2014年3月11日火曜日

地獄の玉子焼き。

あれは、マウスキーが中学生の頃だった。

母マウスキーと父マウスキーが多忙で家にいない事が多々あった頃だ。

この頃からマウスキーはオムライスを得意としていたので、玉子関係の料理なら、簡単に作れるはずであると思っていた。

そこで、玉子焼きを作ろうと思い立ったわけだ。

これは、姉マウスキーも一緒に協力していた。

それが悲劇の始まりだった・・・

忘れようとしても、玉子料理を作っている時に思わず思い出してしまう苦痛、自分なんかは料理が
出来ない奴なんだという自らを卑下してしまう気持ち・・・

それは、この時の卵焼きから始まった事である。

当時、作りたかった卵焼きは、母マウスキーがいつも作ってくれる卵焼きだった。母マウスキーは料理が上手で、サラダや玉子焼きなんかも、味付けに一工夫してある。

それを横目で見ていたので、マウスキーは知っていたのだ。

母マウスキーは、玉子焼きにうどん出汁を入れるという事だけを。


マウスキーと姉マウスキーは共に台所に立ち、卵を3つ割り、ボールで掻き混ぜて調理を始めた。

そして、母マウスキーが作る玉子焼きの隠し味であるうどん出汁を入れる事となった。

迷うことなく、マウスキー達は玉子の中に一袋のうどん出汁と、ほんだしを投入。

混ぜながら、味見をする事にした。

何故だか、辛すぎる事になり、マウスキー達はパニックになった。
母マウスキーが作るのは、こんな味ではない! と。

そこで、辛いものをどうしていいか分からず、甘くすればいいと相談し、砂糖をうどん出汁と同じぐらいの量入れる事にした。

その結果、うどん出汁と砂糖が調和していない、絶妙な味になった。

うどん出汁と、砂糖を調和させる、魔法のような調味料はないのかと二人で相談し、今度は塩を投入する事にした。
塩は万能なものであり、どんな食材の味も落ち着かせる事が出来るものだと思っていたからだ。

結果は必要以上に辛いものとなった。強烈な砂糖の甘みは消えないまま。

もう、後戻りは出来なくなったマウスキーズは、意地でも美味しいものを作ろうと懸命になった。

砂糖の甘さを取りあえず消せばいいのだと思い、何か辛い調味料・・・そうだ、醤油しかない! と、アイデアが浮かび、醤油を投入。

酷く辛くなり、食べられるものではなくなった。

では、味をまろやかにすればいいのではないか? と、思い、次にウスターソースを投入。

施しようのない、人生で一度も味わった事のない味をマウスキー達はこの時覚えた。

だが、くよくよしていても仕方がない。
もしかすると、焼く事によって香ばしくなり、美味しくなるかもしれない! 

そんな希望を胸に、フライパンに玉子を流し込んで焼く事にした。
しかし、衝撃的な事が次に起こった。

マウスキーと姉マウスキーは、上手に玉子を扱う事が出来ず、おまけにいきなり強火で焼いたせいで、玉子は無残に破れ散り、卵焼きではなくスクランブルエッグになってしまったのだ。

ここまできても、マウスキーと姉マウスキーは希望を捨てる事はしなかった。

玉子とマヨネーズの相性がいいので、スクランブルエッグにマヨネーズを和えてはいかがなものだろうかと発案したのである。

当然だが、余計酷くなった・・・・

ここまできたら、パンの上にスクランブルエッグを乗せ、更にその上にとろけるチーズを乗せてトーストを焼くしかない!──極限の決断である。

しばらくして、恐ろしい臭いを放つ物がこんがりと焼きあがった。

そして、マウスキーと姉マウスキーは不思議な香りを放つ食物を試食し、完食した。
しかも、そんなに悪くない、意外と美味しいと自分を励まし、暗示をかけながら食べきったのである。

この日、マウスキーと姉マウスキーは恐ろしい腹痛に見舞われ、心も体もズタボロとなる悲しい結末となった。

何が悪かったのだろう。
調味料の組み合わせで、人は腹を下す事があるのだろうか? 
それとも、不味いものを美味しいと暗示をかけて食べたせいで、信じられないストレスを体に与えたための腹下しだったのか・・・

それは今、定かではないが、はっきりと分かる事は、この時料理音痴というレッテルが自分の中で自分に敷いてしまったという、悲しい結果である。

この歳になり、やっと克服してきた気がする。

それほどマウスキーの人生を狂わせたあの事件。今も「地獄の玉子焼き」と称し、マウスキーと姉マウスキーは思い出すたびに「あれは酷かった。何故ああなったんだ・・・」と反省をするのである。


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