2017年2月28日火曜日

イタリア旅行記-その5「半日ツアー~コロッセオ、トレヴィの泉編」

サン・ピエトロ大聖堂の表面をチョロッと見るだけで終わったツアーは、大急ぎで次の目的地であるコロッセオに向かった。

イタリアの街の様子。
正気か? と思う路駐の数。

街中にもある遺跡。

正に、さすがイタリアである。

そうしている内に、割とすぐコロッセオに到着─。

窓の外を見てみると、異様に盛り上がったコロッセオ周辺の広場が目に入った。

何だか、物凄い数の人が見える。

拡大図。
どうやら、ローマ兵のコスプレをしている人が、沢山いる。

マウスキーが一体何事なのか、頭の中で空想してでっちあげるより先に、ガイドさんから解説が入ってしまった。

なんと、この騒ぎは、建国パレードなのだそうだ。

4月20日は建国の日なのか、と、今後役に立つ事のない雑学を一つ増やし、マウスキーは満足な心地になった。

このローマ兵のコスプレをしている人たちは、コロッセオ周辺にもたくさん存在した。

コロッセオの前周辺。

ほら、ここに。
まるで「ウォー〇ーをさがせ」のように、写真のどこかに存在している。

コロッセオの周辺をガイドしてもらった事で、建国パレード以外に覚えているのが、こちらだ。

コロッセオの外観にある、巨大アーチたち。

それぞれ、アーチの上には数字が刻んでいるらしい。

拡大図。
なるほど、確かに数字が見える。

これは、ボックス席の番号だそうだ。

さすが、ローマ!

文化の格が違う!

すっかり感心したマウスキー達3人は、コロッセオ周辺を見るだけでも満足してきた。

凱旋門も遠くにあったのを見た。

凱旋門の横拡大図。

どうやら、コロッセオでは自由時間が少なかったようだ。

すみやかに写真を撮ると、すぐにトレヴィの泉へと移動が開始された。

相変わらず、正気を疑う路駐の数。

ツアーの最後を華々しく飾る「トレヴィの泉」のメインは、近くにあるジェラート屋のアイスを食べる、という目的があった。

まるで近所にあるかのように、トレヴィの泉には再びすぐに到着した。

有名なトレヴィの泉。

マウスキー達よりも旅慣れていたTomokoさんが、泉に背中を向けてコインを投げる仕草の記念写真を撮ろう、と、高度な事を言ってきたのは、この時だった。

マウスキーには、なんの事かさっぱり分からなかったのだが、理解したのは、写真撮影の時に後ろを向いたままコインを泉に投げるという事だ。

そんなのは、簡単だ。

マウスキーは早速、コインを投げた。

その後にシャッター音が鳴ったので、写真が出来上がってから全てを理解する事が出来た。

写真に写っていたのは、コインを投げ終わり、間抜け面でぼーっとしていたマウスキーだった。

投げる格好とは、本当に投げるのではなく、コインをつまんだ格好を撮るという事だったのか!!──と。

皆さんは、是非、トレヴィの泉に行った時に、このような間違いはしないでください。
ちゃんと、正しくコインをつまんだまま写真に撮ってもらうべきです。

勿論、この時はそんな残念写真になっていたとは気づいてはいなかったので、絶好調だった。

ツアーのメインでもあった、美味しいジェラート屋でジェラートを食べるというミッションもクリア。

こちらが、念願のジェラートである。
何の味だったかは・・・忘れた。

ジェラートは美味しいし、文句はない。

それに、ツアーが終わるという事は、やっと団体行動から解放されるのだ。

そんな幸せいっぱいだったマウスキー達の目に入ったのが、同じツアーに参加していたこちらの男女。

一人旅のリュックを背負った女性。

一人旅のリュックを背負った男性。

このそれぞれの一人旅の男女が、ツアーが終わる頃には、すっかりいい雰囲気になっていたのである!!

もしかすると、こうなっていくのかもしれない。

そんな、ちょっとした人との関わりもロマンスになってしまう、恐るべくステキな国、イタリア。

マウスキーは、イタリアという国が好きになりかけていた。

ツアー解散後、もう2度とツアーには参加しないと決めたマウスキー達3人は、お腹が空いたので、どこか食べられる場所に行こうという話をし、レストランを探し始めた。

2017年2月27日月曜日

イタリア旅行記-その4「半日ツアー~ヴァチカン市国編」


この上記の素敵な朝食が、ホテル「キング」の朝食だった。

やはり、パンのパンなりや、チーズのチーズなりが日本とは違うのである。

とても美味しく、気分も上々のマウスキー達。

ざっくりと一日の計画を立てる事にした。

まず、午前中は団体の半日ツアーに参加をして、要領を勉強してから、午後から自由行動で観光に回る事にした。

それと、ツアーが終わったら、一旦ホテルに戻ろうと、地図でルートを確認。

そこで目に止まったのが・・・なんと、ホテル「キング」の近所に、あの「骸骨寺」があったのである!!

この「骸骨寺」を知ったのは、小学校六年生の頃。

「河童の覗いたヨーロッパ」という本を読み、すっかり魅了されてしまったのだ。

ちなみに、「河童の覗いたニッポン」についての記事は、こちらで書いている。

↓参照↓

この本の、ヨーロッパ版というやつだ。

骸骨寺とは、寺院内の装飾を全て本物の人骨で装飾してあるという、そんな場所である。

それだけは、子供の頃の念願なので、是非行きたい、と、マウスキー姉妹はTomokoさんに熱く語った。

どうやら、それなりに興味を持ってくれたのか、ツアーの帰りに骸骨寺に寄ってから、ホテルに戻る事となった。

打ち合わせが終わると、早速出発だ。

ツアーなだけあり、日本人の方々が参加するようだ。

ちなみに、ツアーに利用していたバスで水を買ったのだが、こちらが2ユーロだった。
当時のレートは、1ユーロが163円だったので、身を切るような思いで500mlの水を、大事に飲むと誓いながら購入。

半日ツアーでは、最初に「ヴァチカン市国」の観光を予定していた。

そこで、最初に到着したのがサン・ピエトロ大聖堂である。

その大きさに圧倒されていたマウスキーは、大聖堂前に巨大なモニターがおかれている事に気が付いた。

モニターに刻まれた文字は「Panasonic」。

一気に日本に引き戻された、そんな気持ちを味わった事は言うまでもない。

物凄くがっかりした。正直。海外に来たモチベーションを引き下げられる思いだ。

しかし、大聖堂の中に入ってしまえば、そんな気持ちも一瞬で忘れてしまった。

大聖堂の中に入った時、何分かかの自由時間が出された。

自由だ!! やったぜ!!

マウスキー達は自由にあっちこっちを見学してまわった。

記念撮影もした。

こういう証拠写真は、本当に行ったんだという証明になるので、必ず撮るべきだ。

そんな風にウハウハしていた時、近くで揉めている人を発見。

どうやら、この区域は信者しか入れない場所らしい。

そう、この信者しか立ち入れない場所に、ちょこっとでいいから入りたいとゴネていた奴がいたのだ。

結局入れなかったようだが、仕方あるまい。

日本の近所のお寺というわけにはいかないのだ。

ちなみに、サン・ピエトロ大聖堂といえば、これだろう。

ミケランジェロ作の「ピエタ像」

あまりにも有名すぎるほど、有名である。

こんな風に調子に乗っていたところ、どうやらマウスキーと姉マウスキーとTomokoさんは、自由時間を大幅オーバーしていたらしい。

ガイドのおばさんがやって来て、何だかキツめに「遅れないようにしてくださいね!」と、叱りにきたのだ。

すみません、もう二度としません・・・と言ってから数分後、自由行動でもないのに、マウスキー達は自由に羽ばたき始めた。

それも、そのはず。

聖人ズのこのド迫力!

これは、ベルニーニの有名な柱ではないか!

そして、気が付けば、ツアー団体ははるか遠くで、マウスキー達三人を待っていた。

身も知らない人たちに迷惑をかけながら参加するツアーに、ちょっと息切れを感じ始めたのは、もはやこの時からだ。

ガイドのおばさんも、マウスキー達に再び何か「本当に遅れないようにね」のような事を言った。


そんな風な事が重なり、ツアーの窮屈さを感じはじめたマウスキーは、どうしても目が離せないものを発見した。

それがコチラである。



よっぽどラブラドール犬が好きなんだろうな、と思うようなTシャツで参加中の初老の夫婦。

いや、本当に微笑ましい。

サン・ピエトロ大聖堂に並ぶほどのインパクトがあったと言っても過言ではない。

人前で叱られた時の不愉快も忘れるかのようだった。

ちなみに、こちらの守衛の衣装は、ミケランジェロのデザインだという。
芸術センスが違いますね!

そして、時間はあっという間に過ぎた。

物足りない気持ちを胸に、サン・ピエトロ大聖堂を後にしたマウスキーは、一生懸命撮っていたらしい写真がある。

これである。

なんだろう・・・考えたところ、ゴミ箱を一生懸命に撮影していた事を思い出した。

日本では、こんな巨大なゴミ箱をなかなか見かけないので、珍しかったのだろう。

団体で移動する辛さを感じながら、更にツアーは続いた。

次の目的地は「コロッセオ」であった。

2017年2月26日日曜日

イタリア旅行記-その3「ローマに到着編」

すっかりヘトヘトに疲れ切っていた我ら三人がローマに到着したのは、すっかり夜遅くなった頃で、多分21か、22時か、とにかくそんな時間だ。

どうやってホテルまでたどり着いたのか記憶に殆どないが、JTBの女の人が迎えに来ていたので、スムーズに送り届けてくれたのだと思う。

そんな疲れ切っていたマウスキーにとって、長旅の末にやっとの事でローマに着いたという感動は、イマイチピンと来なかった。

ただ、小狭い道を物凄く乱暴で猛スピードで走りまわる送迎車だった事は深く覚えている。

そして、実感した。

ああ、確かにこれは日本ではない。これがイタリアか、と。

そんな危険な思いを無駄に味わった後、やっとホテルに到着した。

後日撮影。
三ツ星ホテルのキング。

そして、ローマの感動は明日に回して、時差や体力的な事でくたびれきっていた我ら三人は、とりあえずはベッドで寝たいと思っていた。

ところが、である。

部屋に戻って寝る前に、まずはJTBの担当の女の人から、説明を聞かなければならなかった。

確かに、団体ツアーではなかったので、話を聞くのは必要だと思い、ソファに座って話を聞く事にした。

まず、話の内容は、移動手段の事や、どういう予定を組んでいるかの確認などであった。

治安が日本ほどいいわけではないので、その点の注意事項もあったであろう。

しかし、何よりも口数が多かったのは、「あなた達みたいな若い女の子が、買い物に来るのは多いこと」みたいな事だった。

Tomokoさんはすかさず、「観光目的で、買い物はあまり予定がない」と言ったのだが、JTBの女を止める事は出来なかった。

「買い物でカード払いが出来ない場所があるから、気をつけて。あなた達みたいな若い日本人の女の子たちが買い物に来たら、どうせスリにあうわよ」

誰だ、こんな見も知らない人間に呪いの言葉を投げつける悪漢を寄越したのは。

買い物の説明にプラスして、何だか物凄く嫌な言葉をつけてきたのだ。

しかし、疲れて何の反応も出来ないマウスキー達に、このJTB女は更に買い物オンリーの注意事項と説明を続けてきた。

嘘だろ・・こんな22時過ぎてまで、予定のない事の話なんか聞きたくない・・・。

そんな悲しみといら立ちでいっぱいだった瞬間、JTBの女は少し話題を切り替えた。

「旅行の予定は? ずっとローマ?」と、いうような事を聞いてきた。

Tomokoさんが「22日はフィレンツェに行く予定です」と、答えた。

JTBの女は、うん、うん、と、全てを見通したかのように頷いて続けた。

「ポンテ・ヴェッキオ橋のあたりのお店で買い物する時は、高額のものだったら、〇〇ユーロから税がかかるから・・・云々。カードで買える店は・・・云々」

誰も買い物に行くなんて言ってはいないし、宝石買う金のゆとりがありそうに見えると言うのか!?

もう、JTBの女を止める事は、我ら三人にはできなかった。

一体、どのぐらい買い物についての注意事項を聞いたであろうか。

気が遠くなって、全てを諦めかけた、その時、やっとの事でJTB女は資料を片付けながら話を終えた。

買い物についての知識を、全て出し切ったんだな・・・と、マウスキー達は仏のような心で受け入れ、やっと部屋で休める喜びを感じる事が出来た。

しかし、時計を見た時、確か22時30前か、そのぐらいだったと記憶しているが、23時をまわっている事に気が付いた。

もはや、マウスキー達の怒りは、とどまるところを知らなかった。

なんなんだ、あのJTBの女は!

買い物の予定はないと言っているだろうが!!



何故、ローマに到着して早々に、こんな悪意ある嫌味に悶絶しなければならないのだろうか?

そして、マウスキーは心に決めた。

絶対スリなどに合わず、「スリってなんのことですか?」と言い、あの女を見返してやろう、と。

ホテルの部屋に到着し、明日の用意をし始めたマウスキーは、念入りに持ち金を分散し、服やカバンなどの、あらゆるところに隠し、偽財布まで作るという細工をした。

これで、財布を盗られても、何も痛い事はない。

安心しきり、そしてやっとの事でベッドで眠る幸せを感じる事が出来た。

いよいよ、翌日からは予定していた通りの強行ツアーが始まる。

部屋の窓辺はこんな感じだった。

2017年2月25日土曜日

イタリア旅行記-その2「オランダ空港編」

ローマに行くまでに、一度オランダで乗り換えをしなければならなかったので、一時オランダに立ち寄った。

いちいちとアートな空港、オランダ空港!

ちょうどお腹も空いていたので、ここでごはんを食べる事にした。

つまり、ここが最初に国外での食事という事になる(機内食は除く)。

見るもの全てが新鮮ではあったが、とりあえず、どうやったら食事にありつけるか、というのに戸惑うものだ。

パンを選ぶ事までは分かったのだが、次にコップが置いてあり、先にセルフで好きな飲み物をコップに入れてから、レジに持って行くシステムだったらしい。

理解する事に時間はかかったが、分かればあとは簡単。

早速ジュースを入れようと、コップに手を伸ばし、愕然とした──。

なんと、手が届かない。

巨人の国、オランダとは聞いていたが、ここまで身長に差をつけられるとは、聞いてもいなかった。

しかし、手が届かないからと言って、目の前の美味しそうなジュースを諦めるというのか?

いや、諦める事は出来ない。

我々はコップを手に取る事を遂行しなければならない!

掛け声をあげながら頑張って背伸びをしてコップに手を伸ばしていたところ、見知らぬ外人の男の人がやって来て、親切に声をかけてくれた。

「コップが取りたいの?」
「取ってあげるよ」
「大きさはこれでいい?」

よく分からないが、マウスキー達は「イエス!」とか言いながら、親切な人に取ってもらった。


若干こども扱いされた感があったが、ありがとう、親切な人・・・

さて、気を取り直してさっそくご飯を食べる事にした。

食事はこんな感じであった。
ちなみに、この食事は姉マウスキーのものである。

写真を見ても分かるように、お盆の上に無残に転がされた可哀想なクロワッサンの姿がある。

このクロワッサンは、姉マウスキーが折角二個もお皿に乗せたにもかかわらず、床へ転落してしまったのだ。

結局、一口も食べてもらえなかった気の毒なクロワッサンである。

ちなみに、何ってジュースが物凄く美味しかった。

日本では飲めないのではないかな?と思う、イチゴジュースだ。

実際、オランダで飲んだこのイチゴジュースのような美味しいジュースを、日本に戻って飲んだ事は今もない。

クロワッサンは落ちてしまったが、テンションは上がりっぱなしの我ら三人。

乗り換えも無事に終えると、とうとうローマへと向かった。

ちなみに、同じKLMの機内食だが、ローマ行きの便で出てきたのはこちら。

中身はマカロニか何かだったとか。

マウスキーはこの時も、寝ていて食べなかったのだが、Tomokoさんによると、ゲロ不味かったとのことである。

日本からオランダへ向かう長旅では、美味しい機内食を出すが、オランダからローマ程度の距離では不味い機内食しか出さない、そういう事だ。

マウスキーは食べずに寝ていて、本当に良かったと思う。

そして、夜も更けた頃に、疲れ切ったマウスキー達は、ようやくの事でローマへ到着した。


つづく。

2017年2月24日金曜日

イタリア旅行記-その1「機内編」

これは、随分と昔の事である。

そして、初めての海外旅行となった記念すべきものだった。

当時、まだまだ若かったマウスキー姉妹と、友人のTomokoさんの三人で、イタリア旅行に行く事を決めたのは、確か11月か、12月の頃。

それから、あっという間に何もかもが決まってしまい、とうとう4月19日~4月24日の間に休暇を取り、イタリア旅行へと旅立ったのである。

この飛行機に乗って、ついに国外へ出るのだ!

さらば、ニッポン!

我ら三人は堂々と機内へと乗り込んだ。

さて、飛行機の旅は、なかなか快適だった。

映画を観たり、寝たりしていると、時間もあっと言う間に過ぎるかのようである。

我らがだらだらしている間、Tomokoさんはイタリア語を調べ、現地の言葉で情報交換出来るぐらいに喋ろうと勉強していた。

なんて、頼りになるんだ。

じゃあ、イタリアに着いたら色々任せよう──。

安心しきり、何一つ勉強せずにマウスキーは居眠り三昧で幸せに飛行機の中を過ごした。

さて、飛行機の中で殆ど動かなくても、お腹は減る。

そして、機内食というのも楽しみの一つではなかろうか?

こちらが、KLMの機内食だ。

とても美味しい機内食。

ちなみに、この旅行記では、写真にはない、写真が見つからないという部分は、マウスキーの100%の力を出し切った画力で説明させてもらう。

機内食は撮影していたはずなのだが、とんと写真が見つからなかった。

ちなみに、Tomokoさんの撮影した機内食は、こちら。



こちらの機内食も、とても美味しかったとのことである。

当時から、Tomokoさんは食べ物を撮る事に卓越していたという事が、この写真からも察知する事が出来る。

さて、食べたり飲んだりもひと段落ついた頃、おやつの時間となった。

スチュワーデスさんがやって来て、前の座席の男性二人に、「ラーメンとアイスどっちがいいですか?」と質問していたのを目にした。

マウスキー程度の英語力でも、これくらいは分かる。

──なんと、おやつにラーメンかアイスクリームを選べるとは、バンザイ、空の旅・・・

そう思っていた時、前の座席の男性は、「ラーメンとアイス、どっちも欲しい」と、厚かましくも言ったのである。

そんなわがままが通るものか!

と、思っていたところ、まさかの「OK」が出た。

こいつは、こうしてぬくぬくと甘やかされて育ったのか・・・どっちかと言われたら、どっちも誰だって欲しいではないか。

だが、それを言う勇気がなく、人は結局どちらかを選んでしまうものだ。

そんな見も知らない外国の男性に妬みと羨ましさを感じるという事になるなど、出発前までは夢にも思わなかった。


ところで、我々はアイスクリームを注文した。

いつの時間頃だったか、Tomokoさんがラーメンも結局食べていたような事もあった気がするのだが、とにかく、機内の中では眠くて、眠くて、ただひたすらに眠かったマウスキーは、これでもかと寝続けたのである。

面白い話を耳にしたとしても、それはもう覚えてはいなかったに違いない。

それと、このころはTomokoさんと知り合った頃だったので、人見知りのマウスキーはいつも様子を見ていたため、ラーメンを食べている姿も、心の中でひそかに驚きながら衝撃を受けていたものだ。

そんな緊張も相まって、機内の中ではイタリアに到着するまで、ずっとずっと寝続けた。



2017年2月23日木曜日

スイーツの時代は終わった、これからはドルチェだ。

結構前の話である。

マウスキーは、「窓」という題名のオペラを上演する時、またまた有り難い事に合唱参加で声をかけていただいた事がある。

この時は、先日書いた記事のような恐ろしい事は何一つなかった。

↓参照↓

「魔笛の恐怖」全5話

http://mouskydiary.blogspot.jp/2017/02/blog-post_18.html

この「窓」は、普通に合唱として楽しく参加していたと思う。

そう、衝撃の出来事は、本番当日に起こったのだ。

特に何の問題もなく、お昼休憩を過ごしていたマウスキーは、おやつが食べたいという衝動に駆られていた。

ホールの近くにはファミマがあったので、休憩の間にそこへ行き、おやつを買おうと決意したのである。

そんな決意の旨をソリストで友人のTさんと、ソリストのN先生に話していたところ、指揮者の先生もファミマに用があるらしいから、案内してあげて欲しいと頼まれたのだ。

指揮者の先生は県外から来られた方だったので、ファミマの場所が分からなくても仕方がない。

快く承諾したマウスキーに、N先生は金一封を託して、「指揮者の先生には、ここから買って欲しい。それと、欲しいものがあったら、買ってきなさい」──と。

重要な任務ではあったものの、おやつを買ってもらえると思うと、足に羽が生えたように軽やかになるのが不思議である。

さて、人見知りのマウスキーは、頑張って会話の糸口を指揮者先生の間に見つけようと努力して、天気の話なんかをしたりしながらファミマへと向かった。

そして、いざ到着すると、指揮者先生はファミマでデザートを購入しようとしていたので、急いでマウスキーは「N先生が、指揮者先生にお金は出させてはいけないと言っているので、ここは買わせてください」と、素早く阻止した。

すると、指揮者先生は柔らかくその申し出を拒み、こう言った。

「大丈夫です。僕は僕のドルチェを買うので、マウスキーさんはご自分のドルチェを買ってください」──と。

ドルチェだと!!!

デザートの事に違いない。

だが、凡庸なマウスキーの頭では、おしゃれな言い方にしようと頑張っても、「スイーツ」と英語で言うので精一杯だと言うのに、指揮者先生はそれを数十段も飛び越えて「ドルチェ」と言ったのだ。

ファミマのデザートを先生が「ドルチェ」と呼んだ途端に、不思議とファミマにヨーロッパの風が吹いた気がした。

この衝撃の記憶は、なかなか消せるものではない。

だが、言葉というのは大事なものだ。

お洒落な生活は、言葉1つからでも始める事が出来るのだ。

我が家の愛猫ジャッキーにあてはめてみても分かる。

1.「うちのジャッキーは、おやつが大好き」

2.「うちのジャッキーは、スイーツが大好き」

3.「うちのジャッキーは、ドルチェが大好き」

さて、一番お洒落なのはどれだ?

言わずもがな。

三番だ!!!

そういうわけで、スイーツなどと言っていては時代遅れも甚だしい。

お洒落にしたいなら「ドルチェ」に限る。

指揮者先生は、ちなみにとてもいい人だった。

名前は申し訳ないのだが思い出せなくて、今でも「ドルチェの指揮者先生」と思い出しているのだが、とてもいい思い出となった。

さて、皆さんも勇気を出して、人前でスラリと「ドルチェを食べませんか?」とか言って、数十段上のお洒落人間を目指してみないだろうか?

マウスキーはちなみに遠慮する。

田舎者ゆえ、恥ずかしいので。

2017年2月22日水曜日

恐怖の魔笛-その5

「おしまいだわ」と、パミーナは言った。
「どこかに隠れるところはないのか」と、パミーナを助けに来ていたパパゲーノは慌てふためく。

「ここは、正々堂々とするしかない」と、パミーナは覚悟を決めた。

そして、大勢の民衆が二人の元へとやってくる、筈だった──。

このやり取りの間、一秒間が十秒間になったのではないかと思うほど、全てが緩やかに進んでいった。

それもそのはずだ。

女声合唱の連中が、音楽をほぼ覚えたと断言していた彼奴らが、舞台に待機していなかったからである。

上記に記したパミーナとパパゲーノのやり取りがある間、合唱団は崖っぷちに立たされ、いつ谷底に落ちてもおかしくない瀬戸際にいたのである。

自分の動悸が、あれほど明白に聞こえる事も、またとない。

その時、姉マウスキーの方は冷静に状況を判断し、女声合唱の面々を分析していた。

マウスキー姉妹のパートはアルト。

友人Zさんのパートも、アルト。

そして、友人Sさんのパートは、ソプラノだった。

つまり、幕が上がってしまえば、Sさんは一人でメロディーラインを歌いあげなければならなくなってしまうのだ。

最悪、そうあってはならないと、姉マウスキーは判断した。

もはや、自分がソプラノを歌って、この場を収拾するしかあるまい・・・。

そして、その後に気づく。

姉マウスキーは、ソプラノがどんなメロディーラインで歌っているのか知らなかったのだ。

こいつは困った──。

そして目に止まったのが、ソリストのアンダーでもある歌唱力を持つ、友人Zさんの姿だった。

そうだ、彼女ならば、ソプラノを急遽歌う事が出来るはずだ・・・。

そして、正に姉マウスキーが「Z・・・」と言いかけた、その時である。

ドダダタダ、ドンドンドン、バタタタタタ、バタバタバタ!!!

ジュマンジ来たか!?

と、錯覚するほどの勢いで、女声合唱の人々が舞台に駆け上がってきたのである。

これは、本当に物凄い足音の轟音と共に、入ってきた。

その時、幕はすでに上がり始めていたので、きっと観客席からは駆け込む合唱の足は見えていたはずである。

だが、もはや全員が定位置にたどり着くのを、オーケストラは待ってはくれない。


The Show Must Go On!である。

「バンザーイ、バンザーイ、偉い坊さん(本当はザラストロという名前がある。面倒がって紹介しませんでした)!♪」※読み返してみたら、ちゃんと紹介してました。

とうとう、讃え歌いながら、肝心な偉い坊さんのザラストロと肩を並べて舞台に上がり込む女声合唱の連中。

そして、歌い終わった後に、「どう? プロ意識高く、やりおおせたわよ」と、どや顔のまま定位置についたのである。

どや顔じゃないだろ。

この偉い坊さんのザラストロと肩並べて入るなんて、国家主席の方々と肩並べて「ようこそー、今自分も着いたところー」みたいなノリで言っているようなものだぞ!?

しかし、指揮者もタクトを止める事は出来ないし、誰一人と舞台を途中でやめさせて「今のとこ、何?」と、確認する事は出来ない。

そのまま、何事もなかったかのように、舞台は進んでいった。

勿論、その幕が終わった時は、当然ながらマウスキー等四人は生きた屍と化していた。

それだけではなく、友人のZさんなどは、お上から「何故合唱団を統率しなかったのだ」と、いわれのないお咎めまで受けたのである。

これほどまでの被害、人災を与えた女声合唱の奴らは、どんな申し訳なさそうな顔でミジンコのように小さくなっているだろうと、想像した。

ところが、本当にミジンコレベルなのかと思うほど、欠片も反省していない人がほとんどだった。

「何とかセーフでしたよね!(^_^;)」
「私なんか、間に合わなくって、舞台に上がる階段のとこで歌っちゃった(*^-^*)」
「でも、凄かったですよね、何とか間に合ってwwwwwwww」

そんな、ミジンコレベルの会話で盛り上がっている控室に、舞台監督が「さっきのは何だったんですか?! 大丈夫なんですか?!」と、確認に来られた。

当然だ。

全員土下座をし、額が擦り切れるほど床に頭を押し付け、「二度としません、申し訳ありません、絶対に次は責任もってやります。ご迷惑をかけてしまいすみませんでした」と、平に、平に謝るがいい。

だが、彼らは「大丈夫ですけど?」と、傲岸不遜にも謝罪の気配はなかった。

「もし、同じ事になったらどうする?」と、マウスキー達はこそっと会話をした。

「また同じ事をするようなら、死んだ方がいい」と、マウスキーは声高に言った。「もし、自分が同じ事したら、そう思う」

それは事実だ。

しかし、さすがに本気で死んだほうがいい人間はいなかったようだ。

二度目の出番の時、それはつまり、フィナーレになるのだが、ちゃんと全員がそろっていた。

いや、それは当然であるはずだ。

とにかく、冷や汗は出るわ、胃が痛くなるわ、人の分まで申し訳なくなってミジンコな気持ちになるわ、とても大変な思い出である。

ところで、更にとどめがあった。

「今回参加された方にアンケートをお願いします」

と、いうものがあった。

アンケートを書くなら、女声合唱は謝罪文を出すべきだ、そう横目で見てマウスキーは書かなかった。

ところが、アンケートを書いた面の皮が厚いにも程がある女がいたようだ。

なんと、アンケートを書く欄に余白がないほど、「あれがダメだった、これがダメだった」と、文句を書き並べたというのだ。

何が駄目とか言う前に、舞台に間に合わなかったお前が駄目だろ・・・・。

もう、何を言っても駄目なのだ。

ちなみに、この思い出の中で、一番怒りを感じていたのは、ソプラノのSさんだった。

彼女は一人で歌わされるところだったのだから、当然である。

後日、この事を思い出したSさんは、「千年の恨み・・・」と、コメントしていたらしい。

マウスキー達はというと、ただ、ただ、恐ろしかったという、思い出だけが残ったのである。

ただ、恐怖以外に残ったものといえば、一つの教訓だ。

合唱は、メンバーが大事。

再々改めて、心に刻んだ。


おしまい。

2017年2月21日火曜日

恐怖の魔笛-その4

とうとう迎えた、魔笛の本番の日である。

はっきり言って、合唱で色々と参加させていただいた事はあるが、これほどまでに仲良く出来なかった合唱団は、かつてないと言っても過言ではない。

やはり、合唱においては協調性が要である。

ちなみに、男声合唱は出番が女声合唱よりも多いため、女性よりも努力していたし、きちんとしていた。

女声合唱は何をしていたかと言うと、本番なんかはメイクの話やらで話題がもちきり。

「ずっと聴いてるから、覚えちゃいますよねー」

とか、遠足気分できゃほきゃほ騒いでいる始末だ。

こいつら、大丈夫なんだろうか。

そんな不安の中、問題の序盤のゾンビシーンに突入。

特になんという問題もなく、モゴモゴ動き、すみやかに合唱団は退場する事に成功した。

こんな事は、動きを守り、いきなり飛び上がったり、スキップしだしたり、変な事さえしなければ、何も問題ないはずなのだ。

動きじゃない。

歌である。

男性は女性よりも先に出番があるので、合唱団が全員そろっての出番は、一幕最後の辺りとなるので、ゾンビが終了した後は控室で長い時間待機していなければならなかった。

どんな場所で出番となるかと言うと、パパゲーノがパミーナ姫を救出して逃げ出そうとしている時に、大勢が偉い坊さんを褒め讃えながら、ジャストその場にやって来るというシーンである。

そう、坊さんを褒め讃えながら登場する役目こそが、我ら合唱団にあったのだ。

何でもそうなのだが、偉い人というのは最後に登場するので、下々の人間は先に待機して「やっほやっほー」と出迎えなければならないものである。

合唱団が待機するタイミングは、パパゲーノがパミーナ姫を連れ出そうとしていたところを見つかって、「こいつは大ピンチ!」とか言っているあたりである。

その場所から待機をして、危機を脱してパミーナ姫たちが「良かったね」と無事を喜んでいた時、まさに狙ったかのように我ら合唱団が、「坊さんバンザーイ」と歌いながらやって来る、そんな感じだ。

そんな事を考えていると、微妙に待機中は長いけど、気を抜く事が出来ないなぁとマウスキー達は考えていた。

しかし、楽屋の雰囲気は我らとは違ったようで、何の話をしているかは知らないが、とにかくみんな修学旅行にやって来た女子のように大はしゃぎしていたのである。

そして、時間が微妙なので落ち着かないマウスキー達は早めだけど、用意して控室を出ておく事にした。

一緒に合唱団に参加していた、Zさんは、「舞台裏でちょっと見てきたい」と言い、舞台裏へと移動。

これが、今後の運命を大きく左右する行動だとは、誰も気づきはしなかった。

大人なら、リハやゲネで言われている事はきちんと守るものだし、こんな本番の大事な時なら、なおさら責任を持って動くはずだと思うものだ。

そう、未だにキーボードを打つ手が震えるほどの恐怖、それはその直後に訪れた。

合唱団の出番間近になり、マウスキー達は言われていた通りに舞台裏に待機した。

そして、その場を目撃した途端に、一瞬で頭が真っ白となった。

なんと、その時、舞台裏にいたのは、男声合唱の人たちと、マウスキー姉妹と、友人のZさんと、もう一人の友人Sさんだけだった。

女性合唱の面々は、我ら4人以外にはいなかったのである──。

2017年2月20日月曜日

恐怖の魔笛-その3

帰る前に、練習室を片づけなければならない。

そう思っていた矢先の事である。

取り仕切っていると思われる女の人が、「合唱の人は集まってくださーい」と、招集したのだ。

マウスキー達は内部の事はよく分からないので、この人が取り仕切っている人なのだろう、そう確信して、他の人たちと一緒について行く事にした。

呼び出された場所は、施設内のロビーであった。

一体、何の用事なのだろう。

みんなが忙しく片づけている時に、わざわざ呼び出す緊急の用事とは何事だろうか。

なかなか周囲の慌ただしさが気になり、話に集中できずにいたところ、なんと、その女は子分的な若い男女を従えてさらに話を進めだした。

「やっぱり、ゾンビのタイミングが合わないのよね」──と。

嘘だろ・・・

耳を疑ったのだが、そんな我々の困惑をものともせずに、合唱団たちはゾンビについての話し合いを始めたのである。

ゾンビの動きはあーで、こーで、こーだと思う。
ゾンビの位置的には、こうなんだよね。
ゾンビとして立ち去る時の立ち去り方がイマイチ。

驚くことに、軽く15分はゾンビ談義で過ぎていった。

いや、おかしくないか?

合唱団でまともに音も取れてないのに、果たしてゾンビの事で15分も話し合う必要があるのだろうか?

ゾンビ以前に、まずする事があるではないか。

そんなマウスキーの驚愕と困惑、憤りなどは彼らの歯牙にもかからないものらしく、どんどんとエスカレートしていった。

「ちょっと、ゾンビの演技を今やってみよう」

こんな、土足で人々が歩いているような、ロビーに、這いつくばれと?・・・かなり嫌なんですが・・・

そう思っているが早いか、みんながその場に這いつくばってゾンビになるのが早いか、そんな状況であった。

ここでゾンビになれば、早く切り上げてもらえるかもしれない。

こんな切ない希望を抱いたマウスキーは、早く帰りたい一心で、嫌々その場に適当に屈み、奴らが満足するまで付き合おうとした。

永遠に続くかと思ったゾンビの再演は終了し、これで終わったと思ったのだが、更に驚愕する結果となった。

なんと、先ほどみんなでロビーで演じたゾンビに、取り仕切り女がダメだしし始めたのだ!

どこまで続くんだ、このゾンビの話は!!

更に10分は経過したと思う。

もはや、気絶寸前だったマウスキーの元に舞い降りたのは、ソリストのN先生だった。

N先生は、合唱はそもそもこんなところで何をしているのか聞きに来て、確認したい事があるので困ってるから、さっさとしてくれ、と言ったような内容を言い残し、その場を去って行った。

マウスキーの目にこの時初めてN先生が天の使いのように思えた事は言うまでもない。

一瞬のうちにゾンビ談は終わり、取り仕切り女も要約諦めて連絡事項を確認するため、合唱団を解散させてくれたのである。

歌う気があるのか、ないのか分からない人たちだったが、とりあえずは練習室に戻った。

そこで見た光景とは、信じがたいものだった。

ソリストの方々が、練習室に出ていたパイプ椅子やテーピングを片づけていたのである。

嘘だろ・・・そんなの、人数がたくさんいる合唱の仕事じゃないか!

そう、無駄に頭数だけある合唱団は、片付けをサボってゾンビごっこしていたのだ!

急いで片付けに参加したものの、再び穴があったら入りたいほど情けない気持ちを味合わされる事になったマウスキー姉妹だったが、肝心の取り仕切り女は平気の平左であった。

そうか、人の心は持ち合わせないのか、ゾンビ女、そういう事か・・・。

そう思い、納得しようとしたのだが、更に驚愕する真実を後日知る事になった。

ソロを歌い、内部関係者でもあった友人のTomokoさんに聞いたところ、「あの取り仕切り女は、別に合唱団を取り仕切ってる人じゃない」というのだ。

取り仕切ってるわけでもないのに、あいつ、取り仕切ってる顔をして、合唱団全員をロビーに這いつくばらせ、ゾンビにさせただけではなく、片づけをサボらせる共犯に仕立て上げたというのか?!

本当に、正直ゾッとしましたね。

ただ、分かった事が一つ。

合唱を志す人間にとって、空気を読めない人間は必要ないのだ。

空気を読めない奴は、ハーモニーを奏でる事は皆無である。

そういう事だ。

今度から「ゾンビ練習しますよー」とか言っても、あいつのいう事は無視に決定だ、そう、沈黙の試練をすればいいだけの事だ。

そのように心に決め、マウスキー達は残りの練習を頑張って参加させてもらった。

そして、本当の恐怖が待ち受ける、本番当日を迎えたのである──。

2017年2月19日日曜日

恐怖の魔笛-その2

今回、マウスキー姉妹が参加する魔笛で、合唱団の人たちがゾンビの役をするというシーンがあった。

ゾンビの役をすると聞き、無駄にマウスキー達は張り切り、何故だかバイオハザードのゲーム実況を見たり、映画を見たりと、アグレッシブなゾンビの研究にいそしんでいた。

ところが、思っていたようなゾンビではなく、序盤のシーンに不気味なエッセンスとして、手持無沙汰の合唱団たちが、舞台上でモゴモゴと動く影となる程度の事だったのだ。

飛んだり跳ねたりするようなゾンビはお呼びでなかったのである。

まぁ、仕方がない。

人に迷惑をかけないように自分なりに頑張るしかあるまい、と、納得はした。

そう、この、モゴモゴと舞台上で数十秒間動く、ゾンビっぽいイメージの演出、というものが想像を絶した苦難のものとなったのである。

それは、忘れもしない。

わりと暑い日で、とりとり市から距離の離れた中部での練習であった。

その日はオーケストラ合わせという事で、指揮者の先生の指導がある日だった。

心して歌わなければ・・・と思ってはいたのだが、道に迷い、まさかの遅刻。

申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、とりあえず今日は演出というよりは、歌を頑張る日だ。

そう思っていた。

まぁ、とりあえずは演技もつけての練習なので、合唱団は序盤、歌の出番がなくても、床に這いつくばってモゴモゴは動かなければならないようだった。

それに、どちらかと言うと、そんなモゴモゴした動きよりも、肝心な歌が、驚くほど酷かった。

人ではない。

マウスキーも人の事は言えない出来栄えだった。

ドイツ語という謎の言語の前に、暗譜は途方もないもので、なかなか覚える事が出来ず、歌に集中できなかったのである。

人の事の前に自分とは言うが、完全に「それは・・どこのパートなのですか?」と疑問に思うような、ステキな音程で歌っている人など、本当に賑やかこの上ない合唱の仕上がり具合であった。

指揮者先生の指導の時に、こんな素晴らしすぎる音程を披露してしまうとは・・・穴があったら入りたい、そうマウスキーは思った。

周囲の人も、人の心があるならば、同じ気持ちに違いない。

だが、なんと、未だに信じがたいのだが、そうではなかった。

残念な感じでありながらも、練習の終了後に、指揮者の先生が「返しでしたい箇所などはありますか?」と、気を利かせて聞いてくれたのである。

そこに、合唱団の主のような顔をしている一人の女性が挙手をした。

──こいつ、合唱曲の返しをお願いするつもりか? ここで、そんな気骨あるところを見せても、音が取れてないなら、しても仕方ないぜ?──

マウスキーはそう思って、その一人の女性に振り向いた。

女性は言った。

「最初のシーンをお願いします。合唱団のゾンビの動きのタイミングが分からないんです」

何だと!!! 

お前、指揮者先生様をお前のゾンビのタイミング確認のために、CDで再生するかのように気軽に扱う気か!!? 

死んで灰になってこい!

当然、そんなものを先生は承諾なさるはずがないだろう、マウスキーはそう思った。

しかし、指揮者先生は承諾して、そんなつまらない願いを受けてくれたのである。

まさかの、ゾンビの動くタイミングを確認したいとかいう下らない希望で、何十人もの人間が動く羽目になるとは・・・なんなんだこれ・・・。

完全にマウスキーは、その時何もする気がなくなってしまった。

そして、迷惑をかけながらのゾンビ確認の終了後──。

マウスキー姉妹は歌を歌った以外の疲れでいっぱいだった。

そして、次の練習の時には必ず暗譜をしてこよう、そう心に誓った。

とりあえずは、あとは帰るだけだ・・・そう思っていたのだが、驚愕の事態はまだまだ続いたのである。

2017年2月18日土曜日

恐怖の魔笛-その1

どうしようか迷ったのだが・・・二年経つし、無効だろうと思い、書く事にした。

その前に、歌劇「魔笛」について少々拙いながら説明させていただく事にする。

かの時代が生み出した超天才作曲家のモーツァルトの書いた、ドイツ語の歌劇である。

ストーリーは、どこかの国の王子タミーノが、鳥人間のパパゲーノと一緒に魔法の笛と魔法の鈴を携えて、誘拐されたパミーナという姫を救出に行くという物語だ。

そして、敵の陣地に入った時、驚きの真実をタミーノは知る。

なんと、パミーナ姫を誘拐したのは、偉い坊さんのザラストロという男で、「これは誘拐じゃなくて、保護だったんです」と言い出したのだ。

苦労してきたのに、悪者の手先でやって来たとなっては、王子タミーノのプライドとメンツが丸つぶれである。

そうこうしていたら、偉い坊さんのザラストロが「パミーナにふさわしいか、試験して合格したら、一緒になってもいいよ」と仕切りだしたのである。

これが権力というものだ・・・ストーリーの流れは、ザラストロに掌握され、とんとん拍子に進んでいく。

急に目的が変わったにも関わらず、どんな手段を用いてでもパミーナと一緒になりたいタミーノは、何故かお供のパパゲーノを巻き込んで試験を受ける事に即決する。

試験の内容は、「沈黙を守る」という事。スルー、無視、シカト、なんでもアリ。黙ってればそれでいい、というわけだ。

試験は、どうしてもお喋りがやめられなかったパパゲーノは落ちてしまう。

タミーノは試験に合格。

めでたくタミーノとパミーナは一緒になれました。

めでたし、めでたし。

何だそれ。

正直、モーツァルトの音楽がなければ、こんな脚本は今日まで残っていなかったのではないかと思ってしまうほど、謎だらけ。

書き忘れたが、パミーナ姫の母親がどうやら悪だったらしい。

深く掘り進めればいろんな解釈が出来るだろうが、とにかく、大体そんな感じのストーリーだ。

そう、この素晴らしい歌劇を、とりとり市の歌劇をやる団体が公演する事になり、マウスキー姉妹にも合唱参加の話がもちかけられたのだ。

声をかけていただくなんて、なんて嬉しいんだろう・・・。

ドイツ語は嫌いだけど、頑張ろう・・・。

そんな前向きな気持ちで、参加させてもらった。

しかし、まだその時は何も知らなかったのである。

その先に、恐ろしい事が幾度も待ち受けているという事を──。

2017年2月16日木曜日

新しいマウス。

何故だ・・・・。

一年も経っていないのに、マウスが壊れてしまった。

そんなわけで、新しく購入したマウスがこちら。

やっぱりゲーミング用マウス。

色も変わる。

ホイールが前回買ったのよりも頑丈なものにした。

よくよく見てみると、同じメーカーのマウスだと判明。

前回買ったマウスについて書いた記事がはこちら。↓↓


昨日よりも、見た目重視ってことなので・・・また壊れたら、また光るやつを買うしかない・・・。

そう固く決意した今日である。

2017年2月15日水曜日

冷蔵庫に降り立った謎のエイリアン事件。

ある朝の事である。

昨晩までは何もなかった冷蔵庫に、そう、奴はいたのだ。

謎のエイリアン??

一体、誰がこんな恐ろしいものを、何の目的で書き捨てしていったのであろうか? 

マウスキーは姉マウスキーは、この恐ろしい事件を解決するために、推理を行った。

その結果、怪しいと思われる容疑者は、母マウスキーに断定された。

以前も、「捨」の一文字を冷蔵庫にかかげて、大きな謎を残してくれていた事があったからだ。

そこで、すぐにも母マウスキーに謎のエイリアンの正体を追求したのだが、驚くべき真実がそこにはあったのである。

真実の中の真実を知れ。

犯人は、母マウスキーではなく、父マウスキーだったのだ。

夜、父マウスキーが酒のつまみ程度にサラサラッとエイリアンを書き、冷蔵庫に貼りだしたというわけだ。

そこで、今度は父マウスキーを問いたださなければならなくなった。

このエイリアンを書き上げ、そして冷蔵庫に張りださなければならなかった理由はなんなのかと・・・。

すると、父マウスキーがいうには、「覚えてない」との事だった。

こんな強烈なエイリアンを書いて、しかも貼りだしておいて覚えていないとは何事であろうか!!?

しかし、それ以上の話を父マウスキーから聞き出す事は、不可能であり、今回はこのまま未解決事件のまま幕を閉じた。

そして、今でもこの謎のエイリアンは、マウスキー家の食卓を見守り続けているのである。

こんな顔。

2017年2月14日火曜日

財布がなくなった事件、多発-その3

警察署から戻った母マウスキーは、心身ともに疲れきっていた。

財布が盗られたのだから、それは仕方がない。

そんな緊迫と疲労がピークに達した、その時である──。

何ともバツが悪そうな顔をした母マウスキーが、片手に黄色の長財布を持ち、家族の前に現れたのだ。

!?

一体、何が起こったのか理解する前に、母マウスキーが「財布が見つかった」と報告した。

そう、母マウスキーは、財布を落としてはいなかったし、ましてや盗られてなどいなかったのである!

そんな驚きと共に、昔の記憶がデジャヴのように脳裏に蘇ってきた。

その在りし日の母マウスキーは、やっぱり財布を落としたと言い、家族みんなで大騒ぎになったのである。
それは、もう、どん底貧乏の底の底の光景のように、重苦しく、息も絶え絶えな様子であった。

財布にはクレジットカードも入っていたので、急いでカード会社に連絡したりなどもしていたし、当然大急ぎで警察にも届け出に行った。

そんな数時間後──そう、予想している通りの結末である。

財布は、落としていなかった。

申し訳なさそうな顔をした母マウスキーが、やっぱり財布を持って、「家にあった」と言うのだ!

それと同じ事が今回も起こったのである。

だが、母マウスキーは今回のうっかり事件では、前回の事を教訓として学んでいたようだ。

「落としてもいいように財布の中身は少なめにして、クレジットカードも入ってない」とのこと。

なんと、母マウスキーは学んだ事として、落としてもいい財布作りをしていたのだ!

こんな驚きと共に、今回の事件はあっけなく幕を閉じたのだが、実は年末に再び同じような事があった。

「財布を落とした」と、いうのである。

今回、教訓を学んだのはマウスキー達となった。

「本当に落としているのかどうか、ちゃんと探したほうがいい。警察に言うのは、それからだ」

そして、今回もやっぱり財布は車中から見つかったのである。

更にマウスキーは確信する。

これからも、母マウスキーが財布が見当たらない時に「落とした」と言って、やっぱり家族が慌てふためき続けるであろう事を。


おしまい。

2017年2月13日月曜日

財布がなくなった事件、多発-その2

自力で探す事に限界を感じたマウスキーと母マウスキーは、サービスカウンターのお姉さんに、「財布を忘れたんですが、届けられていませんか?」と訊いてみる事にした。

何となく頼りなさそうなサービスカウンターのお姉さんは、「どんな財布ですか?」と尋ねてきた。

「黄色い財布です」と、母マウスキー。
「金色の財布なら届けられていますけれど、黄色の財布はありません」と、サービスカウンタのお姉さんは答えた。

しかし、母マウスキーはどうしても納得がいかないらしく、その「金色の財布」の現物を見なければ納得できない様子だったのである。

つまり、サービスカウンターのお姉さんが、黄色を金色だと言っている可能性を考えたに違いない。

あまりにも母マウスキーが粘るので、やっとの事でサービスカウンターのお姉さんが財布を見せてくれた。

それは、人口レザーっぽい母マウスキーの黄色い長財布とは似ても似つかない、ビニール製のポーチ型の金色財布が出てきたのである。

現物を見た途端、一瞬で諦めた母マウスキー。

もう、財布を届けられる事もなく、誰かに盗られてしまったに違いない・・・。

千数百円といえど、その日の買い物の足しにはなる額である。

どこかの誰かに盗られたか、悪ノリした高校生に盗られたかして、個人情報もハッキングの材料とされるに違いない・・・。

そして、絶望に暮れた母マウスキーは「財布がない」と気づいた数時間後に、警察署へ届け出に行ったのである。


つづく

2017年2月12日日曜日

財布がなくなった事件、多発-その1

それは、いつの頃だったか忘れたが、母マウスキーが真剣な顔で、財布がなくなったと言い出し、大変な事があった。

どうやら、近所のスーパーで買い物をして、その店に置いて来たかもしれないと言うのである。

マウスキーの住んでいる近辺は、お世辞にも治安が良いとは言えないので、もしかすると財布を盗られているか、中身だけ盗られて財布を届けられているかもしれないという事は、易々と想定する事が出来た。

一時期、「落とした財布が必ず落とした本人の手に戻ってくる、ステキな国日本」とかいう特集が、あちらこちらでテレビで特集されていたが、そんなものは完全に夢物語もいいところである。

いや、嘘ではないのかもしれない。

財布は手元に戻ってくる。その中身はなくなっていても。

と、いうわけで、それはもう大騒ぎをしながら、マウスキーと母マウスキーはスーパーへと出かけた。

財布の中身は、そんなに入っていないと言っていたが、個人情報があるので、放置する事は出来ない。

スーパーへ到着すると、早速、財布を探しまわってみたものの、その姿はなかったのである・・・。


つづく。

2017年2月11日土曜日

22年ぶりの大雪。

まずは、この写真を見て欲しい。

マウスキー家の前の国道。

こんなにたくさんの雪が・・・

まるで、昔の記憶がこんな風によみがえったマウスキー。

それもそのはずだ。

今日のとりとり市の大雪は、22年ぶりだという。

22年ぶりということは、マウスキーだまだ赤いランドセルを背負っていたような頃の話だ。

あの頃は、ツララをもぎ取り、チャンバラごっこをしてよく遊んだものである・・・。

だが、22年経った現在、雪を見た時にチャンバラごっこをするのではなく、スコップを手に持って雪かきをしなければならなくなってしまった。

小さなマウスキー家を押しつぶさんばかりの、雪。

歩道って何ですか?
存在すらしていません、と言っているかのような雪の壁。

そして何よりも・・・

可哀想なマウスキー家の駐車場。
当分、車が入らないのは確実だ。

今年、二度目の「雪はもう見たくない病」にかかってしまった今日である。

事件簿も書く予定だったのだが・・・前後してしまうほど、今年の大事件だった。

ちなみに、明日も続くようなので、現在進行形である。

※追記。翌日、33年ぶりの大雪に更新された。