、何の事ですか?

完全なる不意打ちだった。

しかも、助成金の金額たるや、福沢さんが十枚も貰えると言うのだ!

そう、何を隠そう、福沢さん十人の力で、積志リコーダーカルテットをとりとり市に召喚しようとTomokoさんは目論んでいたようだ。

突然、天から降って湧いたような話に、マウスキー達は有頂天になった。

しかも、Tomokoさんが全てを担ってくれると言うのだ。

なんと頼もしいんだろう!

とりあえず、積志さん召喚をTomokoさんに任せ、残った我ら三人は、全力でサポートしようと決意した。

何せ、積志さんが、まさかのとりとり市に来てくれるかもしれない事態だったからだ。

そして、間もなく、どうやら実現できそうだという話になった。

なんと、とりとり市で同じくリコーダー活動を本格的にされている鳥取バロックアンサンブルの人が、積志リコーダーカルテットと懇意の仲だと言うのである!

これは、実現する──。

とうとう、あっという間に夢が現実になった瞬間だ。

しかし、問題があった。

たのしい笛の会は、2012年の第一回の不定期演奏会後、何の演奏会もしていなかったのである。

助成金を貰った以上は、何らかの実績を出さなければならないという事態に直面した。

ちゃんと、客も動員しなければならない過酷な状況だ。

しかし、夢を現実にするためには、秘密結社を作るというごっこ遊びはやっていられない!

早速大はりきりで、積志リコーダーカルテットを招くだけの演奏会を計画。

ちゃんとした演奏会をしなければ・・・休憩時間も入れて、二部構成にして・・・徹底的にちゃんとした感じの演奏会をしよう。

そして、努力の甲斐あり、積志リコーダーカルテットを招くために必要な儀式のような、第二回、不定期演奏会が終了した。

残ったものは、楽しさというよりも、疲労感であった。

その演奏会での証拠写真が、こちらである。

ちゃんとしているし、お客さんもたくさん来てくれた。

こちらが、2015年の事である。

出来としては、詰め込みすぎた感のある演奏会となったが、積志リコーダーカルテットを召喚するためには、必要な演奏会であった。

そして、2015年の11月末、蟹の季節に突入し、とうとうその日は訪れた──。

積志リコーダーカルテット様、ご来鳥である!!

2017年4月5日水曜日

積志リコーダーカルテット様、ご来鳥! ─ その2

さて、「たのしい笛の会」を結成した我々には、練習の他にも課題が残っていた。

まずは、演奏会の曲目を決める事。

それと、紋章を作る事である。

そこで、マウスキーは幼馴染のmarikyoさんに、是非にとお願いをして、紋章をデザインしてもらう事になった。

そして、完成した、「たのしい笛の会」の紋章がこちらである。

ジャジャーン!
もちろん、意味がないようで、意味をたっぷりと詰め込んだ紋章だ。
上に書いてある文字は、モットーである。

面倒くさい注文を全て取り入れてくれたmarikyoさんの、素晴らしい画力のお陰で、こうして紋章は出来上がった。

そんな風に夢と希望にあふれていた我らの前に、m24oさんという曲者が立ちはだかった。

彼は、ドイツ在住の笛吹きの人で、自分の持っているトリピー(とりとり県のゆるキャラ)
を仲間に入れろと言い出したかと思ったら、なんと、「自分もけん玉で参加したい」と言い出したのである。

耳を疑うような言葉なのだが、彼には、ある野望があったのだ。

「ルロイ・アンダーソンの、シンコペーテッド・クロックの曲で、ウッドブロックの代わりにけん玉を入れたい。けん玉検定では、『うさぎと亀』の曲を使用しているが、シンコペーテッド・クロックを自分は出来る」

そう言い張るのだ。

あまりの熱意に押され、姉マウスキーはけん玉のために、「シンコペーテッド・クロック」を編曲する事を受諾。

そんなわけで、けん玉との合奏を取り入れた曲目が、あれやこれやと決まっていった。

しかし、クラシックの曲がないという事に、途中で気が付いた。

何か、クラシカルな曲も欲しい、そう物足りなさを感じていた、そんな時である。

Tomokoさんが、「凄いサイトを見つけた!」と、連絡をしてきたのだ。

そう、その凄いサイトこそが、積志リコーダーカルテットのホームページだった。

彼らは、素晴らしい演奏者であるだけではなく、自らが編曲を手掛けた曲を、無償で世のため人のために公開しているのだ。

こちらが、積志リコーダーカルテットのホームページである。
        ↓ ↓ ↓


我らは「有り難い、神か仏か」と感動しながらダウンロードさせてもらい、演奏会では二曲させてもらう事にした。

選んだ曲は「カヴァレリア・ルスティカーナ」と、ホルストの「木星」である。

恐れを知らぬ選曲だったが、本当に素晴らしい編曲だったので、死ぬほど練習したと思う。

Tomokoさんは、この時から「ファンレターを積志さんに送ろう」と言い出し、マウスキー達は、「そうだね、そうしよう」と、軽い気持ちで答えていた。

他の日もTomokoさんは、「みんなで浜松市に行って、積志さんのコンサートを聴きに行こう」とも、言っていた。
もちろん、マウスキー達は「そうだね、是非そうしたい」と、軽い気持ちで答えていた。

今から思うと、我らはTomokoさんの執念を侮っていたに違いない。

そう、何を隠そう、積志リコーダーカルテットをとりとり市へと招き寄せたのは、他でもない、Tomokoさんの手段を選ばない執念だったと言っても過言ではないからだ。

しかし、そんな未来が待っているとは知らない、当時の我々は、とりあえずは、第一回不定期演奏会をする事だけに集中していた。

不定期演奏会は、予定通りに夏に行われ、m24oさんもけん玉で大喝采を浴びるなど、色々と不出来ではあったが、我らはたのしくする事が出来たので大成功であった。

この時、招待客の一人で来ていたのが、今のメンバーであるAさんだ。

そう、積志さんを招くまでの間に、たのしい笛の会にも色々と事情があり、今のメンバーは、tomokoさんと、Aさん(愛犬リズの元里親さん)、マウスキー、姉マウスキーの4人となった。

それからというもの、何年も4人で細々と「たのしい笛の会」を楽しく続けている。

そんな時だ。

Tomokoさんから、突然、「助成金の申請が通った」と、一報があった──。

2017年4月4日火曜日

積志リコーダーカルテット様、ご来鳥! ─ その1

さて、この輝かしい話を語る前に、まずはマウスキーと、姉マウスキーと、友人のTomokoさんの三人で始めた、「たのしい笛の会」について語らなければならないだろう。

「たのしい笛の会」は、2012年の春から始めた、リコーダーを楽しむ会である。

きっかけとなったのは、たまたま三人でリコーダーを吹く機会があったのだ。

演奏した曲目は、「ふるさと」である。

パートは、Tomokoさんがソプラノ、マウスキーがテナー、姉マウスキーがバスだった。

Tomokoさんは、指使いに苦心し、マウスキーはテナーの音が出ない事に苦心し、姉マウスキーも不慣れなバスを抱えて演奏した。

出来栄えは、とても微笑ましいものだつたに違いない。

しかし、その時の達成感と、リコーダーの楽しみに開眼してしまった我々三人は、リコーダーで、もっと、もっと、より多くの曲をしたいと渇望したのである。

ドラゴンクエストとか、ルパンとかも、リコーダーで演奏できるはずだ・・・。

そして、思い立ってから、すぐに我らは同じ歌の会に所属していたNさんを、アルト・リコーダーに迎え、とうとう「たのしい笛の会」は結成したのだった。

「たのしい笛の会」のコンセプトは、全力で遊ぶ、である。

まず、基本的に自分たちが楽しくないと思った事はしない事にした。

そして、専門分野はせっかくなのでしない事にした。

Tomokoさんは歌が専門なので、歌わないこと。
姉マウスキーとNさんはピアノが専門なので、ピアノを弾かないこと。
マウスキーは、音楽関係の人間ではないので、基本的に何をしても良い。

そして、最後に会を発足させるため、会長も決める事にした。

選ばれたのは、一番仕事が出来ないマウスキーである。

会長=何もしない。あんまり何もできない。人の仕事を「すごいなぁ、さすが!」と、ひたすらに感心する存在。

そんな感じだ。

もちろん、笛に対しての情熱は富士山よりも高く、深海よりも深い、そう断言しておく。

さて、これだけ形式が決まれば、あとは演奏会をするだけだ!

演奏会は、半年後の夏にする事に決まり、ろくに笛をまともに吹けない我々「たのしい笛の会」は、密に猛練習を始めたのである。

2017年4月3日月曜日

サンタクロースは、いるんです。

どこの家庭もそうかもしれないが、サンタクロースを子供に信じさせる事に親たちは苦労するものかもしれない。

マウスキー家の場合も、例外ではなかったようだ。

まず、父マウスキーの作戦としては、子供のマウスキー姉妹がサンタクロースの正体を突き止めようとする好奇心を奪う事から始めたようだ。

子供の頃に、よく聞かされた話は、「サンタクロースを見ようとして視力を失った女の子」という話だ。

物語は、父マウスキーが子供の頃の実体験として語られた。

近所に住む女の子が、サンタクロースを見たいがために、夜更かしをしていたらしい。

そして、0時きっかりに、サンタクロースがやって来たのだが、サンタクロースは煙突から入ってきたり、窓から入ってきたりするものではなかったらしい。

そして、プレゼントが置かれた気配に我慢が出来なくなった女の子は、パッと目を開けてサンタクロースを見ようとしてしまった──。

その瞬間、彼女は今まだ体験した事がないほどの眩い光を目にしてしまったのである。

あまりにも眩しすぎた彼女は、すっかり視力を失ってしまったそうだ。

ただ、サンタクロースは、絵で見たり、人が思い描いているような姿をしているわけではなかったらしい。

姿形もなかったという。

確かに、世界中の子供たちにプレゼントを届けるのだから、サンタクロースはそもそも、肉体や時間を超えた四次元以上の存在であるというわけだ。

そして、好奇心に負けた少女は、好奇心が故に今も視力が戻らない状態となってしまったらしい・・・・。


はい、小さなマウスキーは、父マウスキーの実話らしき話をすっかり信じ込んでしまいました。

むしろ、24日は、絶対に0時までには寝なければならないという恐怖すらも抱くようになった。

サンタクロースがやって来る、その瞬間が恐くてたまらない、23時30分に目が覚めようものなら、恐怖のあまり、目を閉じて布団に潜り込み、気が付きたくないと念じ続けたほど、恐ろしい存在ともなっていた。

お陰で、父マウスキーも母マウスキーも、楽々とプレゼントを置きに来る事が出来たというわけだ。

しかし、小学校5年生になった時、マウスキーは遂に、母マウスキーが枕元にプレゼントを置きに来たところを目撃してしまったのである。

そのショックたるや、如何ばかりだったか・・・今まで、両親に騙されていたのではないだろうか?・・・そんな気持ちでいっぱいになった。

そういうわけで、早速翌朝、マウスキーはプレゼントを持って来てもらったくせに、父マウスキーにこれでもかと抗議をした。

「プレゼントを持って来たのを、この目でしっかりと見た」──と。

すると、余裕顔で聞いていた父マウスキーは、堂々と返答しはじめた。

「そうだろう。実は、これだけは言いたくなかったが、サンタクロースから、『今年はマウスキーと姉マウスキーは、不登校などで悪い子だったので、プレゼントを持って行ってあげられない』と、連絡が入った」と、言うのである。

そんな嘘が通じるものか!

マウスキーは猛烈に「嘘だ」と言ったのだが、父マウスキーはため息をつくと、証拠を持って来ると言い、部屋を退室した。

そして、戻ってきた父マウスキーは、手紙を手にしており、マウスキーに見せてくれた。

そこには、見ても分からないような英語が長々と書かれており、署名にはちゃんと「サンタクロース」と書いてあった。

「読めない」と、マウスキーは言ったのだが、父マウスキーは「そうだろうな。サンタクロースは外国人だから、外国語で手紙を書くんだ」と、コメント。

何故、父マウスキーが読めるかと言うと、ちゃんと言葉を勉強したからだと言う。

証拠まで見せられ、マウスキーも確かに心に疚しいところもあったので、その事実を信じる他なかった。

さらに、父マウスキーは「親心として、プレゼントがないと可哀想だと思い、プレゼントを用意したのに。要らないなら、仕方がない」とまで、極め付けに言ったのだ。

いや、疑ったマウスキーが悪かった。

心底そう思い、サンタクロースはやっぱりいるんだと納得した。

自分に非があるにも関わらず、親心を疑うとは、なんという罰当たりなんだ──と、反省もした。

そして、そんな体験談を自慢げに小学校で喋りまわっていた、恥ずかしい黒歴史・・・。

過ぎてみた今現在でも、サンタクロースはいないとは思わない。

信じる、信じないとは別として、その形式も違ったとしても、両親の一生懸命な想いこそがサンタクロースなんだと、そう思っている。

そのため、マウスキーもいつか子が出来たら、全力を尽くしてサンタクロースになろうと固く決意した。

2017年4月2日日曜日

「第九」~とりとり市の楽園は厳しかった。─ その5

叫びのおばさんの他に、第九の楽園を乱している者は、オーケストラの中に存在していた。

つまり、オーケストラと合唱団の中に、それぞれに曲者が侵入していたというわけである。

もちろん、それは誰の耳にも明らかな存在であったのだが、単に「物凄い下手なクラリネットの奴がいた」と、いう認識でしかなかった。

Tomokoさんの話を聞くまでは──。

彼女は、そのクラリネットによって楽園を崩壊の危機に陥らせたモンスターについて、よく知っていたようだ。

その人は年配の男性で、本番の少し前まで病気により、入院していたらしい。

だから、クラリネットのトップは上手に演奏出来る若い人があてがわれていたのだ。

ところが、この年配の男性は、本番間近になって、自分も出ると言い張り、挙句の果てに若い人を追い払って、自分ながクラリネットのトップの座についたのである。

これで、クラリネットの美味しいところは総なめする事が出来るというわけだ。

だが、寸前まで入院中であった彼は、そもそもの練習が出来ていない。

それに、体力も完全に戻っているわけではないので、ベートーヴェンのバイタリティに全然ついていけていないのだ。

そのせいで、演奏中に、何とも締まりのない、情けない音が時々「プヒッ」とか、「ポヘッ」とか大胆不敵に聞こえてくるというわけだったのである。

他の人がどんなに上手に吹いても、「ポヘーッ」と音を出す彼のクラリネットは、どんなに指揮者の先生が熱意を持って指導しても、合唱団が酸欠になって倒れかけようとも、関係なく全てを水の泡にする魔力を持っていた。・

果たして、こんな許されない事があってもいいのだろうか?

しかも、入院していたが、第九に無理矢理割り込んで、若い者からトップの座を奪った事について、打ち上げの時に得意満面に自慢していたそうだ。

Tomokoさんは非常に腹を立てていた。

常識人ならば、入院をずっとしていたら、周囲が「参加されるだけでも、しませんか?」と声をかけてきても、「いやいや、自分は足手まといになりますから。でも、聴きに行かせていただきます」と、言う事だろう。

ベートーヴェンの音楽とシラーの言葉がコラボした時、常識を全て打ち破る恐ろしいモンスターを創り出すという事が、今回の事で分かった。

どんなに好き放題していても、「気に入らない奴が、立ち去ればいい」と、言うのだ。

もう、そうなったら戦いしかない。

ベートーヴェンの第九は、戦いだ!

他の仲良し合唱団とは訳が違うどころか、オーケストラすら信用が出来ない。

これこそが四面楚歌か・・・・。

それが、今回の教訓である。

「市民で参加をする第九」等に出たいと思う人は、まずは戦闘能力をあげ、どんな事にもめげないメンタルで挑まなければいけない。

少なくとも、今回のとりとり市の第九は、それほどまでに厳しい環境の中で築いた楽園であった。

ソリストはどうだったか?

一度も触れていなかったのが、非常に素晴らしすぎました。

それゆえに、「プヒヒ~」「ポヘッ」と音を出すクラリネットがいたり、メタル調に叫びつづけるおばさんがいたりした事が、より鮮明に厳しかった戦場を思い出させてくれるのである。

おしまい。

2017年4月1日土曜日

「第九」~とりとり市の楽園は厳しかった。─ その4

問題となったのは、最後のテンポアップで早口になって合唱が入るところがあるのだが、その時に指揮者先生が合唱に合図を出すのをうっかりとしていて、合唱が殆ど落ちてしまったのだ。

アルトは全落ちしていたと言っても過言ではない。

それは、誰の責任になるのだろうか?

合図をしなかった指揮者先生のせいにすれば、それは楽かもしれないが、今まで何か月も練習してきたのだから、少しは分かるはずだ。

暗譜をしていて楽譜を持たない者ならば、ちゃんとカウントを取って入る事だって出来るだろう。

それが出来なければ、楽譜を外す意味がない。

ちなみに、マウスキーはがっつり楽譜を持っていながらも、周囲が歌わないので自信がなくなり、一緒に落ちていたという、誰の事も責められない立場にいた。

そんな時に、指揮者の先生が気が付き、「さっきのところ、僕が合図していませんでしたね。すみません」と、謙虚な言葉を投げて下さったのである。

いいや、カウントを取れなかった方が悪いんだ!と、思ったと同時に、背後から間髪入れずに叫びのおばさんが声を発した。

「ふふふ、やっと分かったのね」──と。

この時は、本当に頭が真っ白になって、それが怒りなのかなんなのか判別できない状態になった。

まぁ、まぁ、怒りよりも、その時は反省の方が先だっていたのかもしれない。

時間が経つにつれ、指揮者の先生は全力で指揮をしておられるため、息切れも起こりはじめた。

指揮者先生があれだけ全力で音楽にぶつかっているという事は、我らも叫びのおばさんなど気にせずに、全力でもっと自分のベストを尽くすべきである。

だが、叫びのおばさんは、どうやら100%余裕だったらしい。

息切れをしている指揮者先生を見て、とても誇らしそうに「ほほほ、私たちの歌声に感動されてるのかしら?」と、コメントしていた。

叫びのおばさんは、誓ってもいいが、一度も歌声を発していない。発しているのはシャウトだけである。

一体、どこからそんな無限に自信が沸き上がるのだろうか?

正直、怒りの限界だった。

この怒りが正に、「歌声が汚い奴は性根も腐っている」と、マウスキーに発言させるほどとなってしまった。

だが、第九に参加する以上は、得たいの知れない自信を振りまきながら、歌わずに叫びつづけるおばさんが後ろに立とうが、歌わなければならない。

もちろん、全力で歌う必要がある。

異を唱えるものは、楽園から出ていけ。by・シラー。

と、いうわけだ。

怒りと苦痛を噛み締めながら挑んだ本番の第九。

ところが、予想もしなかった展開になった──。

お客さんが入った事により、ホールの響きが変わったらしく、叫びのおばさんが、どんなに叫んでも、どうやら聞こえなくなったようだった。

お客様に、叫びのおばさんによる呪縛を解いてもらったのである。

色々と全力を出し切り、本番が終了した時は、信じられないほど疲れ切っていた。

姉マウスキーは、落ち着きを取り戻すと、「叫びのおばさんは、メタルのデスヴォイスに似ていた」と、コメントをしていた。

確かに、デスヴォイスで「フロイデ・シェーネル・ゲッテル・フンケン!」と、ずっと叫ばれたら困るわけだ。

畑が違うのだから、ちゃんとそこにあった歌い方をしてもらわなければ・・・・。

そんな苦労話を、終了後の数か月後に友人のTomokoさんと話す機会があった。

そして、内部の事情に精通しているTomokoさんによると、叫びのおばさん以外にも、楽園をいびつにする存在があったという事実を聴かされたのである。