2018年10月17日水曜日

アイリッシュ入門の旅・2 〜交通事情が分かりません

とりあえず、駅の方向へ行きたいものの、反対側に渡らなければ、歩道というものが存在しない事が分かった。

しかし、横断歩道はどんなに見渡しても存在しない。

ふと、よく見ると、駅から反対側に歩いた方向に、歩道橋の姿が見えるではないか!

なるほど、歩道橋を渡れば、楽々向こう岸へ渡る事が出来るというわけだ。

解決策を見つける事が出来た、マウスキーと姉マウスキーは、意気揚々と歩道橋へと歩いた。

そして、気づいた事がある。

割と、歩道橋までの距離が長い、という事である。

歩道橋を渡った後、割と長い距離を後戻りして、駅の方向へと再び歩かなければならないのだ。

その時点で心が挫けそうになったが、hatao先生の元へ、告げている定刻通りに何とか意地でも到着しなければならない使命が我々にはあった。

とにかく、気持ちやモチベイションを奮い立たせながら、マウスキーと姉マウスキーは歩道橋を渡った後、駅の方向へと歩き出した。

平和に歩き出して数分後、更なる難関にぶつかってしまった。

なんと、歩道が消えたのである。

目の前に広がるのは、車専用の道路だけだった。

歩行者、自転車用の、ちょこっと白線で区切っている線も存在しなかった。

はっきりと、看板に「歩行者はここまで。別の道に迂回しろ」と書いてあったから、確実である。

迂回すれば、駅から相当遠くなってしまう…

マウスキーは完全にポッキリと心がへし折れてしまった。

もう、徒歩で駅に行く事は適わない、我々に残された道は後戻りをして、お金がかかってもタクシーを呼んでもらう事しかない。

その瞬間の事だった。

姉マウスキーが猛烈な勢いで迂回の脇道を通り抜けると、「歩行者禁止」の看板も無視して、道路に走り出たのである。

嘘だろ!!!!

マウスキーの体は完全に硬直してもおかしくないぐらい、驚いてしまった。

そして、明らかに、看板の向こう側に行った姉マウスキーは「こっちに早く来い」のジェスチャーをマウスキーに向かってしている。

ついて行ったら死ぬんじゃないだろうか?と、心細くなりながら、とりあえず、ついて行ってみる事にした。

そして、数秒後、ついて行くんじゃなかった、と、マウスキーは後悔した。

本当に、歩行者が歩くスペースなどミジンコもないのだ。

だが、姉マウスキーは「大丈夫だと思う」と断固言い通した。

しかしながら、命と怪我のリスクが高い事となると、マウスキーの方が頑固一徹である。絶対に後戻りすると主張を通したのだ。

姉マウスキーは、仕方なく譲歩してくれた。

そして、仕方なく安全な迂回路を選んだマウスキー達は、再び、歩道橋に向かって歩きはじめた。

と、その時である。

それは、風だったのかな?と思うほどの勢いで、自転車に乗った男がマウスキー達の横を通り過ぎて行った。

自転車は、歩行者禁止の、あの車専用の道路に突っ込んで行き、狂ったように自転車を漕ぎ漕ぎして、あっという間に見えなくなってしまったのであった。

その姿を見送ったマウスキーと姉マウスキーは、安全な迂回路を選んだ事を本当に誇りに思った。
あの狂ったように疾走する自転車男と、同レベルの人間にならなくて済んだからだ。

「hatao先生のところへ、大事なレッスンを受ける日に、わざわざ命知らずな事をする必要ない。わが身を大事にしなければ、レッスンなんか受けられない!」

狂ったように自転車を漕いで行ってくれた男がいたお陰で、マウスキーは、単に自動車道にビビっただけの心根に大義名分を得る事が出来たのであった。

そして、同じ場所を行ったり、来たりして大事な時間を30分ほどロスしてしまったマウスキー達は、やっとの事でローソンにたどり着き、タクシーを呼んでもらう事に成功した。

そして、hatao先生のお宅がある町まで、安全にタクシーで運んでもらえたのだった。

2018年10月15日月曜日

アイリッシュ入門の旅・1 〜過酷な現地

PLATFORMにバイトに行くと決めた理由は、そもそも、ティン・ホイッスルのレッスンに行きたいので、レッスン代を稼ごうと思ったのが動機だった。

Dさんショックなどで、色々とバタバタしたものの、レッスンは二カ月前からの予約が必要だったので、とりあえず、目下はレッスンに行く事だけを考えていた。

今回、マウスキーと姉マウスキーが2人でティン・ホイッスルというアイルランドの笛を習いに行く先生は、hatao先生という、演奏者としても、ケルト音楽の伝道者としても、指導者としても力を注いでおられる方だった。

hatao先生は、とりとり市の隣の県に住んでおられるという事がホームページで分かり、しかも個人レッスンもしているという事だったので、マウスキーと姉マウスキーは、一日レッスンを申し込む事にしたのである。

教科書も、笛も買い揃え、レッスンに挑む事にしたマウスキー達。

とりあえず、先生にお土産も持って行かなければならないだろう、そう思って、とりとり市の名産品をあれこれと持参して行く事にした。

選んだのは、「因幡の白兎」と、「蟹煎餅」と、「お茶漬けの素」である。

蟹の姿焼きみたいな煎餅にしたかったのが本音だが、姉マウスキーの強い反対を受けた為、結局断念した。

ちなみに、hatao先生とは、とても親切丁寧な方で、レッスンを申し込んだ後に、住宅は大変分かりにくいところにあるという説明文と共に、地図と、電話番号も添えて下さっていた。
分からなくなったら、連絡してくれ、と、書いてあったのだ。

この気配り、心配り、何ていい人なんだ…と、すっかりマウスキー達は感動してしまった。

そして、レッスン当日。

この日、マウスキーはお店を休んでレッスンに行く事にした(Mさんは理由を知っても普通に、問題なく休ませてくれたのだ)。
バスに乗って2時間半ほど経つと、辺鄙な、何もないバス停に到着した。

そう、そこが目的地だった。

高速道路から降りたらすぐにある、何もない、ポツンと佇むバスステーションに降ろされたマウスキー達。

目の前に広がる、四車線の大道路。

電話もない。

何にもない。

他県からフラリと土産袋を抱えてやって来た孤独感だけが、マウスキー達の胸に押し寄せた。

こんな何もないところに降ろされ、無事にマウスキー達は、定刻通りにhatao先生の元へ辿り着く事が出来るのだろうか……

そして、マウスキー達は不安と共に、四車線大道路の遥か遠くにある駅を目指して、バス停を後にする事に決めた。

この第一歩が、想像以上に恐ろしいものになるとは考えもしなかったのであった。




2018年10月14日日曜日

PLATFORM・15 ~ 何も出来ていない日

当時のマウスキーのシフトについて、最初に説明させてもらう。

月曜日と火曜日は、Mさんと二人でお店を回すので、朝一の9時から仕事に出ていた。
木曜日は、Nさんが7時50分に出勤して、Iさんとマウスキーが10時に出勤するシフトであった。

そして、ある日の木曜日の事だった。

木曜日は、Nさんが7時50分に出て、料理等をしてお店の準備をしている予定であった。

お米を炊いて、お味噌汁の準備をして、ハンバーグが出来ている、そう思っていた。

だが、しかし……マウスキーとIさんが店に出た時、一体何故そうなのかは分からないが、何も料理の準備がしていなかったのだ。

そして、料理の用意をしていなければならない筈のNさんも、何故出来ていないのか分かっていなかったようである。

とにかく、その日はMさんもお店に出てきていて、何が出来ていないのかを確認し始めた。

Nさんは、「お味噌汁は出来てますし、お米も炊いています。お茶もあるし、カレーもあるでしょ」と、穏やかな様子であったと記憶する。

だが、肝心のメインが出来ていなかった。

木曜日の日替わりメニューはハンバーグだったので、ハンバーグが出来上がっていなければならないのだ。

10時に来てから、お弁当を詰めて、11時には開店準備を始めなければならないお店のセオリーがあったからだ。

10時半過ぎた頃に現状が全て把握された時、Mさんは厨房からNさんを出すと、何かを言う間もなく、自らの手でハンバーグを作り始めた。

あーだこーだ言う間があったら、やらなければならない、そういうわけだ。

そして、Nさんは、再びぼんやりと宙を眺め、呼吸をする以外の機能を停止させてしまった。

仕方がないが、とにかくお弁当と日替わり定食の準備を、1時間以内で全て済ませる必要があったのだ。

マウスキーとIさんは、お弁当と日替わり定食の副菜などを詰めて、ハンバーグが出来ればいいだけの準備をしておいた。



Mさんは、準備をしながらNさんに、「朝早くから来てるので、もう帰ってもいいですよ」と、帰るように促し始めた。

すると、ずっとフリーズしていたNさんは、やっとの事でハッと我に返ると、「そう? じゃあ、そうするわね」と、ぼんやり言うと、帰り支度をして、猛烈な勢いで用意をする我々を残して帰宅して行った。

Nさんが帰った後も、我々は無言で作業をし続け、やっとの事で滑り込みのようにして、全てが間に合った。

Mさんは、「大方、コーヒーを飲んでお客さんと喋っとったら時間がなくなっただろうで」と、Nさんが仕事が出来ていない理由を推測して、ぼそっと呟いた。

それを思わせたのは、コーヒーメーカーに残るコーヒーと、食器洗機に入っていたコーヒーカップである。
それは、鈍いマウスキーでも察知出来る形跡だった。

「あの人はパニックになると動きが全部停止するから、そうなったら何を言ってもいけんけ、自分でするしかないだが」
と、Mさんはマウスキーに言った。

確かに、それには納得が出来た。

だから、何だか忙しくなってきた時は、いつもNさんは宙を眺めるように、ぼんやりとしているのか…と。

忙しくてもマイペースで、余裕を保ち続ける人というわけではないらしい。

そして、その日の悪夢を経験した後、Mさんは更に、「あの短時間でよくハンバーグ作れたわ」と、自分に感心していた。

それにしても、メイン料理が出来ていなかったのに、オーナーのMさんはNさんにとがめる言葉を一つも言わなかった事に、マウスキーは意外に思った。

しかし、MさんがNさんに対して、何故何も言わないのかというには、理由があったのだ。

2018年10月12日金曜日

PLATFORM・14 ~ 花嫁募集中のHさん

Hさんは、Nさんの古くからの友人だという事だった。

最初に会った時の印象は、「すごく、うっとおしい」というものだった。

彼がコーヒーをどうやって飲んでいたかという事は、今も記憶していない。

何故、こんなにうっとおしいと思わせたのか、そこのところを紹介していこう。

彼は、頑張って若作りしている、70代が近いと思われるお爺さんだった。しかし、彼は独身で、婚期を諦めていないと主張していた。

そして、ほどほどに若い女の人と会話をして、ちやほやして欲しいという願望もあるらしいHさんは、あろう事に、PLATFORMをスナックか何かと勘違いしてしまったのだろう。

コーヒー一杯を飲みに来たと言い、自分の話をペラペラと喋った挙句に、マウスキーとMさんが話している事に顔と口を突っ込んできて、「うん、うん」と相槌を打ってくるのであった。

マウスキーはとっても可愛い犬一匹と猫二匹を飼っているのだが、その三匹の話題をしていた時である。
やはりHさんは、「うん、うん」と相槌を打ちながら、「どうせだったら、僕のお世話をして可愛がってくれんかナ?」と、顔と口を突っ込んできた。
「犬や猫はいいから、僕のお世話してー」とかも言ってきたと思う。

そこで、マウスキーは、「私が世話をするなら、まず観察日記をつける所からします。一日何回排泄をして、その便は如何なるものだったのか等も記入します。腸内細菌のバランスを崩しているようだ、今日の便の調子は良好、などと全部手帳に書く事でしょう。体調管理に便は大事ですからね。こうした記録はブログにも書いて世間に公表します」と、丁寧に受け答えていた。

さすがに、Hさんは「…それは嫌だわ」と言い、いったんは引いてくれたかのように思えた。

しかし、Hさんは、マウスキーにモーションをかけたいわけではなく、あくまでも若めの女の人がいるところで、お喋りして、「やだ、Hさんったらー」と、他愛のないお喋りを楽しみたかった人である。

彼の無駄口は、尽きる事を知らなかった。

そして、何かの話題の時に、彼が写真クラブに入っているという話を聞いたマウスキーは、写真なら興味があったので、少しは話し相手になろうとした。

だが、結局駄目だった。

彼は、「僕はね、こんないいカメラを持っていて、こんないいプリンターを持っていて、こんな写真を撮るんだっ」という話を延々とするのだ。
それでいて、他の人の写真は、「こんなの大した事ないわー」と根拠もなくけなすのである。

「凡人」を二足歩行させたかのようなHさんは、完全にマウスキーの中から興味の対象ではなくなった。
話もつまらない、顔もつまらない、注文するものもつまらない、彼の全身からにじみ出ているものと言えば、「僕をかまって」というアピールのみ。



彼がやって来て一番平和だと言えば、元々の彼の友人であるNさんと一緒に働いている時だっただろう。

何故なら、彼の相手は全部Nさんがしてくれるので、絡まれる事はまずなかった。

だが、これほどまで凡庸な人間だからこそ、自分を特別扱いして貰いたがったり、他をけなして自分を持ち上げようとしたり、つまらない事をするのだなと納得はいった。

だが、結局、何をしても「月並み」「平凡」「凡庸」「凡人」「俗物」こうした単語が大変似合うHさんは、時間が経過するにつれ、PLATFORMからは逆に浮いた存在となってしまっていたのであった。

2018年10月11日木曜日

PLATFORM・13 ~ 元気すぎるクラアサさん

クラアサさんの最初の印象は、コーヒーをブラックで飲むクラアサさん、というくらいだった。

特に、何か変わった事を思った事があったわけではない。

ただ、とても印象は良かった。

おじさん特有の、無条件に若い世代の人間を見下して来る上から目線なところもなく、どんな年齢の人に対しても丁寧な態度をとってくれた人だ。

そんなクラアサさんと、まともに会話をした時のは、もう閉店作業も終わり、マウスキーもMさんも帰り支度をしていた時であった。

クラアサさんと酒転童子さんが、いつものように何かの議論をしていていた時に、クラアサさんが、「わしは宗教の事がさっぱり分からんだが」と、言い出したのである。

宗教についての話題は、マウスキーが子供の頃から最も慣れ親しんだ話題の一つだったので、クラアサさんと会話をするきっかけともなった。

更に、姉マウスキーがその頃、「完全教祖マニュアル」という本を読んで、大層面白かったと言っていたたので、チョロッと読んだ事もあり、その本についての話などもして、宗教についての考察をあれこれと話す機会が出来たのであった。

それからというもの、完全にマウスキーはクラアサさんの事を認識して、親近感を持つようになったのだった。

そして、健康の話題になった時、いつもMさんがクラアサさんの話題を持ち出していたので、彼がどういう人物なのかを少しは知る事が出来た。

なんと、クラアサさんは設計事務所の社長である。

そして、PLATFORMのお米も、クラアサさんが作っているお米であった。

農業も、仕事の合間にしているそうなのだ。

更に、テニスに長けているらしく、何時間もぶっ通しでテニスをしたり、コーチをしたりなどをするそうだ。

それから、夜中は鮎釣りに出かけて、たくさん鮎を釣るらしい。

そして、どう見ても40代後半から50代という艶々した容姿にもかかわらず、もう60代半ばという年齢らしい。
つまり、酒転童子さんと同年代だという事だ。

もう一つ印象的なのは、会話をすると、かなりの高確率で、ちょいちょいと奥さんとのノロけ話を持ち出す事があった。
「家内が『どうせ私が死んだら、あなたは若い女性と結婚するんでしょ!』って言って怒るんですがー」とか、「前はテニスについて来てくれたんだけど、最近は疲れたと言ってついて来てくれなくなった…」などなど。

事あるごとに、隙を見ては奥さんとのノロけた話題を入れてくるのである。



そんなクラアサさんと仲良しの酒転童子さんは独身で、どうやら子供の頃からの仲良しらしい。

いい歳をしたおじさん二人が、店の閉店間際にやって来ては、少年のようにお互いの研究結果をしたり、勉強会で夢中になっていたのである。

そして、いつしか、そのおじさん二人の中に、Mさんも加わって、三人で閉店頃に盛り上がって、何かの話し合いを始め出したのもその頃だった。

どうやら、Mさんには2人のおじさんを巻き込んでの計画があったらしい。

だが、そんな計画について語る前に、まだ色々な人物について紹介しなければならない。

酒転童子さんと、クラアサさんのように、素晴らしいおじさんだけが常連客ではなかったという一例として、Hさんという人もいた。

そう、お店を語っていくには、仕方がないが彼の事も説明しなければならないだろう。

2018年10月10日水曜日

PLATFORM・12 ~ 酒転童子の勉強会

酒転童子とは、忘れたかもしれないが、最初に紹介した閉店間際にやって来る、常連客のM.Iさんの事である。

彼のペンネームでもあった事を思いだしたので、今回からは酒転童子さんと呼称させてもらう(何故その名前なのかは、うんと後になってから説明する事になる)。

最初の頃の酒転童子さんの印象は、コーヒーはブラックで飲む酒転童子さん、と、覚えている程度で、特に会話をするという事はなかった。

ところが、笛のコンサートが終わった時、Mさんが「マウスキーさんは笛をやりますよ。音楽の話が出来るんじゃないですか?」と切り出したのである。

すると、酒転童子さんは、目をキラリと光らせると、「ほほう! そうですかな!」と、元気良く話し始めた。

「実は、僕はジャズバンドも前までしてましてね。昔はブラスバンドもしてたんですよ!」と、喋り始めた。
音楽の話をするのが嬉しかった酒転童子さんは、そのまま止めどなくクラシック音楽の話をし始めた。

「昔、J・S・バッハの勉強会をした事があり、そちらがなかなか評判が良かったんですわ。またやりたいと思っているんだけど、なかなかみんな忙しくてねー」
と、酒転童子さんが語っていたので、マウスキーは頷きながら、「いいですね。したらいいんじゃないですか?」と、一声かけた。

すると、「そうですかな?」と、酒転童子さんは嬉しそうに言った。

そして、その日はそのくらいの軽い話題で終わったのだが、翌日の事である。

しばらく経った時である。

酒転童子さんが、分厚いファイルと、バッハのCDを持ってきたのだ。

「ん?」と、不思議そうに思いながらマウスキーはそちらを受け取ると、彼はキラキラした顔で、
「こちらが、この間言ってたバッハの資料ですわ。CDを聴きながら、みんなで意見を言ったりするんです。で、そっちのファイルはバッハについて書かれた参考文献からの資料です。それで、日にちはいつ頃がいいですかな?」と、いった具合に話をぐんぐん推し進めていくのだった。

何とも不思議な気持ちになったマウスキーは、実際忙しかったし、「いや、店が終わったら帰らなければならないんです。なかなか難しいです」と、勉強会の出席を断った。

だが、酒転童子さんは引き下がらなかった。

「あー、ちなみに僕はいつでもいいですよ。今のところ、勉強会に参加するのはマウスキーさん一人なんで、日にちは合わせられますよ」と、いった具合である。

「日にちを検討しておきます」と答え、その場はやんわりと終わらせた。

そして、翌日、マウスキーはオーナーのMさんに、「何故マウスキーが、いつの間に酒転童子さんのバッハの勉強会を受ける事になってるのか、よく分からない」という相談をした。

Mさんは、「聞く気がないなら、忙しいので、ちょっと分からないですって言って、引き延ばして、いい加減に断ったら?」と、提案してくれた。

申し訳ない気持ちでいたが、仕方がない。

もしも、知られざる、こんな凄いバッハがいたという感じの別バッハについての話なら面白さを感じられたのだが……J・S・バッハについてのあれこれ話には、どうも興味を感じなかったのである。

そういうわけで、マウスキーはMさんの助言通り、酒転童子さんに、「すみません、忙しくて、ちょっと今のところは、なかなか日にちが取れないです」と、申し訳なさそうに断った。

すると、酒転童子さんは、「そうですかな。それは仕方ないですな。じゃ、また機会があったら。その資料は差し上げるんでね、読んでみて下さい」と、あっさり話を終わらせてしまった。

酒転童子さんは色んな事を掛け持ちしているらしく、とっても忙しいらしい(飲みに行ったりも忙しいようだが)。
だから、本当にマウスキーのバッハ勉強会がなくなっても、そんなに気にしなかった。

あんなに気を使ったのに…無駄に気を使ってしまったわけだ。


結局、本当に気にしなかった酒転童子さんは、翌日からも色んな事の考察や研究した事のまとめのプリントを、Mさんとマウスキーに持って来て見せてくれた。

このプリント、面白い時もあれば、特に面白くない時もある。

だが、全てが手書きで、酒転童子フォントにすれば良いのにと思うほど、綺麗な字に、いつも感心させられた。

字の感じが、ちょうど、妹尾河童に似た感じがする。

そんな勉強熱心、研究熱心な酒転童子さんには、唯一無二の仲良しの友達がいた。

その友達の名前は、クラアサさんという、真っ黒な髪で、眼鏡をかけた年齢不詳のおじさんであったが、彼は常人とはとても思えない力を秘めたおじさんだった。

2018年10月9日火曜日

PLATFORM・11 ~ トリオのおじさん

Mさんとマウスキーは、たびたび常連客の人の名前を知らないので、あだ名をつけて覚えていた。

トリオのおじさんは、殆ど毎日来ると言っていいほどの常連客だった。

何故トリオのおじさんかと言うと、必ず三人組で来るからだ。

最初は、「誰ですか?」「どんなお客さんですか?」と聞いていた。

すると、Mさんは「背の高いシュっとしたおじさんと、一緒に座ってる三人組の人」とか、そんな説明をしていた。

それがいつしか、「いっつもトリオで来る人」に変化していったのである。

仲良しトリオ


このおじさんたちは、とっても仲良しらしく、必ず三人揃って来るのだ。

気さくなおじさんたちなので、話もしやすく、とてもいい人達であった。

しかし、ある日、マウスキーは彼らが時々カルテットに変化するという事を知った。

この四人目のおじさんは、スーツを着ているのだが……どうもイラストに書けないぐらい、ぼんやりとした記憶でしかないのだ。

ただ、そのぼんやりとした感じの四人目のおじさんがトリオに加わった時、とてもマウスキーの中では勝手にややこしい事になっていて、大変だったという記憶がある。

トリオのおじさんを紹介したのは、彼らは、お店が始まってから、終わるまでの間、変わらずにとても良い常連客の一人でい続けてくれた為、これからもちょくちょくエピソードで登場してくるからである。

2018年10月8日月曜日

PLATFORM・10 ~ 万事オッケーなIさんとNさん

前回は、お店の深刻な経営状態を話したが、マウスキーも何だか気持ちがモヤモヤする深刻な場面に立ち会った出来事があった。

それは、IさんとNさんと一緒に働いていた時の事だ。

IさんとNさんは、女学生時代からの仲良しらしく、仕事の間もとってもリラックスをしている様子で、のんびりとしていたので、マウスキーも一緒に仕事をするのは嫌ではなかった。

何かマウスキーが「あー、うっかり」とか、「あ、しまった」という失敗をしても、Nさんは「いいのよ、そのぐらい」と、言ってくれるし、Iさんは、「大丈夫だわいな」と笑って言ってくれるのだ。

仕事をするにも、とっても気が楽で、相手方がリラックスをしているので、こちらもリラックスをして仕事をする事が出来る。

しかし、そんなある日の事だった。

その日、「お客さんがどうせ少ないから、お米があまったら勿体ない」という理由で、Nさんは、お米をいつもより少なく炊いていた。

すると、何の不運なのか、その日に限って「大盛りで」という客が多かったのだ。
そうなっては、予想以上に米がなくなってしまう。

米がなくなりそうだ……と思いながら米を入れていると、とうとう米がなくなってしまった。

だが、料理待ちのお客は存在していた。

マウスキーは「お米がないです」と告げると、大騒ぎになった。

とりあえず、Nさんはぼんやり立っていて、「そうね…」と、呟き、何かをしようとする事をやめてしまった。



そこで、マウスキーは冷凍庫を漁って、「冷凍ご飯ならあります」と、Iさんに報告した。

すると、Iさんは仕方なさそうに肩をすくめ、「仕方がないけ、冷凍ご飯でいいか聞いてくるけ」と言い、お客さんに確認に行った。

──冷凍ご飯と言わなければ分からないのではないか?──

そんな疑問は、その場に相応しくなかったのだろう。口にもする事が出来なかった。

Iさんは意気揚々と戻って来ると、「冷凍ご飯でもいいって言っとられるので、用意をお願いします」と報告した。

そして、ピークが過ぎて会計の時になると、Iさんはレジを打ちながら、お客さんに「冷凍ご飯で今日はすみませんでした。半額にしておきますね」と、太陽のような笑顔で言い放った。
当然、喜ぶお客さん。
「僕は、いつでも冷凍ご飯で大歓迎です!」と、爽やかに言って帰って行った。
ちなみに、このお客はこの時以来、二度と姿を見なかった。

そんなわけで、その日の売り上げは半分となった。

しかし、IさんとNさんは、売上金額を見ても「こんなもんだわ」とコメントしていた。

その日の売り上げ、大体5000円ぐらいだったと記憶する。

そして、別日の時は、一日とっても忙しかったたのだが、売り上げは8000円という惜しい数字となった事もあった。

そんな時、IさんとNさんは、「私、お父さんと私の夜ご飯に二つ買って帰るけ、あんたもおかずだけでも買って帰りんさいな」と、自分のお財布からお弁当を購入。
なんとか二千円の売り上げを出した。

そして、精算後の売上金額を見て、一万円になっているのを見ると、再び、太陽のような笑顔でIさんは、「売り上げが1万円もあったら、いいわいな」と、嬉しそうに言っていた。



マウスキーは、「そうですね」と言いながら、何か良くない、そんな気持ちで胸がざわついた。

IさんとNさんは、その場を何とかやりすごせたら「大丈夫だったが!」と満足そうにしていて、危機感がないのだ。

必要があって、革命は起こるべくして起きたのだ──。

内税にしてあった料金は外税に替えた結果、驚くほど何の変化もなかった。

文句を言うお客さんはいないどころか、「あー、なるほど」と、むしろ納得してくれた挙げ句、お客さんは減らなかったのである。

Mさんの第一次革命は、静かに、ごく自然に成功した。

しかし、今回記事に取り上げた、IさんとNさんの危機感のなさはどうしようもなかった。
料金を外税にしても冷凍ご飯で売り上げが半額になってしまっては、元も子もないではないか。

しかし、しばらくは、こんな調子で仕事を続けるしかなかったのである。

2018年10月7日日曜日

PLATFORM・9 ~ 外税革命

Dさんが辞める事になって、マウスキーの働く日数はうんと増えた。

週一希望であったが、結局、月、火、木、金となった。

土曜日の勤務日は、誰も働く人がいなかったので、そもそも休みになってしまった。

土、日、祝日が休みとなったのである。

さて、一体、何故Dさんが突然出てこなくなったのか、その後も様々な考察が挙げられたが、最初にマウスキーがMさんから聞いた話は、こうだった。

お店の経営は、マウスキーが思っていた通り、大した売り上げもなく、厳しかったらしい。
Mさんは、Dさんがどうしてもお店がやりたいと言った為、元々マネージメントには興味を持っていたMさんは、3年間でお店としての形が出来るように協力するという約束をしたそうだ。

それから一年が経過し、売り上げが上がるどころか下がる一方であるPLATFORM。

Mさんは一大奮起をして飲食店経営者のコンサルティングに申し込んだそうだ。
そして、

そこで、まずは単価を上げること、というのを実践するため、500円で売っていたお弁当に外税を付ける事を提案したのだ。

お弁当:500円⇒540円
定食:600円⇒680円

と、いう具合に、外税をつけて単価を上げる事により、売り上げUPを狙ったのだ。

ここのお店はとても小さいので、入れるお客さんの数も限られている。

常連客は殆どが県庁と市役所の人という客層で限られている。

下のマップを見ていただいたら、その理由が分かるだろう。


県庁と市役所の人に囲まれている状態なのだ。

しかし、細くて小さすぎるPLATFORMは、赤い旗を二本も立てているにも関わらず、他の弁当屋やパン屋の存在感に圧されて、なかなか気づいてもらえない存在感だった。

ここのお店がどのようにお店だったのかイメージしやすいよう、マウスキーが100%のゲームの力をもって、建築再現をしてみたので、紹介しよう。

色々と相違点はあるが、こんな感じの間取りであった。

厨房はこの通り入口からでもよく見えます。

厨房の中は、人が一人立っているのがやっとくらいです。

そんな厨房への入り口も、隙間を通って入る感じです。

こちらは二階。

わりとスッキリしていて、落ち着ける感じはあります。

見ていただいたら分かる通り、席数が非常に限られていてるので、最大でも19人くらいしか入れないと思う。

そのため、Mさんの外税計画は、とても素晴らしいように思えた。

しかし、Dさんは、500円のお弁当が540円値上げしたら、「高い」と言って、お客さんが買いに来なくなってしまうと主張したのである。

そんなに高いとは思わなかったのだが、Dさんが自信を持って主張するには理由があった。
Dさんは、サンロードという喫茶店に足蹴に通っていて、そこのママさんや、お客さん達に、「このお弁当は高いわー」と言われたりしていた。
そればかりか、娘にも「お母さんの料理でお金は取れんだろ」と、言われていたのである。

その評価は驚くほど言われもない低評価で、お店の料理は美味しかったし、寧ろ500円は安いと思っていたぐらいである。

Mさんが言うには、サンロードというお店の人達は、仕事がない人や、市から補助金を貰っているなどの低所得の人の集まりらしい。
そして、朝から晩までお店でウダウダ言いながら、お店のママさんにへばりついているおじさん達が常連客だという。
つまり、美〇という喫茶店と系列が同じ店なのだろう(店の大きさは美〇の方が大きい)。

結局、サンロードの人達の言葉を妄信したDさん。

低評価の言葉の方を信じてしまうとは、悲しい事である。

しかし、今までの事を考えると、500円に税をつけて540円にするというのは、いわば革命も同然である。納得のいかない臣下が「我、納得せず」と辞職していったとしても仕方がない。

店の長たるMさんは、「私が頭を下げるしかないだろうで。値上げはするけどな」と言っていた。

Dさんに対しての悪口、陰口、批判や、愚痴などを聞くなら、今までの経験上でよくある事なのだが、それらは全くMさんの口から聞く事はなかった。

結局、DさんはMさんを許す事が出来ず、店に戻る事はなかった。

しかし、この時のMさんの対応と様子を見て、マウスキーは彼女が信用出来る人間なのではないかと思い始めていた。




そして、Dさんがいなくなった後、結局、外税革命は起こってしまった。

しかも、それは思わぬ結果となった。

2018年10月6日土曜日

PLATFORM・8 ~ Dさんショック

コンサート終了後、疲れ切っていたマウスキーに、「Dさんが店を辞めたって」と、笑いながら告げた母マウスキー。

最初は半信半疑ではあったが、オーナーのMさんから「Dさんが辞めるって言って、出てこんくなった」と告げられた時に、それが真実なのだと実感するしかなかった。

オーナーのMさんも、Iさん、Nさんも納得していない中、ある日突然、本人だけ「辞めた」と言って、店に出て来ないなどという事があるのだろうか?

Mさんは連絡を取ろうと試みたのだが、電話に出てもらえないらしく、店は飽和状態となった。

そんな折り、マウスキーは笛のコンサート直前の時に、Dさんが随分と楽しくなさそうに、寧ろ怒ったように仕事をしていた事を思いだした。

その日は、Dさんと、Iさんと、マウスキーの三人で仕事をしていた。

お弁当にご飯を詰めていたところ、途中でご飯を入れる容器の在庫がないという事に気が付いた。

在庫が入っている箱を見てみても、どうやら大きい容器しかなかった。

Iさんがそれを持って来て、「これは大きいけど、この中に普通盛りで入れたら間に合うが」と、嬉しそうに言った。

すると、Dさんはスマホをしながら怒ったように、「まずMさんに聞いてからにして! その容器は返品するって言っとったけ、勝手な事したら怒られるで!」と言い放った。

しかし、Iさんは「でもこれしかないが。仕方ないが」と言い、開封してしまったのである。

Dさんは激昂して、「私は知らんけーな!!」と、Iさんを再度怒鳴りつけた。

マウスキーは言われたようにし、開封した容器に米を詰めた。

何せ、Dさんの勢いを前に、口を入れるような奴は命知らずである。

そして、米の容器のピンチを脱して平和でいたところ、Nさんが何かの用事で店にフラリと入ってきた。

続いて、用事があったMさんもやって来た。

Mさんがやって来たため、米の容器の事をすぐさま解決できたわけだ。

最初に、あの大きな容器は返品するものだったのか、という確認から入った。

その通り、容器は返品するものだったのである。そればかりか、通常サイズの容器までちゃんとあったのだ。

Mさんが「ここにありますよ」と出していた、米の容器。

あんなに探していたのに……。

そんなわけで、Dさんの怒りは噴火した。

「私はだけー言ったが!!」と、Iさんを再び糾弾し始めたのだ。「確認もせんで勝手に開けたのはあんただけーな!!!」

などと、凄まじい様子となった。

マウスキーはというと、とにかく、気配を消して、空気のように過ごしていた。
みんながその時の事を振り返って、果たしてその場に、マウスキーがいたのか、いなかったのか、分からないぐらい存在を消していたと思う。

それから、何の口論だったか忘れたが、DさんとNさんまで声高に言い争いはじめたのである。Iさんも参加していた。

マウスキーは居心地が悪く、どうしようと思いながら、無駄に炊飯器の米を混ぜていたと記憶する。

そんな時、店の電話が鳴り響いた。

すぐさま電話を取り、お客様に対応をはじめたMさん。

電話の内容は、どうもお弁当の注文を受けているらしかった。

だが、しかし、店内はDさんの怒声で店内音楽が聞こえないほどで、Dさんとは違うトーンでNさんとIさんまで騒いでいるものだから、Mさんは耳を塞いだりしながら電話応対していた。

途中、受話器を押さえ、「お客さんから電話ですよ、静かにして!」と、ひそひそ声で言ったのだが、Dさんと、Nさんと、Iさんの耳には欠片も入らなかったらしい。

やっとの事で電話応対を終えたMさん。

喚く三人に対して、「お客さんから電話の時は静かにする! そんなのはいつでも話せる事でしょ!」とキツく一喝した。「電話してる横で大声で喚かれたら聞こえないでしょ!」

当然の事なのだが、Dさんは納得していなかった。

声のトーンは小さくはなったのだが、全身から不満のオーラが漂っていたのである。

ちなみに、マウスキーが声を荒げたMさんを見たのは、その時が最初で最後だった。

Mさんは設計士の仕事もあって忙しいため、そのまま店で用事を済ませると、帰宅してしまった。
結局、返品予定の容器を開封した事に関しての叱責は何もなかった。

その後、Nさんも帰宅した。

そして、気まずい感じのDさんとIさんと一緒に残りの時間を過ごしたマウスキーは、特に何も気を使わず、ぷんぷんしながらスマホで、LINEやツムツムをするDさんに思春期に通じる果敢なものを感じていたと思う。だから、そっとしておいた。

そう、それが、コンサートの直前の事だった。

マウスキーは、それが原因でDさんが辞めたのかと早とちりしたのだが、Mさんの説明を聞いた時、どうもそんな事は理由ではなかったらしい。

どうやら、マウスキーが知らない水面下で、店内に一悶着起こっていたようだったのだ。

2018年10月5日金曜日

PLATFORM・7 ~ 笛のコンサート

後日聞いたところ、お祭りはギャル売り子のおかげで大盛況だったらしい。

それは何よりである。

マウスキーも来年は祭りの時に、ちゃんと手伝えるように予定を開けよう、そう思った。

さて、店は特に何の問題もなかった。

それより、その頃は笛の会のコンサートが間近に迫っていていたので、いつもより、ちょっと忙しかった。

さて、今後も関係してくる事になるので、この時のコンサートについて説明しておきたい。

笛の会のコンサートは、不定期を謳っているのだが、どういうわけか大体2年おきの定期公演となってしまっているのが残念な限りだ。

参考⇒積志リコーダーカルテット様、ご来鳥! ─ その1

最初のコンサートは自分たちが楽しめたので大成功だったのだが、二回目のコンサートは積志リコーダーカルテット様を招くためのコンサートだったので、真面目にしたり、知らない人を招いたりしたので、大失敗に終わっていた。

それから奮起して、3回目のコンサートには、初心に戻り、やりたい事だけしかやらない取り決めをした。

ただ違うのは、ピアノを解禁したという点である。

そして、完全招待制が復活した。

コンサートは告知なしで、大体身内ばかりを大抵は呼ぶ事にしている。

だが、今回はコーヒーショップでワンドリンクが出るという事もあり、退屈しても飲み物を飲んだりする事が出来るという特典付きであった。

そして、今回は残念ながら、今までMCをしてくれたSさんがいなかったので、全員がMCを持ち回る事になった。
パーカッションには、この頃いつもTomokoさんとつるんでいた、Elizabethさんという大学院生の女の子にしてもらう事にした。

Elizabethさんの話を始めれば、とても長くなるので、また別の件で紹介する事にする。

とにかく、とても短期間で彼女に親近感と好感を持つようになった笛の会のメンバーは、彼女にバウロンという太鼓を叩いてもらう事にした。

すると、どういう縁かは知らないのだが、笛の会のコンサートが近くなった頃、姉マウスキーが友人のHermes君という人が経営しているバーに飲みに行った時の事だ。

笛のコンサートの話になった時、Hermes君は何よりも、「Elizabethちゃん出るんですか?」と驚いたと言う。

それというのも、そのバーの店主Hermes君とElizabethさんは友達だったのだ。

そんなわけで、Hermes君も初顔ながらに笛の会のコンサートに来てくれる事になった。

そして、Aさんは、所属している女声合唱団から、上品な奥様方を数人招く事にしたらしい。

マウスキーは、PLATFORMの方たちを招く事にした。

興味を持ってくれるかは気にするところだったが、快く、Mさんもお子さんを一緒に二人連れて来てくれると言っていたし、DさんもIさんも来てくれると言った。Nさんはお友達を誘って二人で来ると言っていた。

そして、迎えた当日。

Nさん、コンサートを忘れていて来なかったが、他のみんなは来てくれていった。
母マウスキーの近くには、DさんとIさんかが座って、仲良くお喋りもしていた。

コンサートは無事に終了。

コンサートの様子がこちらである。


本番、恥ずかしいから着るか着ないかで言い争ったドレスを着て演奏する笛の会のメンバー+Elizabethさん。

ちなみに、今回もN先生ご夫妻を招待していた笛の会。今回のコンサートでは、「何でも継続やな」とお褒めの言葉もいただき、他のお客様にも共に楽しんでいただけたようで、とても充実した時間を過ごせた。

そして、本当に、本当に、よくまだ知りもしないマウスキー達のコンサートに足を運んでくれて、お店の人達、有難う!

きっと、今後も仲良くやっていける、キラキラした気持ちでマウスキーはそう確信した。

そのコンサートが終わって、ちょっと疲れて家に帰った時の事だ。

母マウスキーが、「Dさんが店をやめたらしいで」と、笑いながら言ったのであった。

つづく。

2018年10月4日木曜日

PLATFORM・6 ~ Nさんは鋼の手

とりとり市では、お盆の頃に、傘に鈴をつけてシャンシャン鳴らして駅までの通りあたりを踊りながら練り歩く祭りがある。

「しゃんしゃん祭り」というやつだ。

この「しゃんしゃん祭り」は、いわゆる雨乞いらしいのだが、ほぼ高い確率で、本当に大雨になるのだ。

マウスキーも子供の頃に祭りに参加し、踊りはじめの頃に大雨に打たれ、傘は破れ、体は冷え切り、途中で祭りが中止になり、何のために練習したのだろうと心も打ちのめされたという思い出がある。

帰りにブルーハワイの味のかき氷を食べたのだが、ひときわ冷たくて、凍えながら帰宅したのが印象に残る。

それからというもの、マウスキーはしゃんしゃん祭りに興味がなくなった。

そんな祭りなのだが、翌日に花火大会が毎年予定されているのである。

高い確率で雨が降る雨乞いダンスの後に、花火大会なんかがあるせいで、毎年、朝の間は小雨が降っていて、「今日は花火があるのかなぁ」と心配しなければならない。

で、結局のところ、「なんぞ、これしき」と言って花火大会を続行するのだ。

それがとりとり市の一年に一度のビッグイベントである。

その祭りが近くなってきた頃、お店の方でも出店の企画が始まっていた。

どうやら、一年前は出した出店の場所も悪く、あまり思ったような売り上げにはならなかったようだ。

そして、話し合いの末、出店に出す品ぞろいが決まった。

メニューは以下の通りであった。

・おにぎり
・からあげ
・フライドポテト
・フランクフルト
・かき氷
・コットンキャンディソーダ

とっても多いようである。

さて、そこで、おにぎりを握るのはとっても熱いし、大変だという話をDさんと(この日はどうもマウスキーは、Dさんと出勤日が同じだったようだ)Mさんが始めていた。

すると、Mさんは、「Nさんに頼もう!」と、張り切って言い出したのである。

「何せ、Nさんは、どんなつきたての熱い餅だろうと、平気で丸める事が出来る鋼のような手を持っている!」と、いつもの二倍はあるテンションで元気いっぱいにMさんは語り続けた。「熱い米を握るのは、Nさんに任せたらいい! 彼女の手は、皮の薄い私達の手とは違う! 鋼の手を持っとるだけ!」
どんどん「鋼の手」の単語に力が入るMさん。最後のあたりは、おじさんのようなひねりまで入れていた。

「あの人はどうせ表に出たがるで」と、明らかにMさんよりローテンションで、Nさんの手の皮なんかどうでも良さそうにDさんが答えた。

しかし、まだまだ元気なMさんは、「その辺は大丈夫! Nさんには鋼の手でおにぎりを握ってもらうように頼めばいい!」

しかし、Dさんの機嫌は直らなかった。

どうやら、Dさんは何かとNさんが厨房を出てウエイトレスをしたがる習性がしゃんしゃん祭りの出店の時にも出てくるんじゃないか、という所が気になって仕方がないようだったのだ。

その為、Nさんの手がシルクの手だろうと、鋼の手だろうと、Dさんにとってはどちらでも良かったのだ。




しかし、Mさんの力説により、しっかりとマウスキーの心には「Nさんの手は鋼の手なのだ」という事実が刻み込まれた事は言うまでもない。

そして、後日もMさんは祭りのメニューの話になるたびに、「Nさんは鋼の手を持っとるけーな」と、何とも嬉しそうに語っていた。

Nさんの鋼の手っぷりをマウスキーも見てみたいとは思ったのだが、しゃんしゃん祭りの日は県外の親戚の家へ行く予定だったので、お祭りの出勤は断っていた。

しかし、特に何の問題もなかったようだ。

Dさんのお孫さんがバイトで入ってくれるようになっていたらしい。

全員若くて、現役高校生もいるらしく、働き者だとDさんもイチオシしていたので、お祭りもきっと上手くいくだろうとマウスキーは思って聞いていた。

ちなみに、このお店は日曜日と祝日がお休みなので、お盆はまるまる休みとなったため、出勤日は大きくあいた。

この頃、マウスキーは所属している笛の会のコンサートを間近に控えていて、そっちでも忙しくしていた。

仕事場の人をプライベートな事に誘った事はないのだけれど、このお店の人達は仲良くしたいし、誘ってみよう、そんな風に考え始めていた頃だった。

2018年10月3日水曜日

PLATFORM・5 ~ 飲食店経験者が0人の飲食店

Dさんは、マウスキーが仕事に2日ほど出勤すると、マウスキーの世話は必要ないという事で、一緒に同日に仕事をする事がなくなった。

そもそも、Dさんが木曜日を休みにしたいという事で、代わりに出勤してもらえないか、という話であった。

そんなわけで、NさんとIさんと、お昼の13時頃までオーナーのMさんが働きに来ている、そんな感じだった。

そこで、オーナーのMさんとも話をする事が少しずつあり、店の人達の事が少しずつ分かってきた。

そもそも、マウスキーの知り合いは、Dさんと、Iさんである。

Dさんと、Iさんは、姉妹でアヒルック代理店をしているのだ。
そのため、会議なんかがあったりすると、顔を合わせたり、話をしたりする事もあったり、勉強会なんかをした事もあるので、気が知れた相手だ。

Iさんの姉

Dさんの妹

そして、Nさんの事はまだこの頃はよく分からない存在ではあったが、料理が得意な主婦を長年されてきた方のようである。

減塩料理が得意なNさん

そして、オーナーのMさんは土木の設計士が本業だったらしい。

それを聞いた時、思わずマウスキーは「設計士なんですか?」と、2度聞きしていたと思う。
だが、今後、色んな人達がその事実を知った時に、「設計士なんですか?」と、同じような反応を取っていたので、この時のマウスキーの反応は、ごく自然で健全な驚きだったと思う。

土木の設計士のMさん。
ダムとか、橋の造に萌える的な事を熱く語っていた。
しいて言うなれば、DさんとIさんが大昔に民宿を営んでいた事がある、という事が、飲食店をしていくという事の自信にはつながっているようだ。

だが、現職を考えてみた時、全員が副業として、この定食屋で働いているようだ。

Mさんは設計士。
DさんとIさんは、アヒルック代理店。
Nさんは専業主婦。
そして、マウスキーもアヒルック代理店。

方向性が、今一つ分からないマウスキーだったが、店のコンセプトは分かった。

──安くで沢山食べられる、おふくろの味の定食屋──。

それが、このお店のコンセプトのようである。

だが、どうやらマウスキーの2年半という飲食経験が、一番豊富だと思われそうなほど、飲食店という組織での経験をした人達はいないようだった。

しかし、経験者ですと胸を張って言えるほど、マウスキーも大した経験はない。

ちなみに、マウスキーがこのお店に働きにきて、定食とお弁当が全て売り切れたところを見た事は、一度もなかった。

売り上げも、5000円~8000円くらいだ。

ただ確信した事は、飲食店経験のない人達がしている飲食店だからこそ、飲食店らしからぬ、ゆるい空気感の漂う店だったというわけだ。

そして、Mさんが言うには、飲食店をするには、衛星食品責任者の資格があれば誰でも出来るという事だ。そして、その資格は簡単に取れるのであった。

しかし、そうは言っても、お店の定食やお弁当は、本当に美味しかったので、客が少ないという事が、とにかく勿体なかった。

だが、そんな事をマウスキーが一々思っても仕方がなかったので、あまり気にしない事にしていた。

2018年10月2日火曜日

PLATFORM・4 ~ Dさんの姪っ子さん

前回のように、店での勤務時間中は、ゆるやかに経過していき、余裕でピークが始まり、ピークが終わっていった。

そして、美味しいお昼ご飯の時間の時の事である。
何でそうなったのかはよく分からないが、Dさんの姪っ子の話になっていた。

Dさんが姪の話を始めたのだと思うが、オーナーのMさんとマウスキーは「うん、うん」と、一方的に家庭話を聞いていたと思う。

その時の事だ。

Dさんが、姪が「美〇」という名前の喫茶店で働いていて、そこで出会った男にひどい目に遭った事がある、という話をし始めたのだ。

「美〇」という喫茶店!

遠いようで、遠くないマウスキーの記憶がよみがえってきた。

なんと、「美〇」という喫茶店は、まだ若かった頃のマウスキーがバイトをしていた店である。

そして、どんな子だったのかと聞いた時、Dさんが色々と特徴を話してくれた。

記憶の断片が繋ぎ合わさり、それは完全なものとなった。

マウスキーが働いていた「美〇」という店は、父の紹介でコネで入った店である。次のバイトが見つかるまでの間、働こうと思っていた。

その店は、高齢の夫婦が経営している店で、パンチパーマのマスターがいつもカウンターでうたた寝をしていて、横太りで小柄な奥さんが先輩の女の人と仲が悪そうに過ごしている、そんな店である。

客層はお世辞にも良いとは言えず、援助交際をしているおじさんとか、エロ画の間違い探しに一生懸命になっているおじさんや、「パチンコで10万すったから金貸して」と駆け込んで来るおじさん、大体そんなおじさんが多かった。

何よりも大変だった思い出は、眼鏡のおじさんに付きまとわれた事があるという思い出だ。

何故付きまとわれるようになったかと言うと、その眼鏡のおじさんは、いつも父マウスキーがやって来た時、父マウスキーの後ろの席にさり気なく座っていた。
後ろに座っていなければ、斜め後ろに座っている。

そして、ある日の事だ。眼鏡のおじさんが、突然「あなたって、娘さんなんですか?」と、父マウスキーとの関係性を聞いてきたのだ。
「そうです」と、マウスキーは礼儀正しく答えた。

すると、眼鏡のおじさんは名刺を渡してきて言った。
「自分はこういう者なんだけど、お父さんの電話番号を教えてもらっていいかな?」

何故、話をした事もない眼鏡のおじさんに、父親の連絡先を教えなければならないのであろうか。
マウスキーは断ったが、眼鏡のおじさんはしつこかった。

そこで、仕方がなく、父マウスキーに電話をして「電話番号教えて欲しいっていう、おじさんがおるだけど、どうしようか」と聞いてみたところ、「教えるな」と当然の返事がかえってきた。

そんなわけで、「ちょっと連絡先は教えられないです」と断った。

それで終わったかと思うと、そうではない。

眼鏡のおじさんは、何度となく「やっぱり駄目かな?」と、父マウスキーの連絡先を欲しがるのだ。

しかし、父マウスキーも店に来るのだから、直接話せばいいではないか。

結局、眼鏡のおじさんは、直接父マウスキーに話しかける事はしなかった。

「直接聞いて下さい」と言うにも拘わらず、マウスキーに「お父さんの連絡先を教えてくれるのは駄目かな?」と、いくら断っても父マウスキーの連絡先を聞かれ、大変なストレスを感じた事があった……




それも、いつの日か、忘れた頃に聞いてこなくなったのだが。

そんな喫茶店だった。

その店で、マウスキーがバイトで入った後に、人手不足もあって入ってきたのが、Dさんの姪の女の子だった、という話である。

彼女は、少しぽっちゃりしていて、美人とは言えないが、大体ニコニコしていた。

彼女のそんな笑顔に一目惚れしたマスターは、履歴書なんかポイと脇へ投げて(本当にそうしていた)、一発採用してしまった程である。

その後、彼女はお酒が大好きというだけあって、マウスキーとも意気投合。

飲み友になった。

最初に飲みに行ったお店は、彼女が知り合いが経営しているというバーだった。

若かったマウスキーは、ちゃんぽんで飲むのが日常茶飯事で、めったやたらに強い酒を選んでは飲み、酒癖の悪さをあちらこちらで披露していた。

マウスキーの酒癖は絡み癖である。

始めて行ったバーでも、バーテンの男性が赤い大きな蝶ネクタイをしているという事で、「手品を見せろ」と喚いていた事がある。
「蝶ネクタイして、手品が出来ないって、あり得ないんじゃないか」とか、「紫色のカクテルって言ったのに、なんで赤い色が出てくるんだ」とか、とにかく、いちいちと絡んでは喚いていた。

彼女の友達の店だというのに、恥ずかしい醜態をさらしていたというわけだ。

それでも、恥ずかしくても何日か経てば忘れてしまうし、飲みに行った日の思い出は楽しいものとなった。

Dさんの姪っ子さんとそりが合わなくなったのは、仕事中の事だ。

話題が、メンズの話しかない。

「あの人カッコいいと思う」とか、そんな話だ。

マウスキーは、正直、カッコいい基準が理解できず、とりあえず雑誌を散らかしたり、食べ方が汚かったり、返事をはっきり言えない奴は男女問わずいいと思わない、と答えていた。

そして、マウスキーが美〇の仕事を辞める日がやってきた。

ちなみに、辞めた後でもDさんの姪子さんからは、頻繁にメールが届いた。

マウスキーはブログが滞る様子で分かるように、大変な筆不精なのだ。

返事を書くのも大変である。

当時はLINEが普及していなかったので、とても大変だった。

そんなわけで、返事を書かなかったり、「了解」と書いて送ったり、「ごめん、無理です」と書いたりする日々が続いた。

そして、Dさんの姪っ子さんと飲みに行った最後の夜の事だ。

酒は飲みに行きたいマウスキーは、久しぶりなので上機嫌でほいほいと街に駆り出した。

この頃のマウスキーは、酒癖が悪い事を自覚する事があり、飲み方を変えていたので、変な飲み方はしなくなっていた。成長したのだ。

そして、普通に世間話をしたりしながら食事をして、お酒を飲んだ。

その後、Dさんの姪っ子さんが「前に行ったバーに行く?」と言ったので、以前喚きまわっていたバーへ行く事にした。

店に入ると、蝶ネクタイのバーテンと、もう一人、女装をした店員がいた。

その他、覚えている事は店内でゴジラの映画がテレビで流れていた事だ。

そして、どういうわけか、Dさんの恋の痛手の話になっていった。

どうやら、美〇で出会った男の人と、同棲をしていたようだ。しかし、その男は元カノとヨリを戻したらしい。
しかし、「元カノとヨリを戻すけど、俺はお前の事が好きなんだ」とかも付け足して言ったそうだ。

一通り事情を離したDさんの姪子さん。

その後に、マウスキーの方を向いて、「そんな事言われたら、私どうしたらいいだ?!」と言ってきたのだ。

マウスキーは親切心から相談に乗り、「そんな奴と別れれて良かったと思う。別れればいいだけなのに、何を悩む事がある?」的な答えをしたと思う。

すると、彼女は声を荒げて、「別れるっていうのに、ヤッちゃっただで?」と言い出した。
店の店主は神妙そうに、「あちゃー、それは大変だー」とか言っていた。

マウスキーは、「それでも、別れるという事に関して何が問題なのか分からない」と首をかしげていた。

すると、ついにDさんは、「もう辛くて私泣いちゃう」と、言い出した。

悩み相談ではなく、とにかく感情を吐きたいだけだと判断したマウスキーは「泣きたいなら泣いたらいいが。その間、マウスキーはゴジラでも見ておくけ」と、親切から言った。

それが彼女の怒りを煽ったようだ。

Dさんの姪っ子さんは怒り出し、急にマウスキーを糾弾しはじめたのだ。
「この人はこの通り冷たい人間なんだ!」とか、「メールの返信もしない!」とか、「メールですら冷たい!」とか、とにかくそんな感じの事を並びたてた。

マウスキーは親切に接していたつもりだったので、本当に心外だと思った。

そこへ、姉マウスキーから電話がかかってきたので、迎えに来てもらう事にして、マウスキーは帰る事にした。

そして、「じゃ、帰るけ」と、泣き喚く彼女に背を向けて店を後にした。

それから、彼女との連絡が途絶えて、すっかり忘れて、記憶は忘却の彼方へと埋もれていたのだ。

それが、まさか今更になって関連づけられるとは思いもよらなかった。

しかも、同じ同業者のDさんの姪っ子さんだったとは……親切にしていなかったので(していたつもりだが)、何だか心疚しい気持ちもありながら、話題を合わせるしかなかった。

「あー、綺麗な子でしたよね」「働き者でした」と、うんと褒めた。事実そうだったと思う。洗剤を人一番使っていたけれど。

そのDさんの姪っ子さんは、どうもマウスキーに以前話していた同棲していた男に、随分とお金をかけさせられていたらしい。
とにかく、そんな感じのひどい男だったそうだ。

しかしながら、今では子供が出来ていて、結婚もして、幸せにしているという事だったので何よりである。

だが、それにしても、10年近く経ってから、微妙な縁を感じるとは、運命論者ではないが、運命について考えてしまうほどだ。

Dさんの姪っ子さんとは仲良くなれなかったが、10年後にアヒルック代理店の同業者であるDさんに誘われて店に出るようになり、現在に至るとは……

さて、そんな不思議な縁もある、この店についてももう少し説明してみる事にしよう。

2018年10月1日月曜日

PLATFORM・3~ 最初の出勤日-part.2

12時になっても、そんなに人は来なかった。

お弁当を購入に来る人も、そんなにいなかった。

このお店は市役所が近いので、どうやら市役所の常連さんがよく通っているようだ。

そして、そんな常連さんらしき人が来るたびに、「今日から働いてもらう事になってマウスキーさん」と、紹介されて、「よろしくお願いします」と挨拶をしたりもした。

そして、特に問題もなく、ピーク時間の30分は終了。

12時半をもって、店のする事は大体片付けくらいだと宣告される事となった。

お客が帰ると、早速Dさんは新聞を読んだり、スマホのチェックなどで忙しくしはじめた。

もちろん、洗い物もそんな大した量にはならないのだが…残った15食分ぐらいの御膳に詰めた惣菜を抜いて、御膳を洗うという作業が残っていた。

とりあえず、「ごはんにしましょう」と、オーナーのMさんとDさんが声をかけてくれたため、三人揃って、のんびりと昼ご飯を食べる事となった。

やはり、ハンバーグが美味しい!(この日の日替わりはハンバーグだった)

働きに来て良かった……マウスキーは至福な気持ちでいっぱいになった。

そして、食べ終わった後は、後片付けだ。

ところが、Dさんはカウンターを立つ気配がない。

どうも疲れているようだ。

そして、オーナーのMさんに、日ごろの不満やらの愚痴をこぼしたりし始めた。

「Nさんのする事が気に入らない! 勝手な事する!」

そんな感じの内容だった。

Nさんと言えば、午前中に少しだけ挨拶していた、ひょろっと背の高い年配の女性の事である。

どうやら、彼女がレシピを守らずに勝手な味付けをするという問題について、二人で話をしていたようだ。

Nさんは、ご主人が高血圧らしく、減塩料理を得意としていたらしい。
だから、お店に出てきても、レシピに書いてあるものは「塩分が高い」という事で、レシピを無視して塩抜き料理にしてしまう、というような事であった。

店のレシピを無視した料理を出すなんて、そんな事があるんだろうか? 

益々とマウスキーは不思議な気持ちでいっぱいとなった。

そして、Dさんはご飯を食べると、勤務時間が終わったらしく、帰って行った。

そして、マウスキーと二人きりになった後、オーナーのMさんが仕事についての雇用条件をあらためて説明してくれた。(面接とか全くなかったため、本当によく分からない感じでハンバーグだけ目当てにして働いていたようなものだった)。

時給は700円。
勤務時間は11時から16時。

まかない代と休憩時間を含め、1時間は時給が発生しない。

従って、5時間勤務というところ、4時間勤務という形態になる。

そして、「殆どお金にならないですが、良いですか?」と、Mさんに念をおされた。

お金にはならない、確かにならないが、笛のレッスン代は出せるし…ごはんは美味しいし、何よりも楽そうだ、そうマウスキーは考えた。

元々美味しいハンバーグを食べようと思って気晴らしに来ていたので、お金の事は気にしていなかった。

飲食店と思えないほどの、ゆる過ぎる環境に、大変好奇心を掻き立てられたのである。

そして、帰り間際に店にひょっこりやって来た、NPO法人の人で、常連客でもあるM・Iさんという男の人にも「よろしくお願いします」とかの挨拶をして、片づけも終わり、初日の仕事は平和に楽しく終える事が出来た。

一週間後の勤務を、楽しみに思った程だった。

2018年9月30日日曜日

PLATFORM・2 ~ 最初の出勤日-part.1

出勤日初日である。

場所が大変分かりにくいという事と、最初は母マウスキーに声がかかっていた仕事なので、母マウスキーに仕事場まで連れて行ってもらった。

確かに、うっかりしていたら見落としてしまいそうな、建物の隙間にこじんまりと佇んでいる、という感じのお店であった。

定食やお弁当を売っているという風には見えない、喫茶店風な内装の店内であった。

早速、人見知りのマウスキーは、仕事場に行くと必ずやる、元気な挨拶というやつをした。

「今日から働かせていただく事になりました。マウスキーです。よろしくお願いします!」

ま、バイトの挨拶なんて、そんなものである。

とりあえず、その日店内にいた人物は、働かないかと声をかけてくれたDさん。




そして、お初目にかかる、Nさん。



そして、オーナーのMさん。



オーナーが若い女性とは想像していなかったため、正直言って、かなり警戒してしまった。

マウスキーは若い女性が大変苦手なのだ。

だが、仕事を始めれば、人間関係の事なんか二の次だろう。

そんなわけで、最初にお弁当を詰めるという仕事から教えてもらう事となった。

……なったのだが、その光景は想像していたよりも凄いものだった。

まず、Dさんが、カウンターの椅子に座りながら、「玉子焼きの数が一個足りんで」と言い出したのである。

「足りんだったら、大きい玉子焼きを二つに切ったらいいが」と、オーナーのMさん。

そんなわけで、カウンターの椅子に座りながら、Dさんは元々詰めてあった、大き目の玉子焼きを二つに切り分けはじめた。

まぁ、まぁ、確かに、平均年齢が60~70歳代という仕事場なのだし、ほっ○亭(マウスキーの最初のバイト先)のように、システム的な仕事をするわけはないだろう。

玉子焼き問題が解決した後は、お弁当と定食を詰めていく作業も順調に終わった。

一日に用意するものは、日替わり弁当を10個、定食を12食分だそうだ。

なんて楽な仕事場!

ほっ○亭なんて10個×10セットを作って用意するなんて、当然の事だったというのに!

しかし、気になるのは売上の方だ。

日替わり弁当は、500円。

日替わり定食は、600円。

どちらも税込みである。

計算してみると、500円×10個=5000円。600円×12個=7200円。

つまり、全部売り切れた場合の売り上げが12,200円という事である。

そこのお店は、NPO法人であるという事も聞いていたので、もしかすると、売り上げを出してはいけない取り決めでもあるのだろうか、そんな風に解釈した。

ところで、仕事が始まる前に、オーナーのMさんから注意を受けるというシーンもあった。

若い女の人なので、どんな仕事の説明なのか緊張して聞いていたところ、こういうことだった。

「スマホは持っててもいいですよ。ただし、12時から12時半はピークなので、その間は絶対にスマホをいじらないでください」

聞き間違いじゃないかと耳を疑った。

12時から12時半がピークって、ピークが30分しかない、という事と、スマホを持っていて、仕事中につっついても可能だという事、色々な事に驚きと衝撃を受けてしまった。

いや、想像以上にゆるい仕事場だ…と思っていた矢先である。

疲れたと言い出したDさん。

カウンターの椅子に腰かけて一休憩をはじめてしまった。



そして、スマホをつつき始めるDさん。

ちなみに、Nさんは午前中で帰ってしまったので、イマイチどういう方なのかは分からないままであった。

そして、迎えたピークだと聞いていた12時になった。

つづく。


2018年9月29日土曜日

PLATFORM・1 ~ 物事の発端

この一年という間、ブログの更新もなくなり、文章を書くという習慣もなくなってしまっていた。

実は、その一年の間に、マウスキーの人生を大きく変える出来事が起こっていたのである。

全ての始まりは、何気ない所から始まった。

母マウスキーが、知人のDさんという方からバイトの誘いを受けたのである。

何でも、Dさんがしている「Platform」というお店に、一日だけ彼女の代わりに出てくれないか、という話であった。

母は一日だけなら気晴らしにもなるし、出てもいいのではないかと考えていたようだ。

そこで、父マウスキーに相談。速攻、却下されてしまった。

残念がった母マウスキーがその話をしていたので、マウスキーが名乗り出る事となった。

名乗り出た理由は勿論、Dさんのお店のハンバーグ弁当が美味しかったから。ただ、それだけの理由だった。

お弁当が美味しいならば、まかないだって美味しいに違いない。

しかも、たった一日だし、半分遊びに行って、美味しいごはんが食べられる。

こんなにいい話に名乗りを上げないなんて理由はない。

そんなわけで、マウスキーは本当に気軽な気持ちで、美味しいご飯につられて引き受けたのだった。

そして、夏の終わりの頃の木曜日、最初の出勤日に意気揚々と出かける事になったのである。

2018年5月14日月曜日

「アサシン・クリード-シンジケート」の全クリを断念・・・

昔から気になっていた「アサシン・クリード」を、とうとうプレイしてみようと決心したのは、今年の年始の事であった。

ダークソウルでも、スニーク・キルは得意だし、アサシン・クリードのプレイにおいても、自らが持つ技量を発揮出来るに違いないと確信したのが大きな理由だ。

アサシン・クリードのシリーズはとてもたくさんあり、どれから手をつけてよいのか分からなかったのだが、とりあえず、19世紀のイギリスが舞台の話が一番とっつきやすい気がしたので、前作の話から始める事にした。

実際にプレイしてみると、それはもう楽しかった。

最初の街は、イギリスのホワイトチャペルから始まるので、「切り裂きジャックじゃないか!」と叫びながら、楽しく姉マウスキーと二人でプレイしていた。

ゲーム中には、実在の人物も登場してくる。

アバーライン警部・・・切り裂きジャックを捜索してた人
ダーウィン・・・「人間の先祖は猿」発言の人
ベル・・・電話を発明した人
マルクス・・・働きに見合った生活が必要だと言い、共産主義を提唱した人

他にも登場してきたと思うが、世界史好きにはたまらない事だろう。

マウスキーと姉マウスキーも、ずいぶんと喜んでゲームをしたものだ。

それにしても、一体何故これほどのモチベーションを崩壊させてしまったのだろう?

そう、それは、グリーン氏というキャラクターから始まった。

このキャラクターは、アサシン教団の一員で、主人公に色々とミッションを依頼してくるのである。

やる事自体は簡単なのだが、左上に出てくるグリーン氏がつけているサブ条件というのが問題だった。

「生け捕りにする」
「誰にも見つからずに、○○をする」
「〇〇の技で敵に止めを刺す」

まぁ、こんな感じで出て来るのだ。それを完遂する事で、追加ポイントというやつをくれるらしいのだが・・・これが、いちいちと難しい条件ばかり。

出来ないというのが悔しいマウスキーと姉マウスキーは、初見プレーにも拘わらず、必死になってその条件をこなそうと頑張り続けた。

だが、いつも失敗ばかり・・・ああ、駄目だ・・・アサシンの才能なんかないんだ・・・

そんな風に心が挫けそうになっていた時、更に大事件が起こった。

殆ど冒頭から登場していた、敵のテンプル騎士団の大物と、いよいよ対峙する事になった時だ。

何かの建物に侵入し、玄関先で見つからないように敵を探そうとした、その時である。

普通に見つかってしまった・・・

見つかった途端、同じ顔をした敵が四方八方から、わんさかと湧いてきて、一体何が何だか分からないぐらいの戦闘に入ってしまった。

湧いてくる敵を、バッタバッタとやっつけていたその時、当初の目的である、テンプル騎士団の大物を殺したらしいのが判明。

「えっ!? 嘘だろ? バグか?」そう言った瞬間、足元に転がっているテンプル騎士団の大物である敵の姿に気が付いた。

どうやら、わんさか敵が湧いてきた時に、紛れて玄関先まで出てきて、ついでな感じで殺されてしまったらしい。

しかし、何度も言うが、その敵は冒頭から出てきて、結構重要そうなキャラクターだったのである。

玄関先に飛び出してくるなんて、あり得ないんじゃないか!?

しばらく、怒りでマウスキーと姉マウスキーは、放心してゲームを継続する事が出来なくなってしまった。

だが、何とか気を取り直し、起こってしまった事は、起こってしまった事として、話を続ける事にしたのである。

そして、メインストーリーを進めていく内に、ある敵をやっつけなければならなくなった。
「スニーク・キルだろ、こんな奴は。頭にナイフを刺せば終わりだ。簡単で楽勝」と、思っていたその時だ。

再び、グリーン氏からのサブ条件が、画面の左上に映し出された。

そこには、「ターゲットを生け捕りにする」と、書いてあった。

面倒だと思ったが、姉マウスキーとマウスキーは、生け捕りにする事に決めた。

気付かれないように、そっと近づき、周囲の人間から殺していく事にしたのだが、運悪く気づかれてしまった。

その一瞬後である。

人間技と思えない速度、足にはヘルメスの羽根がついているのかと見紛う速さで、ターゲットの敵は逃げていったのだ。

呆然としていると、左上に「ターゲットとの距離を縮める」と映し出された。

追いかけて、捕まえるパターンだという事で、ターゲットを馬車で追いかける事にした。

この馬車・・・・馬車の操作が難しい! 基本的に罪のない人々を轢き殺しながら疾走しなければ、まともに走れないシステムになっているのだ!

だが、ターゲットの敵は、ありえないぐらい流暢に馬車を運転し、角もスムーズに曲がり、障害物も綺麗に避けながら全力疾走していくのだ。

止まらない。

距離も縮まらない。

ターゲットの馬車を捕まえて引きずり降ろしても、素早く潜り抜けて、新しい馬車に「ホイ」と乗って、馬の手綱を持った瞬間猛スピードで逃げてしまうのである。

何度も、この繰り返し。

気が付けば、30分以上、マウスキー達は、このターゲットと共にイギリスの街という街を鬼ごっこで駆けずり回っていたのである。

ない。

これは、もう無理だ──。

目の前が暗くなったのか、ゲームを終了して画面が暗くなったのか・・・とうとう、姉マウスキーとマウスキーは、憧れていた「アサシン・クリード」の全クリを断念した。

──多分、二度と再び戻ってくる事はないだろう。