2017年2月27日月曜日

イタリア旅行記-その4「半日ツアー~ヴァチカン市国編」


この上記の素敵な朝食が、ホテル「キング」の朝食だった。

やはり、パンのパンなりや、チーズのチーズなりが日本とは違うのである。

とても美味しく、気分も上々のマウスキー達。

ざっくりと一日の計画を立てる事にした。

まず、午前中は団体の半日ツアーに参加をして、要領を勉強してから、午後から自由行動で観光に回る事にした。

それと、ツアーが終わったら、一旦ホテルに戻ろうと、地図でルートを確認。

そこで目に止まったのが・・・なんと、ホテル「キング」の近所に、あの「骸骨寺」があったのである!!

この「骸骨寺」を知ったのは、小学校六年生の頃。

「河童の覗いたヨーロッパ」という本を読み、すっかり魅了されてしまったのだ。

ちなみに、「河童の覗いたニッポン」についての記事は、こちらで書いている。

↓参照↓

この本の、ヨーロッパ版というやつだ。

骸骨寺とは、寺院内の装飾を全て本物の人骨で装飾してあるという、そんな場所である。

それだけは、子供の頃の念願なので、是非行きたい、と、マウスキー姉妹はTomokoさんに熱く語った。

どうやら、それなりに興味を持ってくれたのか、ツアーの帰りに骸骨寺に寄ってから、ホテルに戻る事となった。

打ち合わせが終わると、早速出発だ。

ツアーなだけあり、日本人の方々が参加するようだ。

ちなみに、ツアーに利用していたバスで水を買ったのだが、こちらが2ユーロだった。
当時のレートは、1ユーロが163円だったので、身を切るような思いで500mlの水を、大事に飲むと誓いながら購入。

半日ツアーでは、最初に「ヴァチカン市国」の観光を予定していた。

そこで、最初に到着したのがサン・ピエトロ大聖堂である。

その大きさに圧倒されていたマウスキーは、大聖堂前に巨大なモニターがおかれている事に気が付いた。

モニターに刻まれた文字は「Panasonic」。

一気に日本に引き戻された、そんな気持ちを味わった事は言うまでもない。

物凄くがっかりした。正直。海外に来たモチベーションを引き下げられる思いだ。

しかし、大聖堂の中に入ってしまえば、そんな気持ちも一瞬で忘れてしまった。

大聖堂の中に入った時、何分かかの自由時間が出された。

自由だ!! やったぜ!!

マウスキー達は自由にあっちこっちを見学してまわった。

記念撮影もした。

こういう証拠写真は、本当に行ったんだという証明になるので、必ず撮るべきだ。

そんな風にウハウハしていた時、近くで揉めている人を発見。

どうやら、この区域は信者しか入れない場所らしい。

そう、この信者しか立ち入れない場所に、ちょこっとでいいから入りたいとゴネていた奴がいたのだ。

結局入れなかったようだが、仕方あるまい。

日本の近所のお寺というわけにはいかないのだ。

ちなみに、サン・ピエトロ大聖堂といえば、これだろう。

ミケランジェロ作の「ピエタ像」

あまりにも有名すぎるほど、有名である。

こんな風に調子に乗っていたところ、どうやらマウスキーと姉マウスキーとTomokoさんは、自由時間を大幅オーバーしていたらしい。

ガイドのおばさんがやって来て、何だかキツめに「遅れないようにしてくださいね!」と、叱りにきたのだ。

すみません、もう二度としません・・・と言ってから数分後、自由行動でもないのに、マウスキー達は自由に羽ばたき始めた。

それも、そのはず。

聖人ズのこのド迫力!

これは、ベルニーニの有名な柱ではないか!

そして、気が付けば、ツアー団体ははるか遠くで、マウスキー達三人を待っていた。

身も知らない人たちに迷惑をかけながら参加するツアーに、ちょっと息切れを感じ始めたのは、もはやこの時からだ。

ガイドのおばさんも、マウスキー達に再び何か「本当に遅れないようにね」のような事を言った。


そんな風な事が重なり、ツアーの窮屈さを感じはじめたマウスキーは、どうしても目が離せないものを発見した。

それがコチラである。



よっぽどラブラドール犬が好きなんだろうな、と思うようなTシャツで参加中の初老の夫婦。

いや、本当に微笑ましい。

サン・ピエトロ大聖堂に並ぶほどのインパクトがあったと言っても過言ではない。

人前で叱られた時の不愉快も忘れるかのようだった。

ちなみに、こちらの守衛の衣装は、ミケランジェロのデザインだという。
芸術センスが違いますね!

そして、時間はあっという間に過ぎた。

物足りない気持ちを胸に、サン・ピエトロ大聖堂を後にしたマウスキーは、一生懸命撮っていたらしい写真がある。

これである。

なんだろう・・・考えたところ、ゴミ箱を一生懸命に撮影していた事を思い出した。

日本では、こんな巨大なゴミ箱をなかなか見かけないので、珍しかったのだろう。

団体で移動する辛さを感じながら、更にツアーは続いた。

次の目的地は「コロッセオ」であった。

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